第342話 おじさん代官の心を奪う


 商業組合の人間が帰った後のことである。

 まだ、イトパルサの露店街ではお祭りが続いていた。

 飲めや歌えや騒げやである。

 

「お母様、どういたしましょう?」


 おじさんが聞いたのは、今から聖樹国に行くかという意見である。

 逆召喚を使えば一瞬で移動できるのだ。

 

 まだ時間的には余裕がある。

 あちらに行っても、風の大精霊からの通達で無下には扱われないはずだ。

 

 その意図は正確に母親へ伝わっていた。


「そうねぇ……明日にしましょうか」


 少しだけ考えて、母親はおじさんに告げる。

 その答えにおじさんも否はない。

 

 ただ、時間があるからどうすると聞いただけであった。

 なので大きく頷いてみせる。


「……少し気分を変えたいわね」


 母親は旧知の後輩に会えたことはうれしかった。

 しかし、彼女の悪癖が直っていなかったことに落胆したのだ。


 彼女は優秀である。

 だが優秀であるが故に、思いこみが強い。

 自分ができないことは他人もできない、そんな風に考えてしまうのだ。

 

 それでは大きくなれない。

 世の中は広いのだ。

 

 広いからこそ、自分の理解を超える者もいる。

 そうした者を排除するようではダメなのだ。

 特に人の上に立つ者は。


 母親のそうした気持ちにおじさんは気づいていた。

 だから、少し考えてからポンと掌を打つ。


「そうですわ! お母様、踊りませんか?」


 こういうときは身体を動かすのがいちばんである。


「踊る?」


 基本的に貴族社会で踊ると言えば、社交ダンスになる。

 そして社交ダンスは男女のペアで踊るものだ。

 

 なので、町衆たちのような自由気ままな踊りというのに馴染みがないのだ。

 だが、おじさんはそうではない。


 もちろん教養として、貴族社会で通じるダンスは習っている。

 しかし前世で色々と見てきたおじさんだ。

 

 踊ったことはなくてもなんとかなる。

 それがおじさんのチートだ。

 

 先ほど作った舞台の上に、おじさんは跳び上がる。

 そして、いきなりのムーンウォークだ。

 

 前へと進むと見せかけて後ろに進む。

 右へ、左へ、前や後ろ。

 おじさんの動きのおかしさに、母親はつい笑ってしまった。

 

 侍女は、これって戦闘の虚実にも使える? と考えてしまうほどだ。

 

「重要なのは後ろの足なのね」


 ポイントを的確に見抜く母親も動きを再現してみる。

 すぐさまにできてしまうところが、おじさんの家族所以だろう。

 

「あははは。面白いわね、これ」


「むぅ……ちょっとコツが要りますわね」


 侍女もおじさんたちの後ろでムーンウォークを再現している。

 公爵家の関係者は皆がハイスペックなのだ。


 そうこうしているうちに、おじさんはブレイクダンスに突入する。

 アクロバティックな動きをするおじさん。

 それでもなぜかスカートがめくれない。

 

 いつの間にか、町衆たちもおじさんたちの踊りに目を奪われてしまっていた。

 そして、一段落つく頃には大きな歓声を送るのであった。


「奥様、お嬢様」


 従僕の一人が声をかけてくる。

 

「そろそろ代官邸に戻られた方がよろしいかと」


 陽はさらに傾き、黄金色に変わっている。

 そのことに気づいて、おじさん一行は露店街を後にするのであった。

 


 おじさんたちは代官邸に戻る。

 あてがわれた客室にて、清浄化の魔法を使って身ぎれいにしたのだ。


 コボルトとの戦いのときにお披露目した魔法である。

 ちなみにこの魔法は特に女性陣が大喜びして、我先にと覚えていた。

 

 準備を整えたところで、意気揚々と乗りこもうとしたおじさんである。

 だが、侍女からストップがかかった。


「お嬢様、マスクは外しましょうね」

 

「もう! せっかく気に入っていましたのに!」


 と、言いながらも素直に従うおじさんである。

 さすがに初対面の貴族、両親の知り合いともなれば失礼なことはできない。

 

 そして両親とともに、応接室へとむかうのであった。

 

「紹介するよ、イッジア。ヴェロニカと娘だ」


 父親の言葉に続いて、おじさんは華麗なカーテシーで挨拶をする。

 

「お初にお目にかかりますわ。リー=アーリーチャー・カラセベド=クェワと申します。今は学園に通っておりますわ。以後、お目にかかることがあるでしょう。そのときはよしなにお願いいたしますの」


 代官はおじさんの姿に見惚れてしまっていた。

 美しいというだけなら、それこそおじさんの母親がそうだ。

 

 特に上位貴族には人目を引く整った容姿の者が多い。

 しかし、目の前にいる少女は、そうした一般的な美・・・・・を超越したなにかを持っていた。

 

 目が離せないのだ。

 どうしようもなく胸が熱くなって、思考がとまってしまう。

 

 恋愛的な感情ではない。

 もっと心の奥を突き動かされるような衝動。

 

 こんな感情は誰であっても抱いたことがない。

 不思議な感覚にとまどう。

 

「わ、私……私は」


 代官は完全に飲まれていた。

 自分よりも遙か年下の少女にである。

 

「イッジア! しっかりなさいな!」

 

 母親から檄が飛んだ。

 その声に代官がハッとした表情になる。

 

「失礼。私はイッジア=ウェイアント・キルヒナーと申します。イトパルサの代官を陛下より賜っております。こちらこそ昵懇にしていただければ幸いです」


 軽く頭を下げ、ふうと細い息を吐く代官であった。

 変な汗がにじんでいることに気づいて、つい頭を下げたまま苦笑してしまう。

 

「なに緊張してんのよ、イッジアは!」


 半ばニヤニヤとしながら言う母親の言葉に、頭をあげて作り物ではない笑顔を見せる代官だ。

 

「仕方ありませんよ、ヴェロニカ様。あなたの若い頃とそっくりですからね!」


「あら? だったら私にも緊張していたのかしら?」


「していましたよ! 覚えていませんか?」


 若かりし頃の記憶が蘇る代官である。

 緊張したに決まっている。

 自分よりも爵位が上の御令嬢だ。

 それもとびきり美人の。

 

 級友として付きあってみれば、どんどこ振り回される。

 何度もお腹が痛くなる思いをして、何度も驚かされた。

 それでも楽しかったのだ。

 

 自らの人生で最も輝いていた時間といってもいい。

 無理をして、無茶をして、自分だけでは知り得ない世界を知れた。

 

 そんな経験ができる者がどれだけいるだろうか。

 代官の中では、黄金以上の価値を持つ時間だったのだ。

 

 世の中にはこんな人もいる。

 代官の世界を広げたのが、目の前に居る二人の同級生だ。

 

 良くも悪くも規格外。

 それが代官の持つ母親への評価であった。

 

 そんな母親すら凌駕する美貌を持つ少女おじさん

 恐らくは中身も伴っている。

 だって、若い頃の母親とよく似ているのだ。

 

 容姿という点では上回っているだろう。

 ただ、それ以上に身にまとう空気感や存在感が似ているのだ。

 

 もう笑うしかない。

 それが正直な心情であった。

 

 と、同時に思うのだ。

 自分の子どもたちにも同じ経験をさせてやりたかった、と。

 

「知らないわよ、そんなこと。それよりもイッジア、ミュゼッタはどうしたのよ?」


 ミュゼッタもまた同級生だった令嬢である。

 現在は代官と結婚しているはずだ。

 

「彼女は今、里帰りをしていますよ」


 代官の言葉に残念そうな表情になる母親であった。


「王都で騒動があったでしょう? その影響で一時的に実家に戻っているんです」


「むぅ。それは仕方ないわね」


「お子さんも一緒に行っているのかい?」


 母親の言葉を継いで父親が言う。


「ああ。見聞を広げてほしくてね。だけど……失敗したかもね」


「失敗?」


「そうさ。リー様との出会いの方がよほど貴重だろうに」


 代官の言葉に両親が軽やかに笑った。


「これは随分と高く見られてしまったね、リー」


 父親が娘を見ながら、声をかける。

 

「もう! お父様ったらからかわないでくださいまし!」


 明るい笑い声が応接室に響く。


「話は聞かせてもらったわ!」


 どーんと勢いよく応接室の扉を開けて、エルフの少女が叫んだ。

 その瞬間、おじさん側付きの侍女が少女の首に手刀を添えていた。

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