第341話 おじさん商業組合の人たちとお話する


 太陽の位置が中天から、傾きを大きくした頃。

 まだイトパルサ露店街では、大勢の人が賑々しく騒いでいた。

 

「きゃああ! ステキですわあああ!」


 最も楽しんでいたのは側付きの侍女かもしれない。

 おじさんが魔楽器で演奏する姿を、砂かぶりの位置で楽しんでいたのだから。

 陽気な音楽が奏でられ、それに合わせて踊る町民たち。

 

 母親は演奏を終えて椅子に座り、お酒を楽しんでいる。

 曲の切れ目を狙って、従僕の一人が駆け寄った。

 

「奥様、よろしいでしょうか?」


「どうしたの?」


「商業組合から使いの者が参りまして、こちらに参上してもよろしいかと伺っております」


「あちらが出向くと言うのなら、否はありません。お呼びして」


“畏まりました”と従僕が下がっていく。


「リーちゃん! 次の曲で終わらせなさい」


 母親の言葉に首肯するおじさんであった。

 おじさんはギターのボディを、トントンと叩いてカウントを取る。

 そして、熱情的な律動の音を奏でるのであった。


「しゅてきですわああ!」


 侍女がノリノリになって頭を振る。

 町衆たちも、あちこちで手を叩き、足踏みをする。

 

 そんな様子を眺めながら、母親は杯を傾けた。

 心地よい。

 ただ、それだけであった。

 

 ちょうどおじさんの演奏が終わる頃である。

 再び従僕が歩み寄ってきた。

 

「奥様。商業組合の方々が到着なされました」


「ご苦労様。では、こちらへお呼びして」


 おじさんがステージから降りて、席へと戻る。

 そのタイミングで三人の人間が前へと進みでてきた。

 

「ヴィーお姉さま。長の無沙汰をお詫び致します」


 先頭に居たのは母親と同年代に見える女性だ。

 その女性が膝をつき、頭をたれて挨拶をした。

 ちなみにヴィーというのは、母親の若い頃の愛称である。

 

「あら? マディじゃない。そう、あなたが組合長になったのね」


「はい。お姉さまの助言がなければ、今の地位に就くことはできませんでしたわ。なんなりとお申し付けくださいませ」


 そのタイミングで、おじさんは遮音結界を張る。

 結界を張ったことに気づいたのは母親だけであった。


「ほおん、後ろの二人は?」


「プエチ商会とモッリーノ商会の会頭です。両名ともお姉さまとの面識があるとのことで連れて参りました」


 プエチとモッリーノ……確かに聞いたことがある。

 どこでだったかと思いを巡らせる母親であった。

 

「ああ! 思いだしたわ、あのときの!」


 かつての騒ぎを思いだす母親であった。

 あのとき、宰相である兄が色々と動いていたような。

 

「ご無沙汰をしております」


 と、二人が揃って頭を下げた。

 

「ヴィーお姉さま、此度の参集の目的をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか」


「ああ、それはうちの娘から聞いてちょうだい」


 と、母親は隣に座るおじさんに目線を向ける。

 

「わたくしはリー=アーリーチャー・カラセベド=クェワと申します。さて、本題になるのですが、わたくしはラバテクスが欲しいのです。扱っていますか?」


 おじさんの言葉に三人が目をむいた。


「それは……」


 と、商業組合長であるマディが言いよどむ。

 おじさんはニコニコとした笑顔だ。

 半分はマスクで隠れているけれど。

 

「……その大変申し上げにくいのですが」


 後ろに控える男性二人は顔すらあげない。

 完全に気配を消して、空気になろうとしていた。

 

「他聞を憚るものなの、マディ? 大丈夫よ、リーちゃんが遮音結界を張っているから」


 母親の言葉に組合長は目線を下げた。


「その……衛生用品なのです」


 小さく、消え入りそうな声であった。

 

「衛生用品? 話が見えませんわね」


 おじさんがよくわからないといった感じで小首を傾げる。

 

「ヴィーお姉さま、お耳を拝借してもよろしいでしょうか?」


 このままでは話が進まない。

 そう判断して、母親は大きく頷いた。

 組合長がにじりよって、母親の耳元で口元を隠しながら言う。

 

「その……聖樹国では避妊に使うものなのです。男性のあれにかぶせて」


 おほほほ、と母親がそれを聞いて爆笑した。

 おじさんはまるで訳がわかっていない。

 きょとんとした顔をしている。

 

「リーちゃん、ちょっとこちらへいらっしゃいな」


 母親が席を立ち、少し離れた場所へと移動する。

 そこで、おじさんの耳元でかくかくしかじかと伝えた。

 

「まるまるうまうまですわね!」


 おじさんは高位貴族の御令嬢である。

 当然だが、この国における性教育というものも受けているのだ。

 それに前世での知識もある。


 なので、ピンときた。

 コンドームのことだ、と。

 

 なにも恥ずかしいことはない。

 ただの衛生用品である。

 そこが一般的な御令嬢とはちがうところであった。


 席へと戻っておじさんはにこやかに告げる。


「話はわかりました。わたくし、が欲しいのではありませんの。素材・・が欲しいのです」


 元の位置に戻っていた三人は顔を見合わせた。

 ラバテクスの素材が欲しい、そんなことを言われたのは初めてだからである。

 

 そもそも聖樹国でも少量しか生産されていないので、もともと市場には出回らない。

 イトパルサでは一部の好事家が金に物を言わせて購入する趣味の品である。

 

 そうした事情を話した上で、組合長はおじさんに告げた。

 

「どの程度の量を希望されるのですか?」


「そうですわね。あればあるだけ、ですわね」


 またもや絶句してしまう三人であった。

 いったいこの御令嬢はなにを考えているのか。

 まったく意味がわからないのだ。


「……であれば、聖樹国にて交渉した方が早いかもしれませんが……」


 もはやお手上げであった。

 ただ聖樹国に行くのは難しい。

 そう告げられずに、組合長は言葉を濁した。


「そうですか……では、聖樹国に行きますか」


 組合長の逡巡とは裏腹に、おじさんは即決してしまう。


「はあ!?」


 思わず、声をあげてしまう組合長であった。

 

 港に魔物が出現したところである。

 幸いにも討伐されたとは聞いたが、すぐに港が使えるわけではないだろうに。


 さらに聖樹国に入るための伝手もないはずだ。

 それをこともなげに言う御令嬢に、ちょっぴり腹が立ったのだ。

 なにも知らない小娘が、と。

  

「……マディ」


 そんな組合長の心の動きを、敏感に察したのは母親であった。

 と、同時に手をあげる。

 侍女が動きだしていたからだ。

 

「言ったはずよ。あなたの物差しだけで世の中は測れない、と」


 母親の表情はマスクに覆われていてわからない。

 だが、明らかにその口調は真剣なものを含んでいた。


「はい。その御言葉を糧に私は精進して参りました」


「そう。ではまだ理解できていないようね」


「申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げる組合長であった。


「わかればいいわ。ただし次はないわよ、肝に銘じておきなさい」


“はい”と地面につくほど頭を下げる組合長であった。


 マディにとって、母親は尊敬する先輩である。

 そして、絶対に怒らせてはいけない人物でもあった。

 

 既に学生時代に一度、怒らせているのだ。

 ――次はない。

 その言葉がマディの肩に重くのしかかる。


 緊迫した場の空気を変えようとおじさんは発言する。


「ラバテクスのことはこちらでなんとかしますわ。では他の物についてなのですが、商業組合で扱っている品の一覧をくださいな。最大で扱える量とその金額を添えていただけると助かります」


 プルプルと身体を震わせている組合長の代わりに、プエチ商会の会頭が答えた。


「畏まりました。すべての品でよろしいのですかな?」


「はい。食料品から何から何まで細大漏らさずです」


 おじさんの言葉に笑みを深くするプエチ商会の会頭であった。


「これは大商いになりそうですな!」


 モッリーノ商会の会頭も満面の笑みである。


「一両日中に揃えてお持ちいたしましょう。では、御前を失礼させていただきます。ほら、組合長」


 そう言ってモッリーノ商会の会頭が組合長の肩を叩く。

 すっかり憔悴してしまった組合長を見て思う。

 

 いいところもあるが、まだまだ頼りないと。

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