第339話 おじさんが母親と町歩きをする前に
イッジア=ウェイアント・キルヒナー。
王領最大の港町イトパルサの代官である。
明るいオレンジ色の髪をした中肉中背の男だ。
見た目に大きな特徴はない。
今、父親はその男と差し向かいで座っていた。
代官邸の応接室である。
「しかし閣下がおいでになるとは思いませんでしたよ」
慇懃無礼とまではいかない。
だが、明らかにからかうような雰囲気を漂わせた口調であった。
そんな代官に対して、父親は少しだけ眉間に皺を寄せる。
「その他人行儀な話し方はよしてくれないか、イッジア」
この二人、学園時代の同級生である。
「ははは。学生時代から畏まられるのが苦手だねぇ」
にぃと笑顔を見せて、二人は握手をした。
「いやしかし、助かったよ。さすがに学年主席。こちらも兵をまとめていたんだが、まだ時間がかかりそうだったからね」
「もう昔の話さ。それに……」
父親はかわいい娘のことが頭をよぎった。
「それに?」
「いや、いい。やめておこう」
「なんだよ。中途半端だと気持ち悪いだろ」
「いや、学生時代のヴェロニカを思いだしただけさ」
父親はさらりと誤魔化した。
だが、代官は“ああ”と声をあげて苦笑する。
母親もまた、学園ではやんちゃをしていたのだ。
「まぁ今日は昔話をしにきたんじゃないんだ」
父親が本題を切りだす。
「わかってる。聖樹国との会談のことだろう?」
と、言いつつも代官はいぶかしんでいる。
なぜなら聖樹国との間で特に問題になるようなことはないからだ。
それを敢えて、会談の時期を少し早めたいと言う。
だから、率直に聞いた。
「王都の被害は深刻なのかな?」
無論、先の
「……それが大きいかな。順調に復興はしているけど、色々とやらなくてはいけないことが多くてね」
「それもそうか……わかった。私から先方に話をとおしておくよ。早い方がいいんだよね?」
父親が首を縦に振った。
「すまないが頼むよ」
「いいさ、キミが居なかったらもっと被害が拡大していたかもしれない。先に恩を売られてしまったね」
代官がニコリと微笑みながら、再び手を差しだしてくる。
二度目の握手に応じる父親であった。
「それはそうと……」
代官が話を続けようとしたところで、代官邸の廊下をドタドタと走る音が聞こえる。
「ん? なにかあったのかな?」
と、言いつつ代官が椅子から腰を浮かす。
そのタイミングで応接室のドアが勢いよく開いた。
「いけません、お嬢様!」
女性の鋭い声が飛ぶ。
「見つけた! あなたね! わたしの船を壊したのは! どーしてくれんのよ、責任とりなさいよね、責任!」
姿を見せたのはエルフの女性であった。
いや女性と言うには少し幼いか。
娘と同じ年頃かなと当たりをつける父親であった。
ビシっと父親に対して指をさすエルフの少女。
葉桜のような髪色に、笹穂のようなとんがり耳。
少女の後ろで頭を下げまくっているエルフの女性。
先ほどの声はこの女性がだしたものだろう。
「失礼だが、どちら様かな?」
父親は鷹揚に対応する。
「あんですってぇ! わたしは!」
と、声を荒げる少女の口を後ろから押さえるエルフの女性であった。
「お、おほほほ。申し訳ありません。お話の邪魔をしてしまったこと、お詫びいたしますわ。さ、お嬢様。お嬢様も……ふぎぎぎ」
女性が少女の頭を下げさせようとする。
しかし、首に力をこめて抵抗する少女であった。
「くはっ」
だが、長くは抵抗できなかったようだ。
あるいは口を押さえられたことで、息がしにくかったのだろうか。
いずれにせよ、少女の首がカクンと落ちる。
「お嬢様もこのように反省しております。どうか、どうかご寛恕いただけますようお願いいたします」
女性が頭を下げる。
そして、羽交い締めのような姿勢になって少女を引きずっていく。
「ああ……クロリンダ殿。あとで話を聞こう」
「申し訳ありません。キルヒナー様。では失礼させていただきます」
“ふんぬ”と力をこめて、少女を引きずっていく女性であった。
まさしく台風一過のような状態である。
静寂が戻った代官の応接室で、父親はお茶に口をつける。
「イッジア……壊した船の件、うちで責任を持つよ」
「いやいや、スランには助けてもらったんだ。そこまで迷惑はかけられないよ」
「ううん。まぁうちの子が黙っていられないと言うか」
「うちの子?」
「あは、あはは」
笑って誤魔化すしかない父親であった。
一方、その頃のおじさんはと言うと、馬車を代官邸に置き町に繰り出していた。
認識阻害が付与されたマスクをつけた姿で。
ただ、既に大勢の人に認知されている状態である。
その状態ではさすがに認識阻害の効果が薄れてしまう。
ないよりはマシな程度でしかない。
結果、大名行列のようになっていた。
おじさんと母親を先頭に、従僕と侍女が付き従う。
その後ろにはイトパルサの民たちが、ぞろぞろとついてくるのだ。
「お母様、こうして見るとレンガ造りの町もいいですわね」
「そうね、色合いがかわいらしいわ」
気にしない母と娘なのであった。
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