第335話 おじさんの居ない温泉地での一幕
その日。
温泉地へと渡ったのは国王、宰相、軍務卿の三人であった。
おじさんと父親はイトパルサへ行く準備があると帰ったのだ。
転移陣の先には、おじさんが先触れとして話していたのだろう。
従僕と侍女たちが並んでいた。
「ようこそ皆様方。リー様からおもてなしをするようにと託かっております」
その言葉に従って、三人は言われるままに案内される。
服を脱ぎ、
三人は広さにも驚いたが、それ以上に景観の素晴らしさに息を呑んだ。
さらに施設の充実っぷりには開いた口が塞がらないほどである。
国王は露天風呂につかり、深く深く息を吐いた。
「ふぅ……格別だのう。日頃の疲れが湯に溶けていくようじゃ」
ホッコリとした表情になる国王だ。
やはり知らぬうちにストレスがたまっていたらしい。
のびのびと湯につかり、素晴らしい景色に目をやる。
癒やしであった。
宰相は露天風呂の近くにある足湯を利用しながら、おじさん特性のリキュールを楽しんでいる。
極上の酒にウマいつまみ。
しかも、足下からポカポカとしてくる。
軍務卿と言えば、酒よりもメシというタイプだ。
見た目に反して酒に弱いのである。
下戸というほどではないが、平均よりは弱い。
そうした自分の体質をしっかりと理解しているのだ。
宰相の対面に陣取って、次々とだされる料理を平らげている。
そうしてしばらくの時間が経過した。
「ふぅ……喰った、喰った。このウナギってやつ美味えな」
腹をさすりながら、誰に言うでもなく呟く軍務卿だった。
対面では宰相がチョコレートをつまみ、リキュールを飲んでは顔を綻ばせている。
そのペースが早い。
「……なぁ宰相閣下」
いい感じでできあがっている宰相である。
ほんのり赤くなった顔、とろんとした目の宰相が軍務卿を見た。
「なんれすか、ドイル」
「今さらなんだけどさぁ……これって袖の下ってやつじゃねえの?」
これ、とは当然だが現在の状況である。
いつでも温泉に入れるように転移陣を刻んだことだ。
そう。
はっきり言えば買収である。
だって、国王はこの転移陣の礼として鶴の一声を発したからだ。
「この粗忽者! にゃにが袖の下ですか!」
宰相がゆらりと立ち上がった。
前後に揺れながら、ビシッと軍務卿を指さす。
「これはね、かわいい姪っ子の思いやりなんでしゅ。日頃の激務で心身ともに疲れ果てた私を慮って、姪っ子が贈ってくれた真心。それを袖の下だなんて、よきゅも言いましたね。反省なさい!」
それだけでは足りなかったのだろう。
宰相はまだ続ける。
「いいですか! わ
ううっと目元に指をやる宰相閣下だ。
「それをね、リーは。あの天使はなんと言ったと思いましゅか。一所懸命に働いている証拠ですわ、と。う、うう……。男の勲章ですわ、と。う……うう。そして解決策までくれたのでしゅよ!」
軍務卿は既にドン引きである。
「わ
ううっぷ。
胸にこみ上げるものがある宰相だ。
それを飲みこんで続ける。
「ああ! なぜ神はあの天使を我が子として遣わしてくれなかったのでしょう! 天よ、私に
ふらぁりと揺れて、揺れて、宰相はバランスを崩す。
それを軍務卿が受け止めた。
「おいおい、飲み過ぎだろ」
ぐがぁと大いびきをかく宰相だ。
「誰か治癒魔法を使える奴はいるか?」
軍務卿が従僕たちに確認をとる。
もちろん、こうした事態もおじさんの想定内だ。
宰相を近くの四阿に寝かせ、治癒魔法をかける侍女であった。
「ったく。陛下、聞こえてただろ!」
国王の隣、湯船に腰を落ちつける軍務卿である。
「センパイ、随分とたまってるぜ。なんとかしてやんねえと」
「……そんなことは百も承知じゃ。だがなぁ……」
色々と仕事が多いのだ。
特に最近では貴族街の復興やらなんやらと手がかかる。
なんだったら、もういっそのことダンジョンに住まわせてくれないかという声も聞く。
おじさんの作った町は存外に気に入られていたのだ。
そこで国王はふと気づいてしまう。
いや、気づいてしまった。
忙しいのって、だいたいリーのせいじゃないか? と。
バカみたいなペースで色んな物を開発していく。
どこまで公開すればいいのか迷うことも多い。
宝珠次元庫がようやく片付いたと思えば、馬車に転移陣にエトセトラ。
磁器や漆器などはかわいいものだ。
擬似的な魔法生物? もはや意味がわからない。
ただ、そんな姪っ子の発明がなければ、もっと厳しい状況に追い込まれていたはずだ。
貴族街の復興も今のようにスムーズにいかなかっただろう。
そういう意味で言えば、救国の英雄だ。
「そういや魔法薬師たちも休暇を取らせるって聞いたな」
軍務卿の問いに国王が鷹揚に応える。
「うむ。リーから直奏されたからのう。まぁいい機会だ」
「で、ここに来させるのか。もう帰ってこないんじゃないか?」
うわははは、と笑う国王である。
だが、その発想はなかった。
「そうなったら……ドイル、お前が連れ戻してくれ」
「なんでだよ!」
「ロムルスのことを心配しておったではないか」
ニヤニヤとする国王だ。
「そりゃ……そうだろ。宰相なんて国の要なんだから」
「じゃから任せたぞ!」
軍務卿は遠慮などせずに舌打ちをする。
「ったく。兄弟そろっていい根性してやがる」
「まぁそれはそうとして、この温泉地はいいな。リーが自ら手を入れたと聞いたが、ここまで素晴らしいものだとはな」
「……それには同意する。あの娘っ子は何者なんだよ」
ざばっとお湯をすくって顔を洗う軍務卿だ。
「リーはリーだ。ふふ……素晴らしい湯に、心癒やされる景観。ウマい酒にウマいメシ。他にはなにも要らぬ。まだ先のことじゃろうが、引退したらここに住むぞ、ワシは!」
「それもいいかもなぁ」
「ここは楽園ぞ、楽園。リーには感謝せねばなるまい!」
呵々と大笑する国王であった。
その背後に忍び寄る怪しい影。
「ほおん。あなたはこの私も、この腹の子も要らぬというのですか?」
ビキビキと額に青筋を立てた王妃である。
「げええ! アヴリル! なぜここに!」
国王が振り向く。
王妃の後ろで、ニマニマとしながら小さく手を振るのはおじさんちの母親である。
「ヴェロニカが連れてきてくれたのです。お腹の子と私のことをいたわってね!」
言葉の端々から棘がにじんでいる。
「はうあ、ちがう、ちがうのだ!」
国王は見た。
コソコソと気配を消して逃げようとする軍務卿を。
その肩をがっしりと掴んで逃がさない。
「おい、陛下。オレを巻きこむなって!」
「う、うるさい。軍務卿は王の盾となる者。逃がしはせん。逃がしはせんぞ!」
「ば、バカ……おい、やめろって!」
「お逝きなさい!」
王妃は言葉と同時にパチンと指を鳴らす。
それをきっかけに母親が両手を組んで天に掲げた。
【
花火大会で見たときから、母親はこっそり練習していたのだ。
母親の背後に
それが大口を開けて、ブレスをためていた。
「ばっか、やべえって! おい、ヴェロニカそれはやっちゃダメなや……」
ぎぃやあああああ。
国王と軍務卿が高く打ち上げられていく。
「ちぃ。リーちゃんのに比べるとぜんぜんね! やっぱりちゃんと詠唱しなくちゃいけないわね」
「ねぇ……ヴェロニカ」
「どうかしましたか?」
「……やりすぎ」
姉からの思わぬ言葉に、母親はてへぺろするのであった。
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