第258話 おじさんのいない王都で薔薇乙女十字団が奮戦する
「エーリカ、そこはちょっと違うのです!」
本日は珍しく部室に三人しかいない。
「うんたった、ではないのです。うん・たったの感じなのです」
「一拍いれるってこと?」
「一拍も入れたらずれるのです! だから気持ち入れる感じでやるのです。その方がバシっと決まったときにカッコいいのです」
聖女が座っているのはドラムセットの前であった。
実は数日前に公爵家から
魔楽器が。
それは彼女たちにとっては、新しい玩具とも言えるものだった。
しかも送り主は敬愛するおじんさんなのだ。
演奏にも力が入ろうというもの。
メンバー全員が何かしらの楽器を弾けるというのも貴族の嗜みである。
しかし、この魔楽器は扱いが難しいのだ。
かなり繊細な魔力のコントロールを要求される。
つまり魔法の訓練にもなるのだった。
「難しいわね!」
聖女はドラムセットをひと目見て、これが自分の演奏する楽器だと決めた。
もともと聖女は農村の出身である。
農村のお祭りでは打楽器が使われていたのだ。
しかし貴族家では打楽器はあまり嗜まない。
もうちょっとお上品な感じの弦楽器や木管楽器が多いのだ。
聖女にとって、それらの楽器はあまり馴染まなかった。
だから、ドラムセットを見てすぐに動いた。
エーリカと名前まで書く始末である。
「ちょっと今のところ、アリィとあわせながら、もう一回やってみるのです」
「わ、私も!?」
驚いた声をあげるアルベルタ嬢だ。
彼女が肩からぶら下げているのはベースである。
「私の耳は誤魔化せないのです。アリィもさっきから怪しいのです」
当人は横笛を最も得意としているのだが、他の楽器も一通りいける。
なにせ軍閥貴族のお偉いさんの令嬢なのだ。
コネを使って軍楽隊を引退した士官が教師としてついていたのだから本格派なのである。
「はい、そこ! さっきも言ったのです。うん・たった、うん・たった、なのです」
「きぃいいいいい」
頭を掻きむしる、聖女であった。
「エーリカ、ちょっと変わるのです」
とん、とん、と軽く音だしをしてから、パトリーシア嬢はドラムを叩く。
初めてとは思えない、その手さばきに聖女もアルベルタ嬢も見惚れてしまった。
「わかったのです? 今の感じがしっくりくるのです!」
ふんす、と胸を張るパトリーシア嬢であった。
「アリィ、あわせてみるのです」
カウントをとってからドラムを叩くパトリーシア嬢。
それになんとか追いついていくアルベルタ嬢である。
そして、件のとこでやっぱり躓く。
「ダメダメなのです。こんなことじゃリーお姉さまには聞かせられないのです」
ヤレヤレといった感じで、息を吐くパトリーシア嬢であった。
「も、もう少し時間をくれないかしら? ちょっと音の調整に気をとられてしまうの」
魔力操作の問題である。
パトリーシア嬢はコクリと頷く。
「そもそもこの曲を演奏したいって言ったのはエーリカなのです。だからもっとがんばるのです」
「うう……確かにそうだけど、そうなんだけど!」
「エーリカが演奏したいって曲はいっぱいあるのです。私がぜんぶ楽譜に起こしたのですよ」
そうなのだ。
聖女には演奏したい曲があった。
しかし悲しいかな楽譜にはできなかったのだ。
そこで鼻歌を歌って、楽譜にしてもらったのである。
ちなみに今、練習していたのは『聖剣の伝説 戦いの組曲二 愛と勇気を小さな胸に』である。
哀愁を帯びたメロディと律動が同居する一曲だ。
「わかった! わかったわよ! がんばる、がんばるけど休憩にしましょ!」
そう言って、聖女は宝珠次元庫をとりだす。
「あ! エーリカも手に入れたのですか?」
アルベルタ嬢が驚きの声をあげる。
「そうよ。養父にごねまくってやったわ!」
どや顔をしながら聖女がとりだしたのは小さな樽であった。
「これは?」
「むふふ。リーの実家が試しに売りだしている新しいお水なの!」
「まさかそれも!」
「ええ、うちの出入りの業者をせっつきまくったわよ!」
“ふふん”と腰に手をあてる聖女だ。
「……ものすごく迷惑なのです」
「だまらっしゃい。そんなことを言うのなら、パティは学園のお水でも飲んでなさいな」
「それはないのです」
降参とばかりに手をあげるパトリーシア嬢である。
「ならばよし!」
と言うことで、聖女はコップを並べていく。
そこに聖女特性のレモンシロップを注ぐのだ。
濃くなりすぎないように、慎重に量を見極めながら。
「パティ、コップに氷を」
聖女の言うとおりに氷で満たす。
そして、トクトクと小さい樽から炭酸水を注いでいく。
「これで、あとは混ぜてできあがりよ!」
しゅわしゅわの炭酸水だ。
聖女はゴクリと喉をならした。
「エーリカ、まぜるものがないのだけど」
目を細めたアルベルタ嬢が呟く。
「…………てへ。忘れちゃった!」
「どーするのです! このままじゃ飲めないのです!」
パトリーシア嬢の抗議に、聖女が言う。
「こうすればいいのよ!」
人差し指を立てて、聖女は豪快にコップに突っこむ。
そして、ガチャガチャと音を立ててかきまぜた。
引っこ抜いた指は、すぐさま口の中に。
「ね、大丈夫でしょ?」
蛮族であった。
農村出身の聖女にとっては何でもないことである。
しかし、生粋のお嬢様二人はドン引きしたのだ。
「なに固まってるのよ、やってあげようか」
聖女の問いに二人はあわてて、グラスを手に取る。
「じ、自分でやるのです」
冷たい炭酸水に指をいれると、“ひぃやぁ”とパトリーシア嬢が声をあげた。
続いて、アルベルタ嬢も恐る恐る指をいれる。
最後は口に入れるのではなく、ハンカチで拭くのがお嬢様たる所以であった。
「うん…………美味しいわ」
「美味しいのです…………」
微妙な表情の二人とは対照的に、久しぶりの炭酸水に舌鼓を打つ聖女なのであった。
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