第226話 おじさん天空龍と相対する


 その場にいた者のすべてが、自分の耳を疑っていた。

 そして自分の目で見たものが信じられなかったのである。

 なにせ、うちのお嬢様に天空龍が求婚したのだから。

 

 それはアメスベルダ王国で広く知られるおとぎ話。

 龍に見初められた姫が求婚され結婚する。

 その代わりに国を救ってほしいと願うのだ。

 龍は姫の願いを叶え、姫は龍の願いを叶えた。


 そんなおとぎ話を彷彿とさせる一幕だったのだ。

 だが、結果はまるでちがう。

 うちのお嬢様は即答で、求婚を断ったのである。

 

 さすがお嬢様。

 そこに痺れる、憧れる、とはならなかった。

 なにせ騎士や侍女たちには、眼の前の出来事が現実だと思えなかったのだから。

 

『なぜ乃公だいこうの願いを断るのか!』


 巨大な足に踏まれたまま、天空龍がおじさんに問うた。


「結婚なんてしたくありませんもの!」


『それは龍差別だ!』


「ちがいますわよ、龍が嫌いなのではありません。あなたが嫌いなのです」


 辛辣な一言であった。

 騎士の中には、自分が言われたらと考え、顔を真っ青にする者もいたほどだ。


『な、なんだと……だ、乃公だいこうが嫌いだ……と?』


 返事の代わりにおじさんが首肯する。

 

「そもそも自分のことを乃公だいこうなどと呼ぶ間抜けを初めて見ました。とても滑稽ですわ」


 興がのってきたのか、“おーほっほっほ”と高笑いをするおじさんだ。

 

『ぐぬぬ……そ、そういうところだぞ!』


「なにがですの?」


乃公だいこうの気を惹きたくてやっているのだろう?』


 この会話ができない感じ。

 おじさんは、なぜか王太子を思いだしていた。

 いや、あれは少なからず魔道具の影響があったのだろう。

 

 しかし、だ。

 この天空龍は天然なのである。


「頭が痛くなりますわね」


『この胸の高鳴り! なぜぞんざいに扱われてドキドキするのだ!』


「知りませんわよ」


『きっとこれが恋! そう、乃公だいこうは恋に落ちたのだ!』


「勘違いですわ」


乃公だいこうにとって初めての相手、それがキサマだっ!』


 天空龍が大きな瞳でウィンクをしてくる。


『ほほほ。愉快なことをのたまうヘビでおじゃるな』


 おじさんが動こうとしたその瞬間、機先を制するようにバベルが口を開いた。

 

『主よ、あの調子にのっている小僧ならば存分に魔法を試してよかろう』


 トリスメギストスもいつになく好戦的である。

 

 一方でおじさんは、少しいつもとちがう心境を分析していた。

 確かに王太子と似た傲岸不遜な態度に腹がたつ。

 しかし、いつもより暴力的な衝動が強くなっているようにも思うのだ。

 

 なぜ――。

 この天空龍の前では平静を保てないのだろう。

 

『主殿、よろしいかや』


「かまいません。お好きになさい」


 バベルの身体が消える。

 次の瞬間に大気が震えるような衝撃音が響く。

 

「トリちゃん、なにかおかしいのですわ」


 バベルが手足に熱風のらせんをまとい、天空龍を殴り、蹴った。

 祖父がおじさんに見せた、あの技である。


『ああ。天空龍あれを見ると無性に腹が立つのであろう?』


 天空龍はなす術がないようだ。

 抵抗しようとしても、おじさんの召喚した巨神の足に踏みつけられたままなのだから。


「そうですわ、なにか知っていますの?」


『うむ。天空龍あれは主上が最も嫌悪する神の眷属なのだ』


「その影響がわたくしにもでている、と」


『神々の事情は詳しく話せん。が、あの小僧はかなり影響をうけておるようだな』


『ぎゃひい!』


 天空龍の牙が折れた。

 鱗が何枚もはがれている。

 

『ほほほ。頑丈なことだけが取り柄でおじゃるな』


「あんな性格ですの?」


『うむ。まぁ察してくれるか、主よ』


「面倒ですわね」


『さしあたり、あの小僧をどうするか』


 トリスメギストスは考える。

 あのバカは腐っても神獣なのだ。

 排除することはたやすいが、それをするとあのややこしい神が干渉してくる可能性がある。

 

 となると、だ。

 主上が黙っているわけがない。

 恐らくはかつての大災害がふたたび起こる。

 

 いや、とトリスメギストスは考え直す。

 自らの愛し子が関わっているのだ。

 となれば、大災害ではおさまらないかもしれない。

 

 では、どうするか。

 

 トリスメギストスが方策を考えていると、おじさんの耳飾りが光った。

 水の大精霊からもらったものだ。

 

 耳飾りが“りぃん”と音を立てて、魔法陣が展開する。

 姿を見せたのは水の大精霊であった。

 

『リー、迷惑をかけましたね』


「ミヅハお姉さま!」


『お母様から緊急の言づてがありました。あの義愚弟あほうは私が引き取ります』

 

 バベルによってボコボコにされた天空龍を指さす大精霊である。

 事切れてはいないが、気絶はしているようだ。

 

「かまいませんの?」


『ええ。それが私の仕事でもありますから』


「ではお願いしますわ」


 おじさんの言葉に頷いて、水の大精霊が気を失った天空龍と一緒に姿を消した。

 触れてはいけない神々の事情。

 そこに巻きこまれたくないなぁと、おじさんは思うのであった。

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