第224話 おじさん祖父を説得する


 祖父は天幕の中で侍女たちに淹れてもらったお茶を楽しんでいた。

 既に準備は万端に整っている。

 後は愛しい孫娘が帰ってくるのを待つだけなのだ。


「この器は美しいのう」


 おじさんが作った漆器を手にして、眺める祖父である。

 黒の下地に金銀がふんだんに使われた意匠は絢爛なのだ。

 

「お嬢様が力を入れていましたので」


 侍女の言葉に祖父は“ふふ”と笑いをこぼしてしまう。


「リーからは色んな物が飛びだしてくるな」


「楽しゅうございませんか?」


「楽しいな、この上もなく。リーが作った温泉も楽しみじゃ」


「はい。私たちも少し堪能させていただきましたが、とてもいいものでしたわ。あとトリスメギストス殿によれば、水虫の治療にも効果が期待できるとのこと」


 侍女の言葉に祖父が目をクワッと見開く。

 

「い、今、な、なんと言ったかな」


「はぁ。温泉を堪能させていただきました、と」


「その後じゃ、後」


「トリスメギストス殿が、みず……」


「それじゃ! それは本当のことなのか!」


 思わず、立ち上がり侍女の肩を掴んでしまう祖父である。


「その件については騎士たちの方が詳しいかと」


「なるほど! ゴトハルトに詳しく聞かねばならぬ……な」


 侍女がジトッとした目で見ていることに気づいた祖父である。

 

「い、いや。ワシはちがうぞ! うん、きっとちがうのじゃ!」


 その態度に息をつきたくなる侍女であった。


「ご隠居様。お嬢様がご当主様にこう仰っていましたわ。家族にもうつるのだから、しっかり治せと」


「はうあ!」


「お薬もお渡しになっていましたので、ご当主様にお聞きになられてはいかがですか?」


「く、薬じゃと!? あるのか!」


 祖父が侍女の肩を強く揺さぶる。


「ちょ、ご、御隠居様」


「すまぬ。ちと逸ってしもうた」


「ご隠居様、もう素直にお嬢様にお話になっては?」


“なんとかしてくれますよ”とは言わないが、同じことである。


「確かに、一理あるな。ワシのことではないがな、うん」


 その瞬間であった。

 晴天なのに、雷が落ちたときのような轟音が響く。

 

「何が起こったのじゃ!」


 祖父と侍女が天幕の外にでる。

 すると騎士たちが、空を見上げていた。

 

 ――空が割れている?

 

 いや、なにかがおかしい。

 空間にヒビが入り、割れているのだ。

 それをどう表現すればいいのか、祖父には思いつかなかった。

 

 そのヒビ割れのむこうから、轟音をともなって空へと一条の光が吸いこまれていく。

 

『だから! 主よ、それは危険すぎると言っただろうに!』


「仕方ないじゃありませんか! 一回は試しておきませんと!」


『試すのはいい。なぜあの試作結界を張らなかったのだ』


「張りましたわよ、でも機能しなかったじゃありませんか!」


『なぬぅ! そんなわけは……あったのか』


 否定しようとしたが、おじさんの自信満々の顔を見て悟ったトリスメギストスだ。


『ほほほほ。空間を抜いてしまったようでおじゃるぞ、主殿』


「あら? 本当ですわね。 お祖父様ぁーー!」


 おじさんが空中からゆっくりと降下しながら、祖父に手を振っている。

 

「ご隠居様! 空からお嬢様が!」


「リー!」


 祖父がおじさんをお姫様抱っこで受けとめる。

 まるで主人公とヒロインの出会いのような一幕であった。

 祖父と孫娘だけど。

 

「無事か、リー」


「まったく問題ありませんわ!」


 満面の笑みを見せる超絶美少女おじさんである。

 

「根源の法は修得したかの?」


 できない、とはまったく思っていない口ぶりの祖父だ。


「もちろんですわ!」


 おじさんも笑みを深める。

 ただ“詳しくは言えませんけど”と、寂しそうに言う。

 

「気にすることはない。修得できれば万事良しじゃ!」


 わははは、うふふと笑い合う祖父と孫娘である。

 

「では、リーよ。温泉郷へとむかうか」


「はい、お祖父様」


 エポナにまたがり、祖父と轡をならべて道中を行く。

 

「侍女に聞いたのじゃがなぁ」


 なんとも歯切れの悪い言葉を使う祖父である。

 おじさんは、なんとなく察してしまった。

“水虫のことだ”と。


 と言うか、である。

 おじさんが考えていた以上に、水虫で悩む男性は多かったのだ。

 この様子だと、女性とて悩んでいる人は少なくないのかもしれない。

 

「お祖父様、あちらについたらお薬をさしあげますわ」


「おお! そうか、いや、うん。ワシのことではないんだがの」


「お祖父様……しっかり治しましょうね」


 真っ直ぐおじさんに見つめられる祖父である。

 

「……はい」


 孫娘の視線に耐えきれなくなって、思わず下手にでてしまうのだった。

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