第205話 おじさん水精霊に名前をつける

 そこは現世と隔世かくりよの狭間であった。

 トリスメギストスと水精霊アンダインは、対話をしている。

 もちろん、おじさんについて、だ。

 

『……という訳でな。理解してくれたか、水精霊アンダインよ』


『それであの者の魔力がお母様と似ていたのですね』


『うむ』


 鷹揚に返答するトリスメギストスであった。


『では、あの者は私にとって妹です。このことは姉上に報告してもよろしいの?』


 水精霊アンダインが言う姉上とは、始原の精霊たちのことだ。

 神の手によって作られた最初の精霊。

 言うなれば、第一世代オリジンである。

 

『むしろ報告をしてくれた方がいい。このような手間をかけずにすむであろう?』


 精霊たちの間で話を広げておいてくれ、という意味をこめるのを忘れない。

 できる使い魔なのだ。


『わかりました。では後ほど報告をします。私ものすることを見てみたいですしね』


『あまり時間をとると主がなにをしでかすかわからん。戻るぞ』


 こうしてトリスメギストスと水精霊アンダインは連れだって現世へと転移する。

 その瞬間に聞こえてきたのは、おじさんの高笑いだった。


「おーほっほっほ! シクステン、裏をかきたかったようですが、それは悪手というものですわ!」


「な、なんだってー!」


 待っているのが手持ち無沙汰になってしまったのだ。

 そこでおじさんは、副長とゲームに興じていた。

 

 フレメアの背中を煤けさせたものだ。

 副長が勝てば、先日のうどんを作ってあげる。

 おじさんが勝った場合は、副長のデザートをもらうというかわいいものだ。


「これでシクステンは五日間、甘味は抜きですわよ」


 上機嫌なおじさんの声が響く。


「お嬢、もう一勝負! もう一勝負、おなしゃす!」


『主よ、なにをしているのだ?』


「トリちゃん、おかえりなさいまし」


「はう!」


 副長はトリスメギストスの隣にいる水精霊アンダインから目が離せない。

 なぜか彼女の視線が自分にむいているように感じたからだ。

 

「どうかしましたの?」


 おじさんは変な声をあげた副長に声をかける。

 が、副長は顔を青ざめさせて固まってしまった。


『主よ、事情は説明しておいた。水精霊アンダインも納得しておる』


 そんな副長を助けるように、トリスメギストスが割って入る。


「よくわかりませんが、わかりましたわ」


『トリスメギストスから話は聞いています。その湯が湧く場所を中心に開発したいのでしょう?』


 水精霊アンダインの言葉に、コクリとおじさんは首肯する。


『毒の木を増やしておいたのは人除けのためだったのですが……私が使える場所はきちんと作ってほしいのです。約束してくれますか?』


「もちろんですわ!」


 おじさんの笑顔に、水精霊アンダインもまた笑顔で返す。

 美少女と美人が微笑みあう姿は尊いものだ。

 

 ただ美女の背中の甲羅がなければ、と副長は考える。

 その瞬間であった。

 

 突如として地面から噴出した水柱が副長の股間を突き上げる。

 

「ッアアアアアアアアア!」


『不埒なことを考えるからです。ところでリー』


 ゴミを見るような目で、水精霊アンダインは副長に言う。

 続けて、おじさんを優しげに見つめる。

 

『あなたに水精霊アンダインと種族名で呼ばれるのは悲しいのです。そこで名をくれませんか?』


「名……ですの? それって契約に関わりますの?」


『いえ、契約にはなりません。ただ、あなたから名を贈ってほしいのです』


 ふむ、とおじさんは考えこむ。

 まぁ契約にならないのならいいか、と思うのだ。

 でも名前。

 

 水の精霊だとすれば、ヴォジャノーイとかルサールカが有名だろうか。

 いや、どっちも半分妖怪みたいなものだ。

 待てよ、とおじさんは考える。

 前世の記憶を引っ張りだす。

 

「ユトゥルナ。ユトゥルナはどうでしょうか?」


 ユトゥルナはローマ神話における泉の神である。

 おじさんの問いに、水精霊アンダインは大きく頷いた。


『これより我が名はユトゥルナとする。我が妹リーに感謝を』


 神の代行者たる上級精霊から祝福がもたらされる。

 それはキラキラと光る霧のようなものだが、なぜかおじさんには効果がなかったようだ。

 

『ん? はじかれた?』


 上級精霊である水精霊アンダインの祝福が、だ。

 そこにトリスメギストスから鋭い声が発せられた。


『ユトゥルナ!』


 激しく明滅する宝石。

 その様子を見て、水精霊アンダインもただごとではないことを理解した。


『……承知しました。リー、それではあなたのやりたいことに手を貸してあげましょう』


「ありがとうございますわ、ユトゥルナ様」


『ユトゥルナお姉ちゃんって呼んで……』


 わざとらしく咳払いをするトリスメギストスである。

 喉なんかないのに。

 調子にのるな、と警告したのだ。

 

「ユトゥルナお姉さま!」


 しかし、その警告はおじさんの一言で意味をなさなくなった。


『なぁにい、リーちゃあん』


 その言葉に思わず、“にっちゃあ”とした笑顔を見せてしまう水精霊アンダインなのだ。

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