第177話 おじさんのいない公爵家邸にて
おじさんたちがいない公爵家邸は火が消えたように静かだった。
邸にいるのは父親と母親、そして残っている使用人たちである。
人数的には半減したとも言えるのだが、それ以上に邸の中が静かなのだ。
そんな公爵家邸で夕食を終えた夫妻がサロンで寛いでいる。
「久しぶりね、あなたと二人だなんて」
「そうだね。嬉しいんだけど、寂しくもある。不思議な感覚だよ」
「……お姉さま、ご懐妊されたそうよ」
「え? そうなの?」
「そんな感覚があったって手紙には書いてあったけど」
“ああ”と父親は思わず、遠い目になった。
兄がげっそりと頬を痩けさせているのを思いだしたからである。
「でも気のせいかもしれないから、また、お世話になるかもって」
「男にはわからないけど、女性はそういうのってわかるものなのかい?」
「そうね……私はわかったわよ。なんとなくだけどお腹に別の魔力が宿るから」
「ああ、それで」
「王家の跡継ぎの話なんてどうでもいいのよ。それより……」
母親が目で促す。
邪神の信奉者たちのことである。
ぱちん、と指を鳴らして母親は遮音結界を張った。
「順調だよ。殿下についていた教育係の内偵も進んでいる。それにリーがまたやってくれたしね」
「そうなの?」
「今日、ハムマケロスの代官から飛空便が届いたよ」
飛空便とは王国内で使われている緊急用の伝達手段である。
空を飛ぶ小型の魔物を使ったものだ。
他の手段よりも圧倒的にスピーディーに情報の伝達ができるが欠点もある。
距離が遠くなるほど、他の魔物に襲われる危険性が高くなるというものだ。
つまり情報が漏洩するリスクもあるため、おいそれとは使えない。
無論、暗号化された手紙が用いられるがリスクはゼロにならないのだ。
その危険性を承知の上で、連絡するということはよほどのことのみである。
「で?」
「ハムマケロスで蠢動していた邪神の信奉者たちを一網打尽にしたって」
“あはははは”とお腹を抱えて笑う母親である。
膝の上に乗っていた黒銀のスライムは、何事かと身体を上下させた。
それを優しく撫でる。
「まったくあの娘は」
目尻にうかんだ涙を指で拭いながら、母親は愛する旦那を見る。
「娘に良い格好ばかりさせてちゃダメよ。わかってるわね、スラン」
「ああ、わかってる」
「ところでリーちゃんはケガをしていないでしょうね?」
その瞬間、母親の身体から陽炎のように魔力が漏れる。
周囲の空気を歪ませるほどに、それは濃密だった。
「ヴェロニカ、落ちついて。リーは大丈夫だから」
「そう。ならいいわ」
父親の言葉に魔力を制御してみせる母親であった。
「私の庭を引っかき回してくれちゃって、どうしてくれようかしら」
膝上の黒銀のスライムがブルブルと震える。
グラスを片手に、葡萄酒を含む彼女の姿はまるで古の魔王のようでもあった。
「代官のアウリーン卿は優秀だからね。それになんだか随分と今回の件には入れこんでいるみたいだから、そんなに時間はかからないんじゃないかな」
「そう……スラン、わかっているわよね?」
父親は無言で頷いた。
「恐らくは他の場所でも蠢動しているはず。でも、それは陽動よ。狙いは――」
「――王都だね」
邪神の信奉者たちが狙うのは国家の転覆であろうと目算はついていた。
そのために王国のあちらこちらで準備を整えているのだろう。
なのでその対策に国内の主立った貴族たちは奔走している。
「楽しみね。どんな手を打ってくるのか」
「……ヴェロニカ」
母親は飲み干した杯をかたりとテーブルに置く。
そして表情を消したまま、シンシャの本体を連れて席を立つ。
父親は思う。
ドラゴンの尾を踏んだな、と。
「生まれてきたことを後悔させてあげるわ」
鏖殺姫。
母親の若かりし頃の異名である。
子を産んで丸くなったと思っていた父親だが、その本質は変わっていないことを改めて知った。
そして、哀れむ。
邪神の信奉者たちを。
ただし同情はしない。
だって、父親もまた怒っていたのだから。
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