第170話 おじさん豚鬼人の集落を前に腹を括る


 ギルヴジヴ峡谷。

 峡谷とは底がV字になっている谷のことだ。

 おじさんはギルヴジブ峡谷の景観に驚いていた。

 なにせ昇仙峡のように緑が豊かで、水量も豊富な川が流れていたからだ。

 

 名前の響きから、おじさんはグランドキャニオンのような荒涼たる大地を想像していた。

 しかしよくよく考えてみれば、だ。

 豚鬼人オークとて生き物である。

 

 水や食料がないような場所に集落を作りはしない。

 集落の人口を賄えるだけの食い扶持が必要だからだ。

 

 ちなみに豚鬼人オークの姿も、おじさんが思っていたのとはちょっとちがっていた。

 豚の頭に人間の身体なのはイメージどおりなのだ。

 だが頭部には暗くくすんだ茶色の髪の毛がある。

 ふっさふさの髪の毛があるだけで、随分と人間っぽく見えるのだから不思議だ。

 

「なんだか平和に暮らしてますわね……」


 おじさんたちは少し離れた場所から、豚鬼人オークの集落を見下ろしていた。

 木で骨組みを作り、葉っぱを屋根にしたシェルターが複数見える。

 たき火がいくつかあり、さらに水辺では小さな豚鬼人オークが水浴びをしていた。

 聞こえてくる声は、どこか楽しげでもあったのだ。

 

「気が引けるかい?」


「……まったく気にならないと言えば嘘になりますわね」


 おじさんは魔物を討伐した経験が少ない。

 特にヒト型の魔物はゴブリンくらいしか相手にしていない。

 否、あれは光神ルファルスラの神鎖であるアンドロメダがやったのだ。

 おじさんは手を下していない。

 

 魔物はこの世界を生きる人間にとっての天敵である。

 ともに手を取り合い共存することができない、不倶戴天の敵なのだ。

 だからこそ魔物は殺す。

 

豚鬼人オークは種族的にメスが少ない。だから他の種族のメスをさらって子を産ませる小さな個体がいるということは、この集落でも犠牲になった女がいる可能性が高い」


 諭すような口調でフレメアはおじさんに言う。

 

「見るだけにしておくかい?」


 侮っているわけではない。

 フレメアは気遣っているのだと、口調から伝わってきた。

 

「ご配慮はお気持ちだけで。民たちの剣となり、盾となるのが貴族の務めですもの。豚鬼人オークの命は、魔物の命はわたくしが背負うべき業ですわ」


 おじさんは豚鬼人オークの集落を真っ直ぐ見る。

 アクアブルーの瞳に迷いは見られない。

 

 そんなおじさんを見て、“くく”とフレメアは小さく笑った。


「ケツにタマゴの殻がひっついているヒヨコじゃあなかったか」


「必要とあらば、どこまでも残酷にもなりますわよ」


 おじさんの答えに満足したのだろう。

 女傑が実にいい笑顔で頷いた。


「さすがヴェロニカの娘だ」


 なぜ母親の名がでてくるのだ、と不思議に思うおじさんであった。


「リー、アンタが狼煙をあげな!」


 と言いつつ、フレメアは騎士たちに指示をだす。

 豚鬼人オークの集落を取り囲むような配置だ。

 一匹たりとも逃さないという決意が感じられる。

 

「フレメア様、集落に囚われている女性を救助しますか?」


「いや残念だがもう助けられない。あれの子を産ませられるってことは、もう壊されてるってことなんだ。助けられるものなら助けてやりたい。が、どうにもならないことだってある」


 目を伏せ、歯がみするように絞りだすフレメアである。

 勝ち気な彼女のそんな姿を見て、おじさんも理解した。


 彼女は実際に被害者を見たのだろう。

 同じ女である。

 助けられるものは助けたい。

 しかしそれができないもどかしさ。

 幾度も経験したが故の苦悩なのだ、と。

 

 あの集落に人間の女性が囚われているのかはわからない。

 しかし、子がいるのだからその可能性はある。

 

 救済を目的とした死を与えることに抵抗はあった。

 それでもおじさんは腹を括る。

 この世界で生きていくには、そうした覚悟が必要だから。

 

 少しの間をあけて、騎士たちから合図がでる。

 全員が配置についたのだ。

 

「リー、ド派手にいきな!」


「わかりましたわ!」


 おじさんはフレメアの意を汲む。

 そして目を閉じて、パンと音を立てて柏手かしわでを打つのであった。

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