八、仕事

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 酒呑童子。あやかし世界の中で上位に君臨する鬼族の中で郡を抜いた力を持つ鬼。その血族である桜雅は酒呑家を担う次期当主であると期待されていた。

 それと同時に、太古にあやかしと人間との共存を保つべく捧げた誓いより、一週間に数回、巡邏を任されている。

 これはあやかしと人が互いに害を及ぼしあうのを防ぐ事と法に反する者を取り締まる事の二つの意味を持つ。後方は古の誓いとは関係なく、桜雅の人間界での仕事である。

 無論、一人で巡邏するには相当な時間を要するので、優秀な部下たちと分担して行っている。

 この巡視は、誰が何時、何処でまわるのか一切決めておらず、毎度不定期で行われる。こればかりは上が決める事なので、桜雅がどうこう出来る訳もなく、ただ指示に従う。そのため早朝に帝都へ出向くこともあれば、夜更けに名も知らぬ村へということもある。

 唐突に出される命は、毎度部下たちに半べそをかかせたり安心させたりとまるで御籤のようだと、桜雅は第三者であるかの如く思っていた。

 まだ当主にさえなっていないのに桜雅が巡邏をしているのは、現当主である桜雅の父が役目を半ば放棄したからである。

 子に対する情け一つない父親に憂いや憤りを覚える心は、生憎持ち合わせていない。随分と昔に捨ててしまった。



 その日も前日に上からの連絡があり、黄昏時に帝都から離れた山奥に向かった。

 勿論、山奥なので人影はなく、周りは木々が生い茂っている。

 日も落ち、半分に欠けた月が紅色にあやしい光を放ち、道を僅かに照らす。

 若干の警戒心を持ちながらも、変わった気配は少しも感じず、ただただ山道を進む。

 普段、人の前に立つ時は消している角や牙も隠さずありのままにしているのは、人の気配さえしない静か過ぎる山奥にいるからである。

 定められた目安を早々に達成し、屋敷へ戻ろうと足に力を入れた時、どよんと淀んだ空気が肌に触れるのを感じる。


(……東北東あたりか)


 桜雅は淀んだ空気の発生地を探ると、地を一蹴する。

 足が地に着く度に一町ずつ進むその速さは、忍者の如く鴻毛で敏捷だった。

 身体能力の抜群に高いあやかしであれば何のこれしき。中にはたったの一蹴りで山を一超えする者もいる。

 地を蹴る度に不穏な冷気は濃さを増す。

 次に地に着地した時、生い茂った木々の隙間から冷気の根源らしき化物を視界に捉えた。と同時にその前で腰を抜かす少女も目に入る。

 化物が今にも少女を喰らおうとしているのが一目で読み取れた。

 腰に刺している刀の鞘に手を添え、柄を握り構えた後、だんっ、と地面を力強く押す。

 そのまま化物に向かって駆け出すと鞘から日本刀を抜く。

 刀のカチリという音と同時に、飛びかからんとする化物の舌を断ち切り、全身に軽く刻み刃をしまう。後、少女を両手で抱え、害悪から距離をとる。

 一聞、数秒かかりそうなこの作業も、桜雅は難なく瞬きと同じ速さで処理する。

 呻く害悪の纏う空気、見た目や頑丈さから喰らった人数をおおよそ両手で収まる程だろうと推定する。

 すると這いつくばっていた化物はまたも腕の中の少女に襲いかかる。

 身の縮こまった少女が桜雅の外套を掴むのが分かった。


「炎」


 桜雅がたった一言放っただけで、化物は業火に包まれ塵となった。

 一語で滅することが出来るということは、やはりまだそれ程喰っていなかったのだと桜雅の推定が確信に変わる。


 赤、青、黄の鬼が妖術を使う時は掛声のようなものを発する。それによって、術の強弱を調節することが出来る。その中でも漢字一語の術は威力が弱い。弱いと言えど、桜雅程になれば人を喰らい力をつけた者でもある程度難なく滅せられる。


 これも最近の案件と関連しているのだろうと考えていると、少女を抱えたままであることに気づく。

 あまりにも軽く静かであるので忘れかけていたが、確か彼女は怪我を負っていたなと思い返す。

 少女に目を向けると目を閉じてぐったりとしている。

 気を失ってしまったのだろうか。とは言え長い舌で締め付けられていた足首は青紫を帯びていたが命に関わるものでは無い。とすると化物への恐怖心が限界に達したためか、と思い至った時、はたと自分が角を隠していないことに気づく。


「……」


 自分のせいかもしれないと桜雅は思った。

 人ではあらざる者に襲われて、また人ではあらざる者に抱えられたらどれ程恐ろしいだろうか。

 桜雅の外套がいとうを掴んだのも、本当は逃げたかったのかもしれないという考えが桜雅の脳を過ぎった時、腕の中で小さくとも健やかな寝息が聞こえる。どうやら疲れて寝てしまっているだけのようだ。

 少し安堵した桜雅はもう一度少女の無事を確認する。

 この程度の怪我なら帝都の病院に入れば治るだろう。足の骨はヒビいってるかもしれないがまぁ大事ないと判断し、病院へ向かおうとした時、さらっと少女の白い肩があらわになった。

 害悪から逃げるために抗ったのであろう、おかげで着物がはだけてしまったようだ。

 その白すぎる肩は強く抱きかかえればすぐさま壊れてしまいそうだ。

 少しなからず動揺した桜雅はすぐに平生を取り戻すと、その肩の白に青紫を見つける。


(……これは)


 それは足首よりもさらに紫を増した痣があった。まだ時間が怪我を負ってから差程経っていないだろうと桜雅は推測する。

 その青紫は恐らく化物につけられたものでは無い。

 舌が長い以外には特に能を持たないものだった。ここまで酷い傷をこの場所に作るのは無理に近しい。

 見ているこちらが苦虫を噛み潰したような顔になるその傷は、命に関わる怪我では無いものの、然しどうにも桜雅の心に引っかかってしまう。


「……」


 たった数秒程思案した後、桜雅の行き先は帝都病院から自分の屋敷へと変更する。

 自分の外套を少女の肩が隠れるようにかけると、そのまま半月の淡い光がさす夜闇の中へと駆けて行った。

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