三、過去夢《弐》

 今日も長居するまいと、和子と道代に挨拶をすると、来た道を引き返す。


 幸い、まどかの家からは誰も出てくる気配はなかった。

 ほっと胸を撫で下ろした矢先、突然後ろから声がする。


「あら、忌み子じゃない。相変わらず汚ったない格好なこと」


 びくりとして後ろを振り返ると、そこには円といつも円に取り巻く女子二人が突っ立っていた。

 艶のある黒髪は半上げされ、深緑の大きな手絡を頭につける円は、帝都の女学生の様に華やかに着飾っていた。

 少し色素の薄い傷んだ髪を無造作に一つに編み、着古して色あせてしまった香色の着物を着た東風こちとは、住む世界が違うように見えた。


「どう…して……」


 つい思っていたことをぽろりと零してしまった東風に、円はいやににやりと笑う。


「どうしてって、最近忌み子に会えてないなと思って会いに来てあげたの。今日は修業もお休みだからちょうどいいと思って」


 近づいてくる円に後退りした東風の腕を取り巻く女子が掴む。


「円が自分の休みを削って会いに来てくれてんのに何逃げようとしてんの」


「まどか〜。呪子触っちゃったから後できれいにしてねぇ」


 きゃっきゃきゃっきゃと騒ぐ女子たちに捕まり、動けずにいると、円は風呂敷を持っていない方の手で東風の肩を思いっきり殴る。


 ごんっ


「いたっ……」


 鈍い音が耳の中の鼓膜を震わす。

 これは夢であるはずなのに、昼間感じた痛みを今も感じたような錯覚に陥る。


「忌み子はちゃんとお祓いしなくちゃ周りが呪われちゃうからね」


 くすくすといやらしく笑う円は扇子を閉じると東風の胸をばしんと叩く。


「あら、呪子のくせに身体はちゃんと大人になっているのね。こんな醜女、誰ももらってくれる人いるはずないのに」


「うっ…」


 痛みに耐えながら、耳から聞こえてくる言葉に唇を噛む。

 するとその話に他のふたりも乗っかる。


「呪子かわいそぉ。円は帝都の軍人さんと結婚するんでしょ?さすがまどか〜」


「その軍人さんとはもう会ったのでしょ?どんな殿方なの?」


 円はちらりと東風を見ると嘲笑ってから、二人を見てにこりと微笑んだ。


「それはもう私にいつでも優しくして下さる紳士な方よ。今度慎一さんの上司の方の家に二人で訪問することになっているの」


「その上司って、あの噂の?」


「えぇ、噂が本当かは分からないけれど、その隊長さんよ。今日は今から慎一さんとそのことについて夕食を交えてお話するの」


 円は東風に視線を戻し、さっき殴った肩の部分に今度は足をあて、東風を蹴り飛ばした。

 掴まれていた腕が離れ、後ろに大きく尻もちをつく。

 ずきんずきんと蹴られた部分が身体に響く。


 円は満足そうに笑って東風に背を向ける。


「私もこれ以上あなたに構ってあげられる時間がないから、今日はこの辺にしておいてあげる」


「まどかぁ、修業の鬱憤はこれで晴らせたぁ?」


「えぇ、本当に呪子はいい道具ねぇ」


 からからと笑いながら三人は村の方へと消えていった。


 空を見上げると、いつの間にか太陽が傾き、月が南の空にうっすらと登っていた。


 ――こんな醜女誰ももらってくれる人いるはずないのに―――


 円に言われた言葉が脳内を過ぎる。


 周りの同い歳の子たちは、恋したり婚約したりと忙しながらも楽しそうにしているのに、東風には一向にその波に乗ることが出来ずにいる。

 いや、この村の子供と結婚するくらいなら一人で生きていったほうが幸せなのかもしれない。

 円の言う通り、まず誰も東風を娶ろうとしないだろうけれど。


 でも、幾つになっても円の奴隷なのは変わらないのだろうか。


 今の自分の人生は夜のようだなと、東風はふと思った。夜闇の様な漆黒に包まれ、月の光はあれど温めてくれる太陽は何処にもない。周りに咲く木々や花々も暗闇に呑まれ、色を失っている。

 苦しさや空虚さが込み上げてきても、涙は出てこない。

 6年前にとっくに枯らしてしまった。


 そんなただ生きているだけの人生。


 そう思った時、ふわっと美しい青年の姿が脳裏に描かれる。


 初めて。生まれて初めて東風を救ってくれた青年。


(もう一度会いたいな)


 それも都合のいい夢だったのかもしれないなと思ったその時、東風の意識はふっと途切た。



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