二、過去夢《壱》
(あれ、ここは…)
(いや違う)
この状況、今日の昼間と全く同じである。
(夢…なのかな。でも夢にしては現実味がある気が…)
東風が今の状況に戸惑っていると、女性の声が聞こえてきた。
「今日の山菜も綺麗な緑をしているわねぇ」
東風の取ってくる山菜をいつも買ってくれる和子は、夫婦で八百屋を営んでいて、これは山奥でしか手に入らないからと喜んでくれる。
(そうだ、これは和子さんに山菜を届けに行った時の)
「ありがとうございます」
勝手に喋り出した自分に驚くが、そういえばこんなやりとりもしたなと納得する。
東風が感謝を述べると、隣に立っていた道代が東風と和子に話しかける。
「お二人とも、もうお聞きになさった?和子さん家のお向かいに住む
まどか。その名前を聞いただけで心臓がどくんと嫌な音を立てる。
思わず下を向いてしまった東風には気付かず、道代と和子はその話で盛り上がる。
「あら、そうだったの。ちなみに、お相手は?」
「それが、まぁなんと軍人さんらしくて。しかもあの陸軍第壱部隊の隊長補佐官だとか。」
「まぁ、あの噂の陸壱隊の。隊長が絶世の美青年でまだお若いんだとかっていう?」
この国の経済のことや政治のことは全く持って知らない東風だが、軍隊の事は少しだけ知っていた。
昔、父が軍人さんは格好良いんだぞとあれやこれやと話していたのを思い出す。
父は両親が畑仕事で生計を立てていたので、その流れで同じ仕事に着くことにしたが、幼い頃から軍には憧れを持っていたらしい。
父の話では、国家軍隊は大きく六つに別れており、陸、海、空、それぞれ二部隊ずつで構成されている。その部隊の中でもさらに細かく分けられていたり、いなかったり。そんな大きな部隊の隊長は、実力は勿論、学歴も優秀な人材ばかりらしい。
そしてその陸壱隊隊長は、若くしてその地位に君臨されたそうな。
この話は最近、村に来て和子や道代などの奥方と世間話をする時にたまたま耳にしたのであった。
凄い方だなと思いつつ、先程から東風の脳内を支配するのは円の事ばかり。
俯く東風に気づいた和子は、東風の背中をぱんぱんと叩くと朗らかに笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。あんたは村一番のべっぴんさんなんだから。」
「そうよ。あなたみたいな謙虚で律儀な子がうちの子の嫁さんになってほしかったのに…あの馬鹿息子はお隣の志づちゃんにぞっこんで……」
「あらあら、小さい頃から仲が良かったものねぇ、正治くんと志づちゃん。良かったじゃないの」
二人は楽しそうにあの子はどうだ、この子はどうだと村の子供たちの色恋を楽しそうに話す。
きっと道代は自分の息子が東風を蹴り飛ばした事や息子のお嫁になるだろう志づが東風の着物を破いた事など露も知らぬだろう。
和子も、他の大人たちも。
その中でも円は、輪の中心に立ってはいつも東風に嫌がらせをしてきた。
円の母が資産家と再婚してから、この小さな村で一番の裕福となり、自分の視界に入る忌まわしいものは全て毛嫌いするようになった。
東風はお世辞にも綺麗とは言い難い格好をしており、また最愛の両親が亡くなってから暫くは魂が抜けたように生きていたため、不気味だと思われても仕方がなかった。
しかも、その両親も目も当てられぬほどに無残な姿で発見され、東風と同じくらいの歳の子達は、皆東風を呪われた子として遠ざけた。
円はそれを面白がって、村の子を集めて大人の目から見えぬ雑木林に東風を連れては、毎度毎度東風を奴隷の様に扱った。
それを見た他の子も、円と同じ様に東風に当たる。
大人は誰も気付かない。いや、気づいている大人もいたはずだが、見なかったことにした。
勿論、東風が声をあげれば助けてくれる者もいたろう。
しかし、東風は声をあげなかった。
分かっていたから。
告げ口をして注意されたところで彼らは変わらない。なんなら、告げ口をした東風を睨み、もっと酷いことをされる。
その恐怖と絶望が東風を諦めさせてしまった。
はじめはほぼ毎日の様に殴られたり蹴られたりしていたが、ここ二、三年はその頻度が徐々に落ちていき、今では陰口程度に収まっていた。
それも、円が花嫁修業を受けることになり、東風に構う暇が無くなったからである。
勿論、会えば何をされるか分からないので、東風は円が修業を受けているであろう昼間に村に来ては、最短で用事を済ませ、さっさと山へ帰って行った。
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