第93話 グウの魔法、再び

 刺すような冷たい強風がグウのほうに押し寄せた。


 氷の結晶が回転しながら、竜巻のようにビーズのまわりを旋回している。

 少しでも彼に近づけば、氷の刃によってズタズタに切り裂かれてしまうだろう。


 厄介だな、とグウは思った。


 この結晶の威力は、隊員たちの傷を見れば一目瞭然だ。

 魔王親衛隊の中でも一、二を争うビーズの魔力、そして、剣に宿った魔王の魔力。

 同じ遠距離攻撃でも、この前の変な仮面人形のクロスボウとは威力が違うはず。自分の皮膚にも十分、傷をつけ得るだろう。


「おーい! 防御を固めんのはいいけどさ! そっからどうやって勝つ気だ、ビーズ!」

(攻め手がないから、いったんあおっとこう。あいつ短気だし)


「フンッ、心配しなくても、今にわかるさ!」


 ビーズはそう答えると、もう一度、剣を高く振り上げた。

 すると、氷の竜巻がグウの両側に一本ずつ発生し、しかも自分のほうに迫ってくるではないか。


「げっ」


 二本の竜巻がグウを追尾するように高速で移動する。

 グウの足の速さなら回避するのは難しくなかったが、かといって、ずっと逃げ回っているわけにもいかない。

(さて、どうするか……)


 グウの脳裏に、ある一つの手段が浮かんだ。



 * * *



 一階のホール全体に冷気が立ちこめ、ギルティはぶるっと体を震わせた。

 視線の先では、グウが氷の竜巻から逃げ回っている。


 剣のぶつかり合いではグウのほうが優勢に見えたが、ビーズの攻防一体の魔法に対して、グウは成す術がないように見える。少なくとも、無傷で斬り込むのは不可能だろう。


 あまりに激しい戦闘を前に、ギルティはただ見守ることしかできない自分を情けなく思った。

(せめて杖さえあれば、少しは隊長の役に立てたかもしれないのに……!)


 ギルティが悔しさを噛みしめていると、ふいにグウが動きを止めた。

 二つの竜巻が迫りくる中、彼は何を思ったか、剣をさやにおさめた。


(グウ隊長?)


「仕方がない。ここは、あの魔法を使うしか……」

 前にも聞いたような、微妙に中二病っぽいセリフをつぶやくグウ。


(え? あの魔法って……まさか、あの魔法!?)

 ギルティの脳裏に、グウが使える唯一の魔法が浮かんだ。

 デクロリウムという魔界のくずを大量発生させ、辺り一帯を覆い尽くす災害レベルの魔法。

(あんな魔法、人間界で使ったら大惨事になるし、まさか使わないわよね?)


 ギルティが不安げに見つめる中、グウは左手をすっと前に伸ばして、手のひらを上に向けた。

 そして、右手で左手首をぐっとつかむと、その呪文を口にした。


「襲来せよ。力なき侵略者」


 ギルティは思わず「んなっ!?」と叫んだ。

(あの魔法だ!! 本当に使ったし!!)


 次の瞬間、グウの左腕の皮膚を突き破って、無数のつる植物が勢いよくのびてきた。

 恐るべき成長速度で、わずか一秒にも満たぬ間に、魔界のくずが全方位からビーズに襲いかかる。


 氷の竜巻によって、前後左右から伸びてきた葛は薙ぎ払われたが、真上からの侵入は阻止できなかった。

 天井から緑のつるがどどどっと降りそそぐ。


「くそっ」

 彼は剣でそれを斬り払おうとしたが、蔓の成長速度のほうが速く、一瞬にして体に絡みつかれた。


 ゴキゴキッ。

 蔓が彼の右腕の骨を砕き、剣を奪い取った。


 ぐあああっ――と、ビーズの悲痛な叫びが響く中、氷の竜巻は消滅した。


「な、なんじゃこりゃあっ」

 仰天するザシュルルト隊員。


 ホールは一瞬にしてデクロリウムの蔓に覆い尽くされ、ジャングルと化した。

 隊員たちもグウの魔法は初めて見るらしく、みんな驚愕きょうがくの表情を浮かべている。


 ギルティもあんぐりと口をあけたまま固まっていた。

 心なしか、前に見たときより蔓の成長スピードが速い気がした。しかも、今回は赤紫の花まで咲いている。


「容赦しないって言ったろ?」

 グウは剣をビーズの喉元に突きつけて言った。


「なんで……その魔法は使えないはずじゃ……」


「そう、普通の方法では使えない。このデクロリウムは繁殖力が強すぎるから、一度大地に根を下ろすと、町をまるごと飲み込んでしまう。だから、俺の体に根を張らせた」

 グウは腕を持ち上げて見せた。


 腕から生えたつるはざわざわとうごめいていたが、やがて茶色くなってしおれてしまった。


「枯れた……?」

 ビーズは自分に絡みついていた蔓が、干からびてパラパラと崩れ落ちていくのを不思議そうに見つめた。


「栄養の取りすぎだ」

 と、グウが答えた。

「血液に含まれる魔力を吸って爆発的に成長するが、あまりに魔力が濃すぎるとかえって毒になり、すぐに枯れてしまう。こうやって体に生やせば、周辺に被害を出さなくて済むけど、血を吸われ過ぎて貧血になるのと、腕が二、三日、使いものにならなくなるのが難点なんだよね」


 グウの左腕は、そでがボロボロに破れ、血まみれになっていた。


 だが、それを差し引いても戦闘不能なのはビーズのほうだった。

 脇腹の傷に、太腿ふとももの傷。利き腕は折れて使えないし、すでに剣も奪われている。


「俺の負けだ。止めを刺せよ」

 彼は折れた腕を押さえながら、地面にひざをついた。


「その前に説明しろよ。何でこんなことした?」


「何でって、説明するまでもないだろ。どうせアンタに消されるんだったら、いっそのこと派手に一戦交えてやろうと思ったんだよ」


「消す? 俺が、お前を? なんで俺がそんなこと……お前、絶対なんか勘違いしてるって。誰がそんなこと言ったんだよ」


 ビーズはグウの顔を見上げると、戸惑ったような表情を浮かべた。

「だって、俺が反逆罪を犯したから、隠蔽いんぺいするために……違うのか?」


「はっ? 反逆罪?」


 思いもよらぬ言葉が飛び出した、そのとき――


「なるほど。あなたが内通者でしたか」


 ふいに頭上から声がして、全員が上を見上げた。


 よく見ると、天井の細長いはりの上に、鉄骨にしがみつくようにして誰かが寝そべっている。やせ細った体にくすんだ灰色のスーツをまとい、ナナフシが木の枝に擬態するがごとく、鉄骨と一体化していたのは、諜報課のジムノ課長だった。


「うわっ、ジムノ課長!? いたんですか!?」


「ええ。私と諜報課の者が数名、館内に潜んで動向を見守っていました。ずいぶんゴタゴタしてましたね」

 ジムノ課長は、柱をつたってスルスルと下りてきた。


「内通者って、どういうことですか? まさか……」

 グウははっとして、ビーズのほうを見た。


「ええ。黄金の牙に作戦情報を流していたのは、彼だったのです。我々、諜報課も潜入調査によって、親衛隊の誰かが犯人だというところまでは掴んでいたのですが」


 グウは愕然がくぜんとしてビーズを見つめた。


 だが、ビーズはそれ以上に驚いた顔をしていた。


「今、知ったんですか……?」


「え?」


「じゃあ本当に、隊長も、お前らも……」

 彼は打ちひしがれたような顔で、グウと隊員たちを見まわした。顔色がどんどん青ざめていく。


「ビーズ、お前、何があったんだ? なんでそんなことした?」

 グウは、呆然ぼうぜんとするビーズの肩を掴んで揺すった。

「お前は簡単に仲間を裏切るような奴じゃない。何か事情があるんだろ!?」


「事情はどうあれ、これは一大事ですよ、グウ隊長」

 ジムノ課長が無機質な声で告げた。

「なにせ、魔王様が参加されている作戦で、敵と内通していたのですからね。さらには作戦中の命令無視と、味方への攻撃。立派な反逆罪です。無論、この件は魔王様にも議会にも報告させていただきますよ。ビーズ隊員は間違いなく極刑に処されるでしょうし、あなたも責任を問われることになるでしょうから、どうかご覚悟を」


「ちょ、ちょっと待ってください」

 グウはかなり焦った顔で言った。

「あのー……、どうにか隠蔽いんぺいできませんか? 結局、黄金の牙は討伐できたわけだし」


 グウの言葉に、ビーズが驚いた顔をする。


 ジムノ課長はあきれた顔で、

「ダメに決まってるじゃないですか。変な気を起こさないほうが身のためですよ、グウ隊長。下手にかばい立てすれば、あなたも同罪と見なされる恐れがあります」

 と述べてから、糸のように細い目でちらりとビーズのほうを見た。

「まあ、彼については、今後の運命を考えれば……今ここで殺してあげるのが、上司としての情けかもしれませんね」


 そんな……、と隊員たちに動揺が走った。

 さっきまでビーズと殺し合っていた者さえ、その例外ではなかった。


「殺してください、グウ隊長。俺なんか庇うことないですよ」

 ビーズが言った。


「お前……」


「べつに、たいした事情なんかないし。ただ、今の仕事が退屈だっただけだ。精鋭部隊っていっても、この平和なご時世じゃ、強敵と戦う機会もないし」

 彼は投げやりな口調で言った。

「戦って面白そうな奴らは、全員味方だ。だったら、あんたらの敵になってやろうと思ったんだよ。本気の殺し合いがしたかったんだ。だから、俺はもう満足したよ」


「嘘です!」

 ギルティが口を挟んだ。

「だって私のこと殺さなかったじゃないですか! 殺して食べることもできたのに、わざわざ監禁したのは、戦いに巻き込まないためじゃないんですか?」


「それは……」


「ビーズさん、本当のこと教えてください。一人で抱えないで、私たちに話して……!」


 ギルティにまっすぐ見つめられ、ビーズの眼鏡の奥の瞳が揺れた。


「話したところで、どうにもならないんです……もう俺の罪はアイツらに、魔界再生委員会に知られてしまってる……」


「魔界再生委員会? 誰だ、そいつら」

 グウは怪訝けげんな顔をした。

 聞いたことのない団体だった。


「仮面をつけた不気味な連中でした。はっきりとした素性はわかりませんが、その中の一人は、おそらく……」

 ビーズは一度、言い淀んで、それから意を決したようにこう続けた。

「おそらく、カーラード議長です」


 その名を耳にしたとたん、グウの顔が引きつった。

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