第2話 じゃなかった

 グウとギルティは城壁の上の通路を歩いて移動した。


 ぶあつい城壁は一見強固に見えるが、実はあちこち崩れかけている。

 見張りの兵はほとんどいない。いても居眠りしているか、座り込んで漫画を読んでいるか、どっちかだ。

 今日は天気が良く、風も強いので、使用人がラジカセで音楽を流しながら洗濯物を干していた。


 グウの黒いマントと制服のそでが風に揺れる。

 彼はちぎれた右腕を三角巾で吊っているので、片方しかジャケットの袖を通していない状態だった。通常は制服のジャケットの上からベルトを締め、腰にサーベルを下げている。今は腕が使えないが、いちおう帯刀したままだ。


(あの剣、抜いたとこ見たことないな)

 と、ギルティは思った。

(というか、隊長が戦っているところを一度も見たことがない。いつも雑務に忙殺されてて、戦闘には参加しないし……)


『隊長? ああ、隊長は戦わないよ』


 親衛隊の隊員たちは、みんな口を揃えてそう言う。


(正直、グウ隊長がなぜ四天王と呼ばれているのか、私にはまだわからない。前任の親衛隊長がそうだったから、繰り上がりで四天王になったって話だけど……)


「しかし、勇者だとしても、何で今さら攻めて来たんだろうな」

 グウがつぶやいた。


「たしかに」と、ギルティはうなずいた。「ここ200年ほど、魔界と人間界は互いに不可侵・不干渉というのが暗黙のルールになっていますし、最近では人間界のファッションやサブカルチャーの流行もあって、人間に好意的な魔族も増えています」


「その最たる例が、今の魔王様だしな」

 グウは言った。


 第13代魔王デメのゲームオタクぶりは人間界にも広く知られており、彼の治世が続く限り、人間界は安泰だといわれている。


「それに魔王様はあのとおり、15年も引きこもってる。今、あの無害なオタ――魔王様を討伐しても人間側にはなんのメリットもない。むしろデメリットしかないはずだけど」


 二人は巨大なシイタケの化石みたいな階段を下りて、地上に降り立った。


「――って言って帰ってもらうことにしよう」

 グウはつぶやいた。


 あ、やっぱり戦わないんだ、とギルティは思った。



 * * *



「グウ隊長! こっちです」


 魔王親衛隊の古株、ガルガドス隊員が城門の前で手を振っていた。

 一緒にいる赤い制服の魔族たちは、警備隊のメンバーだ。


「申し訳ございません、グウ様。わざわざお呼び立てしまして」

 警備隊の隊長がペコペコ頭を下げた。

 頭頂部の髪が薄く、そこそこ年配に見えるが、魔族の年齢はよくわからない。


「いえ、お疲れ様です。冒険者が来てるんですって?」


「いや、あの、冒険者と言いますか……」

 警備隊の隊長は困り顔で頭をかいた。

「とにかく会っていただけますか? 我々ではとても対応できそうになく……」


 城門を開けると、そこにはスーツを着た3人の人間が待っていた。


「どうも、お世話になります。マジカル電気通信です」

 スーツ姿の中年男性が言った。


「はい?」

 グウはきょとんとした。


「ええと、魔界四天王のグウ様というのは……あなたですか?」

 と、中年男性(以後、課長と呼ぶ)がガルガドス隊員にたずねた。


「いえ、自分はただの魔王親衛隊の一隊員で、こちらの隊長殿が四天王であらせられます」

 ガルガドスはそう言ってグウのほうを指さした。


「え、このボロボロの人がですか?」

 課長は意外そうな顔で、包帯だらけのグウと、身長240センチのガルガドスを見比べた。


 後ろにいる若手の男性社員が、「どう見ても、あっちの方のほうがラスボスっぽいですよね」と、隣の女性社員に耳打ちする。

 先輩らしき女性社員は「しっ」と人差し指を立てた。


 そう見えるのも無理はない。

 ガルガドスは体が大きい種族で、赤黒いゴツゴツした皮膚に、鋭い牙を持ち、ヒツジのような渦巻き状の立派な角が4本生えている。

 それに対し、グウの外見は人間に近く、魔族らしいポイントと言えば、とがった耳と、頭に生えた2本の地味な角。あとは、少し緑色を帯びた髪くらいだ。人間から見れば、ガルガドスのほうがずっと迫力があるに違いない。


「本日はダリア条約締結に伴う光ファイバー工事計画の件でお伺いしました。よろしくお願いします」

 課長が言った。


「????」

 グウはポカンとした。

「すみません、何ですか、そのナントカ条約ってのは?」


「あれ? 聞いてません? 『ダリア条約』の件」


「聞いてません……」

 グウの力ない返事。


 仕方がない。魔族間のコミュニケーション不足はいつものことだ。情報共有など期待してはいけない。


「ダリア市に不法滞在している魔族がいることはご存じですよね? 人間界で犯罪行為を繰り返す彼らを、魔王軍に討伐してもらうかわりに、市が魔界に光ファイバーを引くための資金援助をするという条約です」


「ん? 光……?」グウは眉間みけんにシワをよせた。「何ですか、その光ファイヤーってのは」


「光ファイバーですか? そうですねぇ、まあネットが速くなる工事だと思ってもらえれば」


「ああ、なるほど、それは助かりますね」

 グウはポンと手を打った。

「昔、ずいぶんお金をかけて魔界までネット引いてもらったんですけど、最近需要が増えて回線がパンク状態らしいんで」


 そう。いまや情報化の波は魔界にさえ到達しようとしており、ネット環境の整備は急務なのであった。


「とりあえず四天王のグウ様に言えば、担当者に取り次いでくれると言われまして」


「誰~? そんなこと言ったの。つか担当者って誰よ!?」


「誰でしょうね。設備課とか?」

 ギルティは首をひねった。


「そうだなあ。あと、政治がらみっぽいから、デュファルジュ元老あたりにも確認してみるか」

 グウは面倒くさそうにため息をついた。


 ちなみにデュファルジュ元老とは、頭皮が透明で脳味噌が透けて見えている、スノードームみたいな頭をした魔王の相談役である。


「とにかく、事情を知ってそうな人のとこに案内しますんで、ついてきてください。中は危険なので、くれぐれも我々のそばから離れないように」

 グウはそう忠告した。


 ギルティは人間たちに入館証を配りながら、

「いいですか? 中では常にこれを首からさげて、絶対にはずさないでくださいね。はずすとリアルに食べられちゃいますからね」

 と、念を押した。


「あなたも魔族なんですか」

 と、若い男性社員が物珍しそうにギルティを見た。

「角も生えてないし、ほとんど人間みたいですね」


 ギルティはぷくっと頬をふくらませて「角がなくても、私は正真正銘の魔族です」と答えた。



 かくして、人間たちは魔王城に足を踏み入れた。

 このあと地獄絵図みたいな光景が繰り広げられることを、この時はまだ誰も知らなかった。

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