第30話 おねえちゃんのカレー 後編
私室の台所で、妹は言った。
「喧嘩した時は唐揚げ。嬉しいことがあった時はハンバーグ。頑張ろうって気合いを入れる時はカレーだよねえ」
セーラー服の上にエプロンを着けた妹は、ニコニコ笑いながら野菜を洗っている。
まるで普段どおりの様子に違和感を覚えつつも、とりあえず準備を進めて行った。
「ね、なにカレーにする?」
いちおう、材料は一通りあった。
ビーフでもポークでもチキンでも、なんでも用意できるだろう。
「そりゃあもちろん!」
まもりは得意げに胸を張って、どことなく嬉しそうに言った。
「いつものカレーがいい」
「……プッ」
「あ、なんで噴き出すの。変なこと言ったっけ?」
「い、いや。そうじゃないんだけど……」
少し不満げな妹を眺めて、そっと笑みを浮かべた。
「本当に好きだね。私のカレー」
妹は、パチパチと何度か目を瞬いた。ふんわり頬を緩める。
「当たり前でしょ。身体の何分の一かは、おねえちゃんのカレーで出来てる!」
「それは言い過ぎじゃない……」
クスクス笑いながら、異次元収納から材料を取り出した。
カレーに使うのは、ごくごく普通の材料だ。
豚肉の角切り。たまねぎ、ニンジン、ジャガイモ。
……とは言っても、豚はマッドピッグのお肉だし、ニンジンはマンドラゴラ、ジャガイモはトレントの実である。
ついでに、キラー・ビーの蜂蜜も用意したから、魔物素材勢揃いって感じ。
他は元の世界から取り寄せたローリエ。カレールーだって用意した。必死にイメージして、茶色いブロックが出てきた時はホッとしたな。さすがに、スパイスからカレーなんて難し過ぎるもの。
「辛くしないでよ」
「はいはい」
うちのカレーはいつも甘口。りんごと蜂蜜入りと謳っている例のブランドを昔から愛用している。
妹が辛いものが食べられないからだ。
私は辛口が好きなんだけどね。それは食べる時の工夫でどうとでもなる。
作り方だっていたって普通だ。
玉ねぎをじっくり炒めた後、お肉も一緒に炒めたら、皮を剥いだ根菜を入れて炒める。
水分量だって、パッケージの作り方に従っていた。
工夫といえば、煮込む時に追加で蜂蜜を入れるくらい。ルーを入れる直前に蜂蜜を入れちゃうと、アミラーゼの効果でサラッサラのカレーになっちゃうから、煮込みの段階で入れておくといい。
アクをとりながら煮込んでいると、クツクツと煮立ってくる。
沸騰した水の中では、さまざまな材料が楽しげに躍っていた。
隣では炊飯中のフライパンが沸々といい音を立てている。
「……本当。びっくりするくらい平凡な作り方だよねえ」
ぽつりとつぶやく。
実は、いままで何度かアレンジを試みたことがある。
トマト缶を入れてみたり、チャツネでコクを出そうとしたり、隠し味にチョコを入れてみたりね。
でも……すべて妹にダメ出しされてしまった。
あんまり美味しくないって。
おねえちゃんのカレーはこうでなくっちゃって、理想があるみたい。
「平凡でもいいの。昔のままの味がいいんだもん。今でも忘れないよ。おねえちゃんが初めて作ってくれた時のこと」
――あれは、私が小学五年生の頃の話だ。
あの頃の私たちは、手作り料理にとんと縁がなかった。
いつも、お手伝いさんが作り置きしてくれた料理を、レンジで温めてから食べていたからだ。
作りたてじゃない料理や解凍したご飯は、不味い訳じゃないんだけど、なんだか味気ない。
それなりに成長していた私は、食べられればいいと黙々と食事をしていたのだけれど。
幼い妹はあまり食が進まないようだった。
食事を前にしても、涙目になって口をつけようともしない。
『まもり。食べなよ』
『…………。いや』
理由は言おうとしなかった。
保育園の友だちになにか言われたのかも知れないな、とも思う。
ごくごく普通の家庭じゃあ、作りたての料理なんてありふれたものだ。それを口にできない理不尽さに、幼いながらも不満を感じていたのかもしれない。
ともかく、妹はある日を境にほとんど食事をしなくなった。
ふっくらしていた妹が、みるみるうちに痩せていく。
……正直、放って置けなかった。
だから、とある日の金曜日。
学校から急いで帰った私は、初めて自宅でエプロンを着けた。
料理をしてみようと思い立ったのだ。
挑戦したのは、もちろんカレー。学校の課外学習でカレーを作ったばかりだったから、上手くできそうな気がしていた。
とはいえ、初心者は初心者だ。
パッケージ通りに作るしかなかった。
なんのひねりもない。平々凡々なカレー……。
だけど、妹には大好評だった。
『うわあ。うわあ。すごく美味しかった。ごちそうだ! また作って!』
お皿をすっかり空にした妹が、笑顔で言ってくれた言葉。
いまでもしっかり覚えている。
「よし。ルーも入れたし。あとは煮込むだけ。ちょっと休憩しようか。おねえちゃ……」
私の顔を見た妹が、ハッとして口を閉ざした。
窓から淡い光が差し込んでいる。
透き通った日差しの色が、少しずつたそがれ色に染め変えられつつあった。
「……やだなあ」
妹がくしゃっと困り顔になった。
両手を大きく広げて、私をぎゅうっと抱きしめる。
「不安なの」
耳もとで訊ねられて、コクコクとうなずいた。
私の身体は細かく震えていて、涙からは半自動的に涙がこぼれ落ちている。
幼い頃の妹を思い出したのがまずかった。
なによりも大切で。壊さないように、大事に大事に守ってきた事実を思い知ってしまったからだ。
「……まもり。死なないで……」
それだけしか言えない自分に嫌気が差しそうだった。
ただただ見守ることしかできない自分が、果てしなく情けなくて。
かといって、すべてを投げ出して逃げようとも、一緒に戦うとも言えない。
どこまでも、私という人間はどっちつかずだった。
「ごめんね。本当にごめん。ごめんッ……」
どうか無事で帰ってきてほしい。
そう伝えたいのに、出てくるのは謝罪の言葉ばかりだ。
「おねえちゃんが謝る必要ないのに」
クスクス笑った妹は、そっと私から身体を離した。
「仕方ないなあ」
ハンカチで私の頬を拭きながら、ぽつりと言う。
「愛だなあ。これは、本当に愛だよ」
「……え? 愛、って……?」
ポカンと首を傾げた私に、妹はニカッと晴れやかに笑った。
「おねえちゃんの愛があれば、私は最強ってこと!!」
そう言って、再び強く抱きしめてくる。
苦しいくらいの締めつけに戸惑っていると、妹は言った。
「知ってる? いまも昔も、私に愛情を注いでくれたのはおねえちゃんだけ」
スリスリと頭を擦り付けながら続ける。
「お父さんも、他の大人たちも、だーれも私を愛してなんてくれなかった。無視をしたり、いじめてきたり、説教してきたり。さも親切そうに接してくる癖に、本心ではうざがっていたり。酷い奴らばっかりだった。友達が親といるのを見るのが辛かった時期もあったよ。みんな普通に愛情をもらっているのに、どうして私だけって」
でもね、と妹は瞳を潤ませて続けた。
「ある時、気がついたんだ。おねえちゃんがいれば、他になにもいらないって! だってさ、そこらの親よりよっぽど優しいし、ご飯は美味しいし、一緒にいて楽しいし、なにより。なによりね――」
ほろり。瞳から涙がこぼれた。
赤光が入り交じった光が妹の涙を輝かせている。
きら、きらと光の残滓を残して、透明な粒はいくつもいくつも落ちていく。
「本当の愛情を注いでくれた。だからさ、私を信じてほしいの。絶対に帰ってくるって約束するから!!」
グッと手を握って、まもりは私を見つめて言った。
「おねえちゃんを悲しませたりしない。だって妹だもん!」
どこまでもまっすぐな言葉に、ますます涙腺が熱を持った。
妹を抱きしめ返し、何度も何度もうなずく。
ここまで決意を固めている妹に、もうなにも言うことはない。
信じて、待っているだけでいいのだろう。
待つことしか出来ないのは、本当にもどかしいけれど――。
疲れて帰ってきた妹を出迎える準備をしていればいいのだ。
爆発的な戦闘力を持っているとは思えない細い体を抱きしめて。
布越しに伝わる優しい温もりだけを頼りに、私は再び涙をこぼした。
「……あれ……」
ふいに妹が怪訝そうな声を上げた。
勢いよく私から離れ、慌てた様子で叫ぶ。
「なんか焦げ臭くない!?」
「え……!?」
確かに嫌な臭いがする。
これはいけない!
慌てて鍋に近寄って、お玉で混ぜた。
「焦げちゃったかなあ……!?」
せっかくのカレーが!
悲嘆に暮れつつも、グルグルかき混ぜていると、なんだかカレーがおかしいのに気がついた。
見た目は普通のカレーだ。なのに、表面が淡く光っている。
「おねえちゃん、なにしたの」
「えっと? 別になにも……」
いつもどおりに作っただけだ。失敗してしまったのだろうか。
味見用の小皿にカレーを注いだ。
食べて大丈夫なのかな。なんだかドキドキする……。
そろそろと口を近づけると、「貸して!」と妹が横から攫っていった。
「なにするの!」
「味見なら私がする! おねえちゃんになにかあったら困るし!」
「それはこっちの台詞……ああああああっ!」
止める間もなく、妹がカレーを口にした。
とたん――妹の全身が、淡く光り輝いた。
「……ッ!! な、なにこれ……!! 全身に力があふれてくる。魔力すごっ! うわあ、うわあ! すぐにでも走り出したい気分!」
「ええええ……?」
なにがなんだかわからない。
ひたすら困惑していると、妹がポンと手を叩いた。
「そうか。素材の力が最大限に発揮されてるんだ!」
「……ええ? 確かにマンドラゴラは入っているけど」
「ううん。それだけじゃないよ。いろんな魔物素材が入っているでしょう。トレントにマンドラゴラにマッドピッグ。それに、キラー・ビーも! よくわかんないけど、素材が絶妙に組み合わさることによって、ええっと……こう、いい感じに!」
「説明になってないけど!?」
「ともかくすごいんだってー!! これがあれば、なんにでも勝てそう。ううん、絶対に勝てるよ。負ける訳がない!」
興奮気味の妹は、私の肩をがっしと掴んで言った。
「そうだ! これを騎士団の奴らにも食べさせてあげようよ! そしたらさ、きっと今日の作戦も成功する!!」
「アースワームの……?」
「そう!! あんなミミズ、バッサー! って一刀両断してやるんだから!」
妹を唖然として眺める。
私のカレーが勝利を呼び込む……?
じわじわと頬が熱くなってくる。
なにもできないと思っていたのに。
私の料理が。私のカレーが妹の役に立つだなんて!
「おねえちゃんってば最高だね! さすが~!!」
無邪気にはしゃぐ妹を眺め、思わずその場にへたり込んだ。
よくわからない。わからないけれど――。
「はあ……」
なんだか、いままで張り詰めていたものが緩んだ気がして。
思わず笑みをこぼしてしまったのだった。
*
妹の言う通りだった。
私のカレーは奇跡的にとんでもない
マンドラゴラは、身体能力向上。
キラー・ビーのはちみつは、毒無効化。
マッドピッグのお肉はスタミナアップ。
トレントの実は魔力限界突破。
私のカレーをひとくち食べれば、もれなくすべての効果がついてくる。とんでもないチートだ。
「うおおおおっ! カレーとは、なんたる奇妙奇天烈な料理なのかッ! 見た目はアレなのに、この奥深い旨みと刺激はああああああッ……!?」
「団長、もうちょっと落ち着いて食べませんか……」
味も好評のようだった。
魔力枯渇で死にかけていたフロレンスも、カレーを食べるなり、いつもどおり……いや、いつも以上の賑やかさを発揮している。
「カッカッカ! これなら、別の魔剣も使えそうではないか。よおし、いきなし実践投入じゃ! お前ら、ワシの発明に着いてこーいッ!」
「うおおおおおおおおっ!!」
「「「「「キャーーー!」」」」」
ギギたちの周りは、なにやら謎の賑わいを見せていた。
大丈夫だろうか。カレーハイになって、やらかさなくちゃいいんだけど。
「穂花君のおかげだ。きっと上手くいくよ」
そう言ってくれたのは、教皇ジオニスだ。
腕に抱かれた黒猫は、なんだか不満げに私を睨みつけていたけれど。
「にゃあん」
小さく鳴いてそっぽを向いた様は、なんだかまんざらでもないようにも見えた。
ジェイクさんは、相変わらずとても優しい目をしていた。
「責任を持って、まもりは俺が守るからな」
今回の討伐には、ジェイクさんも参加するらしい。
「勇者がいなければ滅びる世界など、欠陥品だ」
改めてそう言うと、「今回だけは頼む」と頭を下げてくれた。
「まもりをよろしくお願いします」
私も深々と頭を下げる。
同時に顔を上げて、目が合った瞬間に笑ってしまった。
大切な人を危険な目に遭わせたくない。
ジェイクさんと私の共通の想いだ。
「じゃあ、そろそろ行くかなあ!」
カレーを食べた妹や騎士たちは、どこか満ち足りた表情をしていた。
夕焼けで真っ赤に染まった世界の中、長い影を伸ばした妹は言う。
「邪魔なミミズ君を倒してくるよ。行ってきます!!」
徐々に遠ざかって行く一行を眺め、硬く拳を握りしめる。
――どうか、無事に帰ってきますように。
切なる願いを込めて、戦士たちの背中を見送ったのだった。
――――――――――――
おねえちゃんのカレー
*すみません。またレシピとは言えないなにかです……。(テーマ的に仕方がないですね。平々凡々なお味)
*使用しているルーは、ハ○スバーモン○カレー(甘口)です。
小学生でも食べられる甘さで気に入っています。
*子どもがいる家庭の永遠の悩み。カレーの辛さ問題。大人用のカレーにインスタントのコーンスープの粉を混ぜる……なんてよくききますが、それだと子ども用のが美味しくなくて。わが家は、大人がスパイスを追加する方法に落ち着きました。スーパーで売っているレッドペッパーやガラムマサラを、自分のお皿に盛ったカレーにフリフリして混ぜるだけ。これいいですよ。大人も満足の味になります。
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