第27話 不死鳥の出汁からあげ 後編①

わが家には食べるシチュエーションが決まっている料理があった。


嬉しいことがあった時はハンバーグ。


がんばらなくちゃって気合いをいれたい時はカレー。


……仲直りしたい時は、唐揚げだった。


討伐に勤しむ妹が贈ってくれたのは、不死鳥という鳥だ。


火食鳥とは違い、身が肥えていて非常に食べ応えがある。


可食部はもちろんお肉。


今日の晩ご飯は、不死鳥の唐揚げだ。


「まもりが帰ってくる前に、調理を終わらせておこうね」


「うん」


台所にリリィとふたりで立つ。


お米は水に浸けてあった。炊飯する前に、まずはお肉の下ごしらえ。


プリプリのもも肉は大きくって、骨を外すのが大変だった!


ひとくち大に切ったお肉にタレを絡ませておく。


うちのつけダレは、すり下ろした生姜とにんにく、醤油にお酒、あとは――。


「白だし?」


「そう。美味しい味をね、ぎゅうって凝縮してくれてる調味料」


これを入れると、あら不思議。唐揚げ専門店の出汁が利いた味に近づく。シンプルな唐揚げはもちろん美味しいけど、わが家の定番はこれだった。


「お肉にしっかり揉み込んだら、ちょっと置いておこうか」


その間に炊飯を始める。


用意したのは蓋付きのフライパン。


「マッドプラントの種、こうやって食べるの」


水を吸って真っ白になった米を前に、リリィが怪訝な顔をしていた。


マッドプラントとは、私が米と呼んでいる種子を持つ魔物だ。


ここからずいぶん離れた、南の熱帯地方にある森の奥深くに生息していて、いちど根付くと、他の雑草を駆逐しちゃうくらい生命力が強いんだって。


その種子が、地球で言うとお米に該当する味と食感なのだ。


どうりで見つからなかったはずだ! 生息地が離れすぎている。


さすがは深淵の魔女ダーニャ。こんな貴重な材料を保有しているなんて。どういう伝手で手に入れたのだろう。


――手持ちがなくなったら、二度と食べられないかもしれないなあ。


しんみり思いながらも、テキパキと炊飯の準備を始める。


日本人に馴染み深いお米。なんとなく炊飯器や土鍋がないと炊けないイメージがあるが、実はそうでもない。


問題は道具じゃなかった。美味しく炊くポイントは、あらかじめ水を吸わせておくこと。


これをしないと絶対に硬くなる。炊飯器の機能によくある、超音波だの圧力調理だのが利用できないぶん、ちゃんと下準備が必要だ。


これさえ守れば、専用の道具なんていらない。火加減さえ守れば、炊飯器よりも早く炊けるのがフライパン炊飯だ。


キャンプなんかのアウトドアや、被災した時にも使えるので、覚えていて損はなかったりする。


「うん。いい感じに白くなってるね」


三十分くらい吸水させたお米。しっかり水を切って、一合につき、だいたい180~200ミリリットルの水を入れる。


「最初は強火ね。沸騰して、蓋の縁まで泡が上がってきたら、弱火にして五分」


「……なんか、甘い匂いがする」


「お米の炊ける匂いっていいよねえ」


妊婦にとっては地獄らしいけれど。


いまの私には空腹を刺激する芳香である。


「そろそろかな」


五分経過したら、再び強火に。


……むう。ガスコンロと違うから、火加減が難しいぞ?


四苦八苦しつつも、フライパンからパチパチという音が聞こえてきたので下ろした。


蓋はしたまま、十分ほど蒸らしておく。


「じゃあ、揚げ物をしようかな!」


「お肉!」


リリィの瞳が宝石みたいに煌めいた。


子どもはやっぱりお肉が好きよねえ。


そんな風に思いながら、手早く調理を進めて行く。


「衣は小麦粉と片栗粉を同量混ぜる。粉まみれになるくらいまぶしたら、熱した油にドボン!」


じゅわ~~~~~~~~~~~~っ!!


軽やかな音が室内に響き渡った。


「ふにゃあっ!」


驚いたリリィが私の背に隠れた。


「大丈夫?」


「だいじょばない……」


尻尾の毛を逆立てて警戒している。


クスクス笑って「離れていてもいいよ?」と告げると、えっちらおっちら椅子を持って来て、ストンと座った。


「香ばしい匂いがする……」


スンスン、と鼻をひくつかせている。


わかるなあ。唐揚げの時の、えもいわれぬいい匂い!


醤油と焦げた脂が混じった匂いだ。


――それでもって、私たち姉妹を結びつけてくれる匂いでもある。


妹は昔っからくいしん坊だった。どんなに部活で疲れ切って爆睡していても、唐揚げを揚げ始めるととたんに飛び起きる。


喧嘩した時だってそう。本当に意地っ張りなあの子は、一度喧嘩すると顔も見せなくなる。そのくせ、唐揚げの匂いが家じゅうに立ち込めると、ちょっぴりすまなそうな顔をして台所を覗き込むのだ。


『……もうすぐできる?』


おずおずと私の背中に声をかける。


罪悪感に満ちた顔。でも、期待に胸を高鳴らせているのが丸わかりだった。


「……あら」


フフッと笑みをこぼした。


いつの間にやら、部屋の入り口に妹が立っている。


昔と変わらず、いたたまれないような雰囲気を醸していた。


けれど、視線は鍋に注がれていて。


ほんのり嬉しそうに頬を緩めているのだ。


「もうすぐ揚がるから。ねえ、食器の準備してくれる?」


「うん……」


ちろりとリリィに視線をやった。


リリィも妹に気付いたようだ。


「むう」


不満げに唇を尖らせて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。


「……このっ!」


まもりの顔が怒りに染まる。すかさずリリィが「シャーッ!」と威嚇した。


「いい加減にしなさい!」


慌てて止めに入る。まもりが泣きそうな顔になった。


「でもっ……!」


「大丈夫。大丈夫だから。リリィも変な声出さないの」


「にゅう……」


ぺたんと耳を伏せたリリィの肩に手を置く。


不愉快そうに眉を寄せた妹に、悪戯っぽく笑った。


「それよりも! リリィのおかげで白いご飯が食べられるんだけど――どうする?」


「えっ……」


「唐揚げには白いご飯だよねえ。あ、ちなみに。喧嘩する子にはあげませんけど?」


「やだっ! やだやだやだっ! 食べるーーーー!!」


「じゃあ、喧嘩しないの」


すかさず釘を刺せば、まもりはギュッと口を結んだ。


「わかったよ……」


「リリィも。まもりを刺激しないで」


「にゃーん」


「いいお返事だね」


どことなく承服しかねている顔のふたりに、思わず笑いが漏れる。


まあいいや。ともかくご飯にしよう。


美味しいご飯はすべてを円満に導いてくれる。いままでだってずうっとそうだったから、喧嘩でささくれ立った心だって癒やしてくれるはずだ。


「さあ、ご飯を食べる準備をしてくれる?」


油の中では唐揚げがいい塩梅に色づき始めている。


喜んでくれたらいいな。


そんな風に思いながら、調理を再開した。




ことん、とテーブルに食事を並べ終わった時、自室のダイニングは、ランプの明かりで仄明るく照らされていた。


外は薄闇に包まれ始め、遠くから誰かの団らんの声が聞こえる。


辺りには唐揚げのいい匂いが立ち込めていた。


なにも言わなくとも、まもりが各々のコップに水を注ぐ。


水差しがテーブルに置かれる音が、開始の合図だった。


「「いただきます!!」」


「にゃあん」


パン、と手を合わせて、大皿から料理を取り分け始める。


今日のお献立は、不死鳥の唐揚げにグリーンサラダ、バロメッツの味噌汁に、やみつき漬け。後はもちろん、炊きたての白いご飯だ。


色鮮やかな緑に唐揚げの色が映えている。


ほかあ。白い湯気が立ち上る様が、なんとも目に楽しい。


「……ふおお。唐揚げ」


妹が目をキラキラさせて唐揚げを持ち上げた。


瞳は肉に釘付けだ。


「野菜もちゃんと食べなさいよ」


すかさず釘を刺すと、ちょっぴり居心地悪そうに視線を泳がせた。本格的な仲直りはこれからだから、少しぎこちない。


和気あいあいとはいかない微妙な関係に、そっと息をもらす。


けれども、こんな時間はそう長く続かないことはわかっていた。


だって――仲直りの唐揚げの威力は抜群だから。


「おいっっっっっしいっ!!」


ひとくち唐揚げを食べた妹が、弾んだ声を上げた。


目がキラキラと輝き、リスみたいに膨らんだほっぺたが淡く色づいている。


「ご、ごはん……」


すかさず茶碗を持ち上げた。


いつか、お米を手に入れた時にと用意していた食器だ。お箸だって、今日初めておろした。


真新しい道具をしっかと抱え、唐揚げをゴクリと飲み込んだ妹は、すかさず白米を口に放り込む。


「はふっ……」


口から白い湯気が漏れた。


「んんんん~~~~ッ!」


とたん、妹の表情が緩んだ。


きっと、妹の頭の中はお祭り騒ぎのはずだ。


お醤油と出汁、香味野菜の刺激が加わった鳥肉は、衣はカリッカリ、噛みしめるごとに「ざくうっ!」と口内で賑やかな音を立てる。


歯が肉の線維を立ちきると、じゅわ~~っと肉汁があふれ出す。不死鳥の肉質は、鶏肉よりもやや硬め。その分、旨みと脂の暴力とも言える肉汁はたっぷり。


噛みしめるごとに口の中が汁で洪水になる。


そして味が全体に行き渡った口内に、炊きたてホカホカのお米を放り込めば――!!


……ああ、そこは極楽。


米の甘さと肉の脂っぽさのマリアージュは、脳みそを蕩けさせる味わいだ。


「……にゃ、にゃあ……!?」


リリィの口にも合ったようだ。


小さな口をモグモグ動かしながら、「ゴロロロロ……」と喉を鳴らしている。


――よし。


意を決して、箸を下ろす。そっと妹に問いかけた。


「大丈夫だった?」


三つ目の唐揚げに齧り付いていた妹は、目をパチパチしばたいて、ほろりと笑みを浮かべた。


「もう大丈夫」


「そっか」


「……?」


不思議なやり取りに、リリィが首を傾げている。


そりゃあそうだろう。これは私たち姉妹の間にしか通じない暗号みたいなもの。


喧嘩はもうおしまい。仲直りしようって合図だ。


――これも、仲直りの時の定番だった。


さて、こっちが折れるか……。


そう思った瞬間。


意外にも妹が先手を打ってきた。


「あの。ごめんね、今回のこと」


「まもり?」


妹はポリポリと頬をかくと、照れ臭そうに笑んだ。


「おねえちゃんが攫われたって、すっごい心配したんだよ。なのに、可愛い女の子を連れて帰ってきてさ。私は必死になってあちこち捜し回ってたってのに、おねえちゃんはなにしてんだって頭にきちゃって……」


ごめんなさい、とまもりは頭を下げた。


「子どもっぽいことしちゃった。反省してます。小さい子の面倒を見るのは当たり前だよね。嫉妬する方がおかしいもの」


パチパチと目を瞬く。頬が熱くなったのがわかった。


あの意地っ張りなまもりが自分から謝った……!


目頭がじわりと熱を持つ。


「いいの。いいんだよ」


思わず同じ言葉を繰り返す。


充分過ぎる言葉をもらえた。


なにより妹の成長が嬉しくてならない。


「じゃあ、仲直りする?」


そっと手を差し出せば、妹はおずおずと手を握った。


「そもそも、こっちが勝手に拗らせただけだけどね」


「まあ……そういう時もあるよね」


「あるかなあ」


「あるよ」


じっと見つめ合って、フフッと笑みをこぼす。


繋いだ手が温かかった。


これで本当に元通り。


やっと笑い合えた事実に、胸の奥までほんわかした。

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