第23話 やさぐれた日の土竜芋焼き 中編
日が暮れて、夕食を軽く済ませた後。
まもりが眠っているのを確認して、こっそりと部屋から抜け出した。
――ふう。バレなかったみたい。
廊下を歩きながら安堵の息を漏らす。
人っ子ひとりいない廊下を進んでいると、ランタンを手にしたジェイクさんを見つけた。
「こんばんは!」
「おう。こっちだ」
ジェイクさんの後について行く。
長い尾が機嫌よさげに左右に振れていた。
意外と楽しみにしてくれているのかもしれない。
到着したのは、教皇ジオニスの私室だった。
簡単な調理が出来る台所もあるらしい。急な来客時に、侍女さんが給仕できるようにとの配慮だろう。
「わ~! よく来てくれたね。お誘いありがとう」
今日も今日とて教皇は楽しげだった。
私たちを部屋の中に招いて嬉しそうにしている。
教皇の私室は実に質素な造りをしていた。石造りで、華美な装飾はない。革表紙の本がずらりと並ぶ本棚があるくらいで、あとは実用的な家具しかなかった。教皇の堅実な性格を表しているようだ。
テーブルの上には、銀製の酒杯がすでに用意してあった。椅子を引いた教皇ジオニスは、笑顔で言う。
「声をかけてくれてありがとうね~。お酒を振る舞ってくれるって聞いて、急いで執務を終わらせちゃった。料理を持ち寄るんでしょ。ワクワクする。ボクもいくらか用意したからさ。今日はじゃんじゃんやろうよ!」
「ありがとうございます。すみません、私のわがままに付き合わせて……」
「いいんだよ!」
にっこり。目尻に深い皺を刻み、ジオニスは優しい声色で言った。
「誰だって自分を慰めたい時くらいあるさ。息抜きは重要だよ~? 我慢し続けるには、人の生はあまりにも長いからね。酒で自分を解放するのは悪くない手段だ。飲み過ぎなければ、ね?」
ぱちり。茶目っけたっぷりに片目をつぶる。
「……! はい!!」
どこまでも優しい言葉に無性に嬉しくなった。
やっぱり、このおじいちゃん好きだなあ!
しみじみ感じていると、ジェイクさんがボソリとつぶやいた。
「……それは己の失敗経験から来る悟りか? 確かにな。教皇に任命された日の晩に、ベロベロに酔っ払って中庭で全裸で寝てた奴がいう台詞はひと味違う」
「ちょっ!? ちょっとお! せっかくかっこよく決まったと思ったのに!」
ジオニスが慌てている。ジェイクさんがクツクツ笑うと「やめてよね!」と真っ赤な顔で抗議していた。
「そ、そんなことより!! どんなお酒を飲ませてくれるのかな? 異世界のお酒なんでしょ?」
慌てて話題の矛先を変えたジオニスに、「そうですね」と笑顔になる。
「異世界のお酒というか。用意したのは、魔女のお酒なんですけどね」
「……魔女」
さあっと教皇ジオニスの顔から血の気が引いて行った。
しょぼんと肩を落とし、深々と頭を下げる。
「姉の件は、重ね重ね申し訳なく……」
「いやいやいやっ! もうじゅうぶんお詫びしていただきましたから!」
「それでも、だよ。本当に悪いと思ってるんだ。あの人は本当に変わった人だから……」
ずいぶん気に病んでいるようだ。
それもそうだろう。頼るべき勇者のひとりを、身内が連れ去ったのだから。教皇としては立場がなかったに違いない。
事実、私が攫われた後の神殿は混乱の極地にあったようだ。
教皇ですら深淵の魔女ダーニャの棲み家はしらなかったそう。気まぐれに場所を変えるせいだ。彼女の居場所を把握しているのは、親しい友人たちだけ。場所の見当すらつかなくて、とても焦ったのだという。
――まさか、神殿関係者に魔女の友人がいるとは思っていなかったみたい。
私を連れ帰った後、知っていたなら早く教えろと、ギギはこっぴどく怒られていた。
まあ、ずうっとラボに閉じ籠もっていたようだから、そもそも誘拐騒動自体を知らなかったのだ。無理もない。
「ともかく、もう謝って頂かなくとも大丈夫です!」
「でも……」
「おかげで美味しいお酒を飲めるんですから。むしろちょっぴり感謝しなくちゃ!」
「まさか、魔女の家から酒を持ってきたのかい?」
「いいえ」
ニヤリと不敵に笑う。
指先を酒杯の縁に着けてイメージした。
とろり。透明な酒があふれ出す。なんともかぐわしい芳香。少し前、魔女の家で嗅いだのと同じ匂いだ。
「これ、ダーニャさんが作り上げたお酒なんですが。向こうでたっぷり頂いてきたのと、故郷のお酒に似ているので……。試してみたら、出せるようになってたんですよね」
「ええええっ!?」
「ふふふ。イメージトレーニングの成果ですよ! 大吟醸とまではいきませんが、生酒っぽくて、とってもフルーティなんですよね~。どうぞひとくち試してみてください。苦手なようでしたら、葡萄酒でも麦酒でも出しますから」
ジオニスは複雑そうなまなざしで、杯の中を覗き込んでいる。
「ええい」
クッと銀杯を傾ける。とたん、目もとが緩んだ。
「……美味しいね」
なんだか嬉しくなって微笑む。
「でしょう?」
「これ、本当にあの人が作ったお酒?」
「同じ味になっていると思いますけどね」
「ふうん」
透明な酒を見つめたジオニスは、困ったように眉尻を下げた。
「まったく。自分勝手で、欲望に忠実で。時に酷いことばかりする癖に、作るものはいつだって優しい味がするんだ」
クスッと笑って遠くを見る。
「知っているかい? ダーニャの作る治療薬は、効果てきめんなのに、苦くないからって子どもに人気なんだ。しかもそんな高くない値段で取引されていてね。あの人にどれだけの人間が助けられたか――」
「だから〝根はいい人〟なんですね?」
「そうだよ。そもそも、いまのボクがいるのもあの人のおかげ」
ただの姉弟ではないのだろうか。
不思議に思っていると、ジェイクさんが話を引き継いだ。
「もともと孤児だったコイツを拾って、弟として育てたのが深淵の魔女ダーニャだからな。すごいよな。死にかけのガキがいつの間にか教皇にまでなっちまって……」
「その言い方はよしてくれる。まあ、ほとんど間違っていないけど! ボクが、貴族出身の聖職者たちに負けない学を得られたのは、姉さんのおかげだからね。なのに、たびたび姿を現しては騒動を起こして……」
教皇ジオニスが成人して独り立ちした後も、数年おきにダーニャは姿を見せたという。
そのたびに問題を起こすから、教皇からすれば頭が痛いらしい。
「まったく。なにを考えているんだか」
――これって。ぜったいに弟を心配して会いに来てるよね……。
思わず遠くを見る。
けっしてまっすぐではない、遠回しな魔女の愛情を垣間見た気がして、なんとなく生暖かい気分になった。
「愛されてるんですねえ」
「ええ? いまの話聞いてた?」
「フフフ」
あの人もまた、姉なのだ。
そう思うと少しは親近感が湧く。
「オイ。そろそろ始めないか」
ジェイクさんを見ると、じいいいいいいっと杯の中を凝視したまま、ゆらゆらと尻尾を振っているのに気付いた。
明らかな〝待て〟の姿勢だ。いまにも涎がこぼれそう。
「お、お待たせしてすみません!」
ワンコの悲しげな顔は心にくる。
慌てて杯を持ってふたりの顔を見た。
「お付き合いありがとうございます! 今日はいろいろと発散させてください!」
「「「乾杯!」」」
杯がぶつかる金属音が響く。こうして長い夜が始まった。
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