第21話 ビックホーンの角煮込み 後編

「さてと。今日の夕食を作りますね!」


その日の夕方。台所に立つと、ダーニャが楽しげに笑った。


「おお。楽しみにしているぞ」


隣には、ギギの姿もある。


「ワシも相伴に預かるかのう。いやあ、ラボで精霊たちがご馳走が作って待っておるのじゃが。ど~してもというなら仕方がない!! ワハハハハハ!!」


「お前をディナーに招待したつもりはないのだがね?」


「ヒッ! 深淵の魔女は意地悪じゃの~!! これだから魔女は恐ろしいと評判が立つんじゃ。だが、ワシはお前が優しいのを知っておる。誤解を解くためにも一肌脱ごうではないか!」


「……話が通じないねえ? どうしたものかね」


ダーニャとギギが賑やかにやり合っている。


一見すると仲が悪そうに見えるが、実際はそうでもなさそうだ。


気に入らない相手ならば、容赦なく追い出しそうなものなのに。


なんだかかんだと、ギギの相手をしてやっている。


「ふたりは、昔なじみなの」


「……そうなんだ」


仲がいいのはよいことだ。


クスクス笑って調理を始めることにした。


メインの食材は、もちろんビックホーンの角。


ビックホーンは牛の魔物だが、睡眠を誘発する能力を持っている。角から特殊な魔法を発して、相手を眠りに誘うのだとか。


もちろん、角には眠りを誘う効能があった。


薬師などは、睡眠導入剤を調合する時に使用するという――。


つまり、私のご飯でダーニャを眠らせてしまおうって訳だ。


ダーニャは私の料理を気に入っていて、どんなものを出しても躊躇なく口にしてくれる。きっと上手く行くはずだ。


「カチコチの角。どうやって食べるの?」


指先で角を突いてリリィが首を傾げている。


大丈夫、と笑顔になった。


「ちょっぴり力がいるけどね」


取り出したるは肉切り包丁。


四角くてデッカい包丁を角の根元に当てる。


「おいっしょ……」


ゴリゴリッ! ゴロン。


力を加えると、大きな角は簡単に真っ二つになった。


ぱかん、と割れた角の中は面白い構造をしている。


外側は硬い石灰質。真ん中には芯のように半透明の物質が収まっていた。


「これをスプーンで……」


ずるんっ。


「綺麗に取れた」


「爽快よね」


この感触は好きだった。


竹筒に入った水ようかんをすくった時みたいだ。


「これ、食べるの?」


リリィが不思議そうにしている。


取り出した物質は、たしかに食材向きには見えなかった。


手で持つと、びよんびよんと揺れる。弾性が強い。ゴムみたいだ。このまま噛んだら歯が折れてしまいそう。


「大丈夫! 調理で化けるんだよ」


ニッコリ笑って腕をまくる。


「まずは一回、茹でこぼそうね」


グツグツ煮立ったお湯に、角の中身を投入。


しばらく煮ていると、アクが大量に出てきた。


中身をザルにあけて、流水で洗う。再び水をひたひたになるまで入れて、生姜とネギの青い部分、酒を追加して煮込む。


一度煮こぼすと、扱いがとても楽になる。


地味だが非常に重要な工程だ。


本来なら、二時間ほど煮たいんだけど――。


「時短しようね」


「時の欠片の箱」の登場である。タオルでグルグル巻きにした鍋ごと箱に入れて、魔石のボタンを押した。淡く光ったのを確認して取り出せば――。


「……やわやわになってる」


「でしょう!」


ザルに上げると、ほかあ、と白い湯気が立ち上った。


ずいぶん柔らかくなっている。これなら切るのも簡単だ。


それもそのはず。角の中身はゼラチン質だった。


しいて地球の食材でたとえるなら――牛すじだろうか?


神様から賜った知識によると、ビックホーンの角ゼラチンは、透明なのに不思議と肉の味がするそうだ。


ザクザクひとくち大に切っていく。


ついでに、バロメッツの実もざく切りに。


ゴマ油を引いたフライパンで、下ゆでした角ゼラチンとバロメッツの実を炒めていく。


……本当はコンニャクがあれば最高なんだけど。


ないものは仕方がない。


後は調味して煮込んでいくだけだ。


水と顆粒だし。


砂糖、みりん、醤油を入れて、クツクツ煮込んでいく。


だいたい二十分くらいかなあ。


煮汁が煮詰まってくると、得も言われぬいい匂いがしてきた。


「ふわあ。この匂いでご飯を食べられそうだよね……」


「ご飯? 変な穂花。ご飯ならいま作ってる」


「あ、そうじゃなくって。お米をそのまま炊いた白いご飯の話。煮物との相性が最高でね……」


白飯はずいぶんご無沙汰している。


結局、ダーニャからお米をもらえなかったなあ……。


お酒はすっっごく美味しかったけど。これだけは残念だ。


しんみりしていると、リリィがこくりと頷いたのがわかった。


「ふうん。わかった」


「……?」


なにがわかったんだろう。


無表情なリリィの様子からは、なにも汲み取れない。


そうこうしているうちに、煮汁が1/3くらいになった。


頃合いだ。ゼラチン部分が煮汁の色に染まりきり、バロメッツの実もほどよく味が染みている。


深皿にたっぷり盛り付けていく。


砂糖の照りがなんとも食欲をそそった。


最後に細かく刻んだネギで飾れば――ビックホーンの角煮込みの完成!


「はい、おまちどおさま~」


「おお。待ち焦がれたぞ」


「遅かったのう! 客を待たせるとはなにごとじゃ!! ええい、土下座じゃ。土下座しろ――ぐふうっ!」


「ギギ。いい加減にせい。晩餐が台無しではないか」


「すまぬ……」


テーブルの上には、空瓶が林立していた。


すでにダーニャとギギは出来上がっているようだ。


「お待たせしてすみません。とにかくご賞味下さい」


笑顔で取り皿に取り分ける。


内心はドキドキしっぱなしだった。


バレたらどうなるのだろう。逆さづり一週間なんて、私だったらきっと耐えられない。


「どうした。顔色が悪いようだが?」


「……ッ!」


思わず息を呑んだ。ダーニャが私をじいと見つめている。


慌てて表情を取り繕った。


「お口に合うか不安で」


ことん、と目の前に皿を置いた。


「どうぞ召し上がれ」


「いただこう」


ニイッと魔女の口もとが吊り上がった。


ぷつん。フォークを刺すと、角ゼラチンがふるりと震えた。そうっと口もとへ運ぶ。


ぱくり。なんの躊躇もなく、ダーニャは口に含んだ。


「……おお!」


驚きに目を見開く。ほんのり頬が染まった。


「これは美味じゃのう! 言い知えぬ、このねっとりとした歯触り! 噛みしめるごとに肉の味が口の中に広がる。甘塩っぱいタレがよう染みている。噛めば噛むほど甘みが増すな? 脂の味か。どうにもしょっぱいが、酒のつまみとするにはちょうどよかろうな!」


ごくり。ごくごくごく。


喉を鳴らして酒を飲み干す。


すうっと目を細めた。


「やはり。辛口の酒にちょうどよい」


にんまり笑んで、すかさずバロメッツの実に手を伸ばした。


「はふ、はふっ、はふ……。これもいいな! 淡泊なバロメッツに出汁がよう染みている。じゅわっと煮汁があふれて、口の中が洪水のようじゃ。ふうむ? 脂の味に飽きたらこちらを食べる。つまりはそういう話だな? よく考えたものだ」


「七味唐辛子はどうですか」


「なんだって?」


「いくつかのスパイスを混ぜ合わせたものです。とても合いますよ」


「もらおう」


小皿に盛った七味唐辛子をパラパラとかける。


再び口に含んだダーニャは、ほろりと表情をゆるめた。


「やるではないか。こりゃあたまらん」


猛烈な勢いで食べ進めて行く。


パカパカと杯を空ける横から、どんどん注いでいった。


気がつけば、酒瓶が空になっている。


「うまい! やはりお前を攫ってきて正解だった!!」


ダーニャはご満悦だ。


酔いに染まった瞳を私に向け、そしてギギへ向けた。


不思議そうな顔をする。ちっとも料理に箸をつけていないのに気がついたようだ。


「どうしたのだ。お前たちも――」


かくり。唐突に動きを止める。


まぶたを閉じたダーニャは、脱力して箸を落とした。


来た……!


ギギと視線を交わし、そろそろと近寄って行く。


「すう……すう……すう……」


深淵の魔女が寝息を立てている。


どうやら眠ってくれたみたいだ!


「……やった!」


小声でガッツポーズをする。


「ようやくか」


ギギが長い息を吐いた。


「帰るぞ、穂花。約束の報酬も忘れずにな」


「もちろんです!」


急いでエプロンを脱ぐ。


すると、服の袖をツンツンと引っ張られた。


「……穂花おねえちゃん」


悲しげな表情のリリィが私を見つめている。


切なくなって、しゃがんで視線の高さを合わせた。


「帰るね。ごめんね」


頭を優しく撫でてやる。リリィはツンと唇をとがらせた。


「……やだ」


じわりと瞳に涙がにじむ。


きゅうっと胸が苦しくなって、強く抱きしめた。


「ありがとうね。自暴自棄になって、ひとりで逃げ出さなかったのは、リリィがいてくれたおかげだよ」


まぎれもない本音だった。


そばに誰もいなければ、早く妹のもとへ行かねばとなりふり構わず脱走していたかもしれない。


幼い彼女がいてくれたから、冷静でいられた。


「またどこかで会えるよ」


「……うん」


「おい、ババァが起きる前に行くぞ」


ギギが焦った顔で急かしてくる。


それはそうだ。慌てて立ち上がった。


「じゃあ、行くね!」


笑顔で手を振って、けっして後を振り返らずに進んだ。


妹のもとへ戻れる。


それだけで胸の高鳴りが押さえられなかった。



   *



その日の夜には、神殿に戻ることができた。


拍子抜けだが、それほど遠い場所にはいなかったらしい。


「おねえちゃあああああああああんッ!」


私を見つけるなり、まもりが勢いよく抱きついてきた。


後ろには教皇をはじめとした、見知った面々が勢揃いしている。


「無事に戻ってきてよかった」


みんな疲れたような、ホッとしたような顔をしていた。


もしかして、騎士たちを動員して捜索してくれていたのかも。


そりゃあそうか。目の前で攫われたんだもんね……。


ずいぶん迷惑をかけてしまったようだ。


それよりも!


妹はなんとも悲惨な恰好だった。


顔は真っ赤だし鼻水は出ているし、頭はボサボサだし……少し痩せたような気もする。ちゃんとご飯は食べていたのだろうか。


「やだ。すごい顔だよ? 体調悪いんじゃない?」


思わず声をかければ、妹はがばりと顔を上げて首を振った。


「私の心配なんか後! だ、大丈夫だったの!? なにかされなかった? 深淵の魔女でしょう!? ひどいことをされたんじゃないかって、気が気じゃなくって……」


「大丈夫。なにもされてないよ。ご飯を作って、お掃除をしてきただけ」


「おっ、おねえちゃんらしいけど~~~~ッ! も~~~~ッ! 信じられない!! 人の姉をこき使ってさあ!!」


妹はプリプリ怒っている。


よほど心配だったようだ。


「心配させちゃったねえ。ごめんごめん」


ありがたいなあと思いつつ、妹との再会に胸を撫で下ろす。


無意識に緊張していたみたいだ。


ようやく肩の荷が下りた気がしていた。


「ところでおねえちゃん」


「なに?」


泣きじゃくっていた妹がふいに冷静になった。


なぜか私の背後を見ている。


「その子は誰?」


「えっ……」


急いで振り返る。


ギョッとして言葉を失った。


なぜならそこには――。


「穂花おねえちゃん。来ちゃった♥」


なぜか頬を赤らめたリリィがいて。


「おねえちゃん…? おね、おねえちゃんって呼んだ? よ、よそで妹を作ってくるって、どういうこと――!?」


妹の怒気にあふれた声が辺りに響いていたからだ。





――――――――――

ビックホーンの角煮込み


ビックホーンの角(牛すじ肉) 400グラム

生姜 ひとかけ

長ネギの青い部分 一本分

大根 1/2本分

ゴマ油 大さじ1

酒 50ミリリットル

水 適宜

顆粒だし 小さじ1

砂糖 大さじ2

みりん 大さじ1

醤油 大さじ3

飾り付け用のネギ 適宜


*うちの夫は、安い牛すじ肉を見たら買ってしまう呪いを受けており、牛すじメニューはうちの定番にならざるを得ないのです……。


*最初の下ゆでは、圧力鍋でやれば時短できます。丁寧にアクを取れば煮汁をスープに転用できますが、脂がすごい浮いているので、アラフォー以降の胃腸が弱っている方にはおすすめしません(漢方薬を握りしめて)。


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