第17話 バロメッツのやみつき漬け 中編

気がつくと、地面に横たわっていた。


「いたたたた……」


痛みを訴えている身体をなんとか起こす。


辺りを見回して――ポカンとした。


どこかの洞窟にいるようだ。


外に繋がるような出口は見当たらなかったが、暗いわけではない。


一面にほの明るく光る苔が茂っている。


苔の合間からは、様々な色をしたキノコやシダ植物が生えていて、デザインされたように鮮やかだ。絵本の一場面を切り取ったような光景に目がくらんだ。


「ようやく起きたか」


「あ。ダーニャ……さん」


声がした方を振り返れば、ダーニャの姿がある。


四本腕のうち、一本にランタンを手にした深淵の魔女は、ついと洞窟の奥に視線を遣った。


「ついておいで。棲み家へ招いてやろう」


招くもなにも、勝手に連れてきたくせに……!


不満がもれそうになるが、無言で立ち上がる。


逆らわない方がいいだろう。大人しくしていれば、無事に家に帰してくれるはず……。


だって、〝根〟はいい人だそうだから。


「……心細すぎて泣きそう」


「なにか言ったか?」


「なにも」


慌ててダーニャに駆け寄って、ゆっくり歩く彼女の後に着いていった。



   *



ダーニャの棲み家も、絵本の一場面を切り取ったような造りをしていた。


大きなキノコを改造したレンガ造り。


真っ赤なレンガの隙間から、ひげの配管工のオジサンが大きくなれそうなキノコがポコポコ生えている。


使い込まれたアンティークの家具たち。


あちこちに薬草や得体の知れない道具が飾られていて、光る石がチカチカと存在を主張している。


大きな釜が煮えていて、部屋中によくわからない薬の匂いが立ち込めていた。


「なにを作ってもらおうかねえ」


肘掛け椅子に腰かけたダーニャが、優雅に足を組んで笑った。


毛が長い黒猫がぴょんと膝に飛び乗る。


ぶにゃあん、と長い鳴き声。


まさしく魔女という取り合わせだ。


「異世界のご飯だからね。きっと、美味しいだろうさ。ねえ?」


クスクス笑いながら猫に話しかけている。


正直、恐ろしくてたまらなかった。


……ま、万が一にでも口に合わなかったらどうしよう。


殺されちゃう? もしくは呪われる?


酷い目にあうのは間違いない。


「おや、不安なのかい?」


冷や汗を流している私を、深淵の魔女ダーニャは心の底から嬉しそうに眺めている。


明らかに楽しんでいた。私をおちょくって喜んでいるのだ……。


うううう。悪趣味極まりない!


「ぶにゃあん」


魔女の膝から猫が下りた。


普通の猫だ。可愛い。この子だけが癒やし――って、ちょっと待って?


思わず後ずさった。


なんの前触れもなく、黒猫が人間に変身したからだ!


「……どうしたの」


「いや、どうしたもこうしたも……あ、あなた人だったの?」


「? リリィはリリィだよ?」


こてん、と首を傾げている。


とんでもなく可愛い子だった。


人間で言えば8~9歳くらいだろうか。透けるように白い肌、つぶらな瞳は金色。長い黒髪をきっちり三つ編みしていて、黒いゴシックドレスを着ている。


頭の上には猫耳。縦長の瞳孔だけが人外であるという証明をしてくれていた。


「ご飯、作る? ダーニャのご飯、いつもリリィが作ってる。お手伝いするから」


にゃあん、と再び鳴く。結んだ手でコシコシと顔を擦った。


つ、使い魔とか。そういう感じなのかなあ……?


「よ、よろしくね……?」


おそるおそる挨拶をすれば、三日月型に目を細めて笑った。


わあ。とんでもなく可愛い子だ(二回目)。


「ところでだ、人間」


「ひいっ!」


いつの間にかダーニャがそばに立っている。


「なにを作る? 普通の飯は食べとうないぞ」


「え、ええ……? じゃあ、なにを作れば……」


「そうだな。酒のつまみがいい。近ごろ、奇跡的に美味い酒が完成してな」


ダーニャは、魔法薬を作るかたわら、酒を醸すのを趣味としているという。


美味い酒ができたので、美味いつまみが欲しくなった。


そういえば、弟のところに変わり種の料理を作れる人間がいる。


じゃあ攫いに行こう! 


そう考えたのだそうだ。


「なんというか。めいわ……ゲホン。とても自由ですね……?」


「ふふふ。なににも縛られず、気ままなのが魔女の美徳であろう? だからつまみを作れ、人間。酒に合う奴を」


酒瓶を手渡された。


ふわりといい匂いが立ち上っている。


どこかで嗅いだ覚えがあった。


「――!? ちょ、ちょっと待って」


瓶の中を覗き込んだ。なかには透明な液体が入っている。


「お、おい……」


動揺しているダーニャをよそに、指を突っ込んで舐める。


瞬間、舌の上に広がった味に身もだえした。


「日本酒……!!」


しかも辛口。果実を思わせる爽やかな風味、まろやかな舌触り。くらっとするくらいのアルコール。


ああああああっ! どう考えても日本酒だあああああ!


「これっ! これはどうやって作ったんですかッ! 米? お米がどこかにあるんですか。麹菌は? 酒粕は捨てたんですかッ! どうなんですかッ!!!!」


「おおおおお、落ち着け。興奮するな。妾を誰だと思っておる。深淵の魔女……」


「んなもんどうだっていいんですよ!!」


ドンと胸を叩く。はっきりと宣言した。


「お米があれば、異世界生活のQOLが爆上がりするんですよ! 日本人には米! パンも美味しいけど米がいちばん!! なにより妹が喜ぶ。これ以上、なにを求めるっていうんですか!」


「そ、そう、なのか……?」


「ええそうですよ! というか、コレ美味しいですね! すごい!! 日本酒を自力で生み出したってことですか? やだ。まぎれもない天才じゃないですか。ありがとう!!」


「どういたしまして……? すまないが、もうちょっと下がってくれぬか。すごい圧なのだが」


「あっ……失礼しました! 興奮してしまって!」


慌てて距離を取る。


やってしまった。ついつい……。


ほんのり頬を染めていると、魔女がクツクツ笑っているのがわかった。


「お主、妾をちっとも怖がらないのだな?」


四本の腕を広げて肩をすくめる。


異形の魔女はどこか眩しげに私を見つめた。


「面白い奴だの」


優しげなまなざしに、思わず頬が熱くなった。


美人オーラがすごい。美魔女おそるべし。


ひとりドキドキしていると、ダーニャがついと指差した。


台所がある。さっさと料理をしろと言いたいらしい。


「さて。異世界から来た客人は、どんなつまみを作ってくれる?」


魔女から与えられた課題に、ニヤリと不敵に笑んだ。


「お任せください。とっても美味しいのを用意します」


――ようし、やってやる。


上手くやれば、お米を手に入れられるかもしれない!!


こうなったら和食解禁だ!

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