第16話 バロメッツのやみつき漬け 前編

「本当に助かります……」


ある日のこと。


神殿の中庭でフロレンスの副官、ギルと会っていた。


差し入れをすると、ホッと表情を和らげる。


「このままじゃ、命の危険を感じるところでした」


そばかすが浮かんだ顔を青ざめさせている。


体つきはがっしりしてきたように見えるものの、疲労の色が濃く出ていた。


ここ最近、ジェイクさんの訓練が激化しているそうだ。


もともと脳筋なフロレンスを始めとした団員たちは嬉々として参加しているようだが、細身のギルにとっては負担が多いらしい。


「す、すみません。妹が勝手なことをしたばっかりに」


「いえいえ。いいんですよ。実力不足は以前から言われていましたから」


少し遠い目をする。


「魔素の大噴出があった当時、ベテランの騎士たちは人々を守るために奮闘しました。大混乱に陥った各地へ派遣されて……。実力のある人間がおおぜい亡くなりました。無事だったとしても、騎士を続けられないほどの傷を負ったりして、いま神殿騎士を名乗っている者は新規参入してきた者ばかりです」


そっと息をもらす。照れ臭そうに頬をかいた。


「フロレンス団長という優秀な人の下にいながら、ふがいないですよね。だからいいんです。民を守るために僕たちがいるんですから」


草藁のような髪の毛が、陽光に照らされて淡く光っている。


なんとも素朴な微笑みに、胸がキュンと苦しくなった。


なんていい子なのだろう。


ぜったいに報われてほしいッ……!


「明日も差し入れしますね」


「え? でも――」


「いいんです。勝手に応援したいだけですからッ!!」


「はあ……」


ポカンとしているギルにやや涙目で訴えかける。


がんばれ神殿騎士ギル。ジェイクさんの試練に耐えきった時、きっと立派な男になっているはず……!


気分は親戚の子を生暖かく見守るおばちゃんだ。


「……ほう? そういう男が好みなのか?」


「!?」


どこからともなく声がきこえた。


見知らぬ声。キョロキョロと辺りを見回すが、誰もいない。


「どうしたんです?」


ギルが首を傾げている。


きっと聞き間違いだ。なんでもないと笑顔を作った。


「お~い。今日もいい天気だねえ!」


私たちを見つけた教皇ジオニスが声をかけてくれた。


「おや。ギル君も一緒だったのか。ここ最近の神殿騎士の活躍はめざましいね! 狩りの成果が増えたおかげで、しばらくは食料に悩まなくてすみそうだよ」


「はっ……! ははっ! ありがとうございますッ! 団長にも伝えておきますのでッ!」


「けっこう、けっこう。これからもがんばりたまえ」


「はっ!」


張り切っているなあ。


ふたりのやり取りをニコニコしながら眺める。


教皇は優しいし、ギルは真摯だ。


なんだか、こっちまでがんばろうって気分になる。


「私も手伝わせてもらっていいですか?」


「おや、なにをするつもりだい?」


「ギル個人に贈るのとは別として、訓練の疲れを後日に残さないよう、疲労回復の料理を作りますよ。そしたら訓練も捗るでしょうし。負担も減るはず」


「……穂花様! あ、ありがとうございますうううううう!」


感激のあまり、ギルは滂沱の涙を流している。


どんなレシピがあったっけ……。


みんなにリクエストを訊いてみるのもいいかも。


つらつらと考えを巡らせる。


誰かのためにメニューを考えるのは好きな時間だった。


「なんだ。お主らだけで、異世界飯を食べるのはズルいぞ」


いやに冷たい手が私の頬を撫でた。


「――ッ!?」


誰かが背後に立っている。


そろそろと振り返れば、そこにいた人物の姿に衝撃を受けた。


やけに背が高い女性だ。私よりか頭ふたつぶんは高い。


鍔の広い帽子、ウェーブがかかった長い髪、身体に密着するようなドレス、細い腕を多うレースの長手袋、ツンと尖ったヒール、まばゆく光る宝石。


どれもが夜を思わせる深い闇色をしている。


肌はどことなく青白く、ぽってりとした唇は紫のルージュで彩られていた。


瞳は血を思わせる赤色だ。


なにより特徴的なのは――腕だった。


「こんな奴らに飯を作るくらいなら、妾に作っておくれ?」


さわさわと私の身体をまさぐる。


ゾワゾワと鳥肌が立つが、どうにも逃げられない。



「ひっ……!?」


「ホッホホ。愛い反応じゃな」


複腕を持つ女性は、にんまりと妖しく笑んだ。


な、なななななな、なんなのこれ……!?


私はひたすら硬直するほかない。


「ね、姉さん!? どうしてここに」


教皇ジオニスが叫んだ。


なんだって? お姉さん……?


老人が放った言葉にポカンとしていると、女性が盛大に顔をしかめたのが見えた。


「姉などと呼ぶではない。いつも、深淵の魔女ダーニャ様と敬意と畏怖を込めて呼べと……」


「御託はいいんだよっ! なにをするつもりなのかな!? その子は新しい勇者だよ。危害を加える気じゃないだろうね!?」


「愚弟よ。見くびるでない。ただのか弱き乙女にしか見えぬ此奴が、世界の希望である事実くらいは理解しておる」


それならいいんだけど、と教皇が胸を撫で下ろしている。


どうやら、姉というのは本当らしい。


教皇ジオニスは、少なく見積もっても70代のおじいちゃんだ。


つまりこの人はもっと年上というわけで……。


「びっ……美魔女だああああ……初めて見た」


思わず本音をもらせば、深紅の瞳がゆるゆると細まった。


「おやまあ。なんだか褒められた気がするね」


にぃっと口もとをつり上げる。美しくも、どこか恐ろしい笑みを浮かべたダーニャは、私を抱く力を強めて言った。


「気に入った。お前、うちでご飯を作るんだよ」


「はい?」


「ジオニス。お嬢ちゃんを借りて行くからね」


瞬間、辺りの空間が歪んだのがわかった。


泥に埋もれていくように、なにもない空間に身体が呑み込まれていく。


「なっ、なにこれえええええっ!!」


「姉さん!?」


「ほ、穂花様ー!!」


ギルが手を伸ばしてくれたが、掴むことすら出来ない。


なに、なんなのッ!?


頭が真っ白になりかけている私に、ジオニスが焦った様子で言った。


「お、落ち着くんだよ。穂花君。大丈夫だ。深淵の魔女だなんて本人は言っているが、別に邪悪な存在じゃない」


こくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。


ジオニスは更に言った。


! !! だから、たぶん悪いようにはしないと思うから――ともかく冷静にッ!!」


その頃には、顔以外のほとんどは歪みに呑み込まれてしまっていた。


さあっと血の気が引いて行く。


せめてこれだけは言わせてほしい。


「それって普段の行いは最悪な人に使う言葉じゃないですかああああああああああああああっ!!」


教皇がショボンと肩を落とす。


「それは否定できないなあ」


「否定できないんだ!?」


瞬間、私の意識は闇に沈んだのだった。

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