(まもり視点)第13話 厚切りマッドピッグサンド 後編

強制的におじさんを大樹の根っこに腰かけさせた。


隣に座って、バスケットの中身を渡す。


「さあさ、遠慮せずに~」


「……腹は減っていない」


「そう? 大丈夫、大丈夫。おねえちゃんのはねえ、お腹空いてなくても食べられるんだよ!」


「なんだそれは……」


呆れた声をあげたおじさんをよそに、私はそれを目の前に掲げた。


「フッフッフ。じゃじゃ~ん。厚切りカツサンド~!」


お肉はマッドピッグという豚の魔物だ。


家畜が魔素により魔物化したもので、子象くらいの大きさまで成長する。


するどい牙を持ち、突進攻撃で人家を破壊するから、できれば駆除しておきたい魔物だが、食用にするにはもってこいの存在だった。


可食部分はもちろんお肉! 今回はロース肉だという。


「カツとはなんだ」


「えっと。お肉にパンを細かく削った衣を着けて揚げたやつ。う~ん。それにしてもいい眺めだなあ……!」


綺麗にカットされた断面を眺めてうっとりする。


カットされた角食の間に、とっても分厚いカツが挟んであった。


その厚み、およそ1.5センチ!


お肉の表面はしっとりしていて、パン越しに押すとじわりと脂がにじむ。


カツの味を楽しむために、あえてキャベツはなし。


衣にはたっぷりとソースを絡めてあった。


パンの白い部分にソースの茶色が浸食している。


ふわふわのパンにめり込むカツは、まさに絶景だ。


「いただきま~す!」


ぱくり。大口でかじりついた。


「んんッ……!」


このしっかりとした噛み応え! 厚切りならではのボリューム感に思わず笑顔になった。


甘い脂の味がする。おねえちゃんは中濃ソースを使うんだけど、ちょっぴり辛めな味に豚肉のジューシーさがマッチしていた。


粒マスタードを入れても美味しいらしいんだけど……。


子ども舌なので、私のぶんはいつもこのままだ。


「やば。止まんないな~」


パクパクと勢いよくカツサンドを平らげていく。


おねえちゃんのサンドは、端っこまで大きなカツが挟まっている。コンビニでよく見かける、断面だけ綺麗で中身は残念なサンドイッチとは全然違った。


「……確かに美味いがな」


もそもそ食べながら、ジェイクさんがつぶやいている。


「若モンはなにを考えてるか、ちっともわからん」


困惑しきりの彼に、私は笑みを浮かべて言った。


「ええ~。伝わらなかった? これは愛だよ。愛」


「愛……?」


「そう! カツサンドはおねえちゃんの愛」


ニッコリ笑って説明をする。


「このサンドさ、向こうの世界にいた時もよく作ってもらってたんだ。わざわざお肉屋さんで豚肉を買うんだよ。剣道の試合がある日は、朝から準備してくれてた。知ってる? 揚げ物っていろいろ大変なんだ」


一般的に、揚げ物は


洗い物がたくさん出る。小麦粉、卵、パン粉を入れるボウルに、揚げ物用の鍋。油を切るために網がついたバットも用意しなくちゃいけない。


油だってそうだ。そう何度も使えるものではない。たっぷり使えばそれだけ費用がかさむ。


家だって汚れる。空中に揮発した油は、換気扇やら壁に付着するのだ。揚げ物をやればやるほど、後々面倒なことになる。


「……なのに、おねえちゃんは私のためならって嫌な顔ひとつしない。美味しいって言えば、また作ろうねって言ってくれる。これって愛だよねえ。まぎれもない愛だ」


笑顔で語る私に、狼のおじさんは目を細めている。


「仲がいいのだな」


「うん。すっごく。私もね、おねえちゃんが大好き! 姉だからってだけじゃなくって、私を大切にしてくれるから好き。だからさ、おじさん――」


すっと真顔になる。ようやく本題に入った。


「おねえちゃんを傷付けるものしかない世界には、戻りたくないんだ」


ピクリ、おじさんの耳が立った。


「どういう意味だ」


「そのままの意味だよ」


クスクス笑って遠くを見る。


異世界の空はどこまでも晴れ渡っていた。日本とは比べものにならない透明感。私にとって祝福みたいに思える。


「うちは、あんましよくない家庭だったんだ。家はとってもお金持ちだったんだけど。うちら姉妹はいわゆる妾腹って奴でね」


ぽつり、ぽつりと話し始めると、おじさんの顔が曇っていく。


けれど、構わず話し始めた。


私たちが積み上げてきた歴史。こればっかりは変えようがない。


「物心ついた時には、母親も父親もいない家におねえちゃんとふたりで住んでたの。ときどきお手伝いさんは来るけど、基本的に子どもだけ。家事や炊事はふたりで協力してこなしてた。妾腹の子だから、扱いがひどくってね。たまに親戚の集まりに呼ばれては、よくわからない罵倒を浴びせられたり、従姉妹にいじめられたり……。お金には困らなかったけど、いつもどこかしら辛くって」


そんな時は、おねえちゃんと手を繋いで耐えた。


どんなに冷たい目で見られても、どんなに酷い目にあっても、繋いだ手の温かさがあれば、耐えられる気がしていた。


「だけどさ。そんな生活も、おねえちゃんが大学卒業して就職すれば終わるはずだったんだ」


就職を機に家を出る予定だったからだ。


おねえちゃんは、私も一緒に行こうと言ってくれた。


新しい場所で、姉妹一緒に頑張っていこうって。


「でも――。クソオヤジが」


思い出すだけで腸が煮えくり返る。


アイツは幸せを掴もうとしている私たちの邪魔をしてきたのだ。


「必要ないって、企業の内定を勝手に辞退しやがったの。ここまで育ててやったんだから、どっかの偉い議員だとかいう、脂ぎったジジイの後妻になれって言い出して」


すべては家のため。おねえちゃんの意思なんて関係ないと言わんばかりだった。


「私にも、二度とおねえちゃんに会うなって。剣道なんかやめろ、大人しく言うことを聞けって言われてね」


いずれ、私も利用するつもりだったのだろう。


実の父親だが、アイツの人間性は死んでいた。


情なんてない。都合よく使える駒か道具くらいにしか思っていなかったのだ。


とうぜん、はいそうですかと受け入れられるわけがなかった。


「嫌だって言ったら、アイツぶち切れてきて。近くにあったゴルフクラブで殴りかかってきた」


自分の意にそぐわないと、父親はいつもそうやって折檻してきた。その時も、普段と同じようにおねえちゃんが私をかばってくれたのだ。


今でもはっきりと思い出せる。


おねえちゃんの顔が痛みに歪んでいた。


人の身体があげる鈍い音が室内に響いている。


『私がいるから。大丈夫だからね』


脂汗と涙でよごれたお姉ちゃんの顔。


薄笑いを浮かべてゴルフクラブを振り上げる父親。


……ああ。地獄ってああいうことを言うんだ。


「お前……」


狼のおじさんが絶句している。


小さく肩をすくめて、へらっと口もとをゆるめた。


「ひどいでしょ。最悪だった。これからどうなるのかなって絶望した。……でもさ、そのとき気付いたんだ。あれ? いまの私なら反撃できるんじゃないかって」


剣道の腕には覚えがあった。


幼い頃から折檻されてきたせいで、なんとなくクソオヤジには敵わない気がしていたけれど――。



――ばくり。カツサンドを頬張った。


美味しいなあ。やっぱりおねえちゃんのご飯は最高だ。


この味が食べられなくなるなんて、欠片も想像できない。


「……父親をやったのか?」


おそるおそる訊ねたおじさんに、ヘラッと口もとを緩めた。


「まさか! 殺しはしなかったよ。でも、ボコボコにしてやった。けっこう反撃も受けたけどね。おねえちゃんも私も、顔じゅう青あざだらけになって。鼻血もすごい出て、ひどい有様だった」


『殺される! 助けてくれええええええ……!!』


あの時、父親は情けない悲鳴を上げていた。


最後には、失禁したまま動かなくなった父親を見下ろして――おねえちゃんとふたりで笑い合ったっけ。


「それからふたりで逃げ出したの。お手伝いさんが呼んだのかな。遠くからサイレンが聞こえてたし、富も名誉もなんでも持っている父親なら、私たちを犯罪者に仕立て上げるかもしれないと思った」


手を繋いで、裸足のまま駆け出した。


行く当てなんてない。


ともかくどこかに向かってひたすら駆けて――。


「どこか景色のいい場所で、死んじゃおっかって話してたの」


「……それは」


「だって、このままじゃ捕まるだけでしょ。刑務所に入って、おねえちゃんと引き離されるくらいならってね」


異世界にでも行けたらいいのに、とふと思ったのを覚えている。


絶望しかない世界から逃亡して。


おねえちゃんと見知らぬ場所で幸せになりたかった。


「そしたらさ、本当に異世界に喚ばれたんだよ」


日本での最後の記憶は、やけにまぶしいトラックのライト。


気がついたら、私たちは神様の前に立っていた。


救われたって心の底から思ったなあ。


「だからさ、おじさん」


改めて狼のおじさんに向かい合う。


「私たち、あっちの世界にはなんの未練もないんだ。むしろ異世界に定住したいくらい。そのためには、この世界が不幸なままじゃ駄目なんだ!」


それが勇者として活動する理由。


偽善でも使命感でもない。


あくまで自分たちのために世界を救う。ゴリッゴリのエゴ。


「おじさんの気持ちもわかるよ。いつ死ぬかわかんない。危険な仕事だもんね。でもさ。知ってのとおり、おねえちゃんは後方支援タイプでしょう? 傷つくとしたら先頭に立って戦う私じゃん。ならさ、私が死ななければいい。誰にも負けなければいい!」


おじさんをまっすぐ見据えて断言した。


気がつけば、ボロボロと涙がこぼれている。


魂を削るように、必死になって叫ぶ。


誰にも邪魔させない。させてやるもんか。ただそれだけだった。


「私が誰よりも強ければ! おじさんが心配する必要なんてないじゃん!! だから応援してよ!! すごく強いんでしょう!? 剣の技術を教えてよ。私たちが幸せになれるようにして!! この世界で、これからも生きていくの!! 危険だって承知の上。とっくに覚悟はしてるんだから!!」


「…………」


私の決意に、おじさんは少し苦しそうな顔をした。


視線をさまよわせて、困ったように耳を伏せる。


「わかった」


それだけ言って、ポン、と手を私の頭に乗せた。


「余計な口出しだった。お前も。穂花も。がんばったんだな。こんなこと、言っちゃあ駄目なんだろうが――」


ポン、ポン。


労るように何度も叩いて。


柔らかな眼差しを私に向けた。


「この世界に来られてよかったな」


――優しい声。大きな手だった。いやに温かい。


「と、当然でしょ……。最初っからそう言っているじゃん」


スン、と洟をすすった。


どうにもくすぐったくて、手の中で指をもてあそぶ。


ちらっと見上げた瞬間、黄金色の瞳と視線が交わって、思わず目を逸らした。


「……お父さんが、おじさんみたいな人だったらよかったのに」


「なんだって?」


「なーんでもないっ!」


勢いよく顔を上げて、ニッと悪戯っぽく笑う。


「というわけで、これからも私に稽古をつけてくれるってことでオッケー?」


「なっ……。本気か? 俺は引退したんだぞ。他の騎士に頼めば――」


「ええ? 冗談でしょ。というか、いまの神殿騎士におじさん以上に強い人いないし」


「……!?」


おじさんが絶句した。


「本当か」


やけに真剣に聞いてくるので、こくりとうなずく。


「ほんと、ほんと。いまの私にすら歯が立たないもの。正直、すっごい不安だよねえ。暑苦しさだけは一丁前だけどさ!」


「不甲斐ない……」


思うところがあるのだろう。


どこか複雑そうで、いまにも頭を抱えそうな雰囲気があった。


おおっ? もしや、チャンスでは?


ピーン! とひらめいた。むぎゅっと腕に抱きつく。


「なにをする!」と慌てているおじさんに、笑顔で提案した。


「ね、そんなに心配ならさ。ついでにアイツらも鍛え直したら? それがいいよ。みんな喜ぶし! 騎士が強くなったらさあ、異世界人の私たちが魔物に対処しなきゃいけない回数も減るでしょ? 合理的じゃん!」


「た、確かに……」


「でっしょ! なら、決まりだね!」


ぴょんぴょん跳ねて嬉しさを爆発させる。


おじさんは困り果てたような顔で「仕方ない……」と呟いた。


「言質とりましたーーーー!! やっぱやめたはナシだかんね!」


やった! 師匠ゲット!


――こうして、私は悩めるおじさんの説得に成功した。


ふたりしておねえちゃんの元へ戻る。


おねえちゃんは教皇のおじちゃんと一緒に出迎えてくれた。


上手く言ったと伝えると、すっごく褒めてくれたんだよ!


「まもり。ありがとうね」


おねえちゃんが笑顔で居てくれるだけで、心はウキウキと躍り出す。


これで、ますます異世界での生活が充実しそうだ。


ちょっぴり誤算もあったんだけどね。


翌日、騎士団の連中に鬼のような訓練が課され、フロレンスには暑苦しく感謝され、ギルには最高に恨みがましい目で見られるなんて――。


その時の私が想像できるわけないじゃない?




――――――――――――

厚切りマッドピッグサンド

(すみません。レシピとは言えないなにかです……)


トンカツ 一枚

角食(サンドイッチ用じゃない、八枚切り) 二枚

中濃ソース


*トンカツはソースまみれにするのがわが家の正義。

揚げたてを、あえてサンドイッチにする美味しさったら……!

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