第10話 キラー・ビーのサクサククッキー 後編
大量の魔素噴出に見舞われた世界では、甘味は非情に貴重な品になっている。
誰もが生きるのに懸命な時代だ。
菓子は贅沢品。余計なものにかまけている場合ではない。
それに加え、上質なはちみつを提供してくれていた蜜蜂たちが魔物化してしまったのだ。
なんと、赤ん坊くらいのサイズに巨大化していたという。
だのに、巣に近づく者を集団で襲う習性はそのまま。いまやキラー・ビーなんて呼ばれていて、おおぜいの命が奪われた。
それだけじゃない。はちみつの成分すら変わってしまった。以前はなかった毒性を獲得してしまっていたのだ。
結果、はちみつは二度と味わえない幻の存在となってしまっていた。
――そこに現れたのが私だ。
魔物食に関しての知識が豊富で、キラー・ビーのはちみつを安全に食べるための方法も識っていた。
「まさか、巣の周りに咲く花の種類を変えるなんてねえ」
「キラー・ビーは普通の蜂と一緒で、花の蜜を採取して巣に持ち帰るようですからね。魔素で変化してしまった花の蜜を集めていたのが原因だったんです」
キラー・ビーのコロニーはとても巨大で、場所を特定するのは容易だった。だから、その周りに花を植えたのだ。
一般的に薬草と言われる類いのハーブである。
毒性を消すため、毒消しの効果がある草を中心に植えてまわった。
十ヶ月ほどかかっただろうか。ようやく毒性がないはちみつを採取できるようになったのだ。
気の長い話だった。最も情熱を注いでいたのは教皇である。
「フフフ。どんな味がするのか楽しみだね」
「本当に」
笑顔を交わして作業を開始する。
シンプルなクッキーだ。材料さえ揃えば特別な道具もいらない。
「全粒粉の小麦粉に――アーモンドプードルですね。粉類は私が振るいましょうか」
「待って、待って。混ぜる前に、アーモンドプードルはから煎りしよう。香ばしくなるんだ」
「へえ……」
意外にも教皇は菓子作りに精通していた。
いわく、
「神殿での菓子づくりは昔からの伝統だからね。下っ端の頃はよくやらされたものだよ」
菓子作りのスキルは彼がこれまで苦労してきた証だった。
言われたとおりに、サッとフライパンでアーモンドプードルを煎る。
アーモンドプードルは、木の実を細かく砕いた粉だ。火が通ると、香ばしい匂いが立ち上ってくる。
冷ましたものを小麦粉と混ぜ合わせて振るう。
それとは別に、バター、砂糖、はちみつ、塩を、白っぽくなるまですり混ぜた。
「うん! あとは粉をさっくり混ぜて……」
混ぜすぎないように注意しつつ、まとまった生地を棒状に整えた。本来なら、冷蔵庫などでしばらく生地を寝かせるのだが――。
「ちょっとズルをしちゃおうかな」
教皇が指を一振りする。
生地に触ると、ひんやり冷たくなっていた。
「わー! すごい!」
「びっくりした?」
「そりゃあ! 魔法ですか?」
「そうそう。氷の低級魔法だよ。いやあ、いい反応だなあ。嬉しくなっちゃう」
ニコニコしながら生地をナイフで切り分けていく。
生地はこれで完成。いわゆるアイスボックスクッキーだ。型がいらないから、手軽に作れるのが強み。
熱した釜に入れて焼いていく。こんがりと焼き目がつけば――完成だ!
「わあ。美味しそうに出来た」
「本当に!」
できたのはまんまるのクッキー。
本当にシンプルだ。きつね色の生地が可愛らしい。
「じゃあ、お茶にしようか」
エプロンを外しながら教皇が言う。
「君も同席してよね」
所在なげに佇んでいたジェイクさんが、再びぺたんと耳を伏せた。
教皇がお茶会の場に選んだのは、中庭だった。
「お疲れ様。これをあげる」
「ああ、君。お仕事ご苦労様。どうだい休憩にでも」
「子どもが生まれたばかりだったよね。お土産に持って帰ればいいよ。あ、赤ちゃんにはあげちゃ駄目だからね」
会場に到着するまでに、教皇は神殿の人たちに出来上がったクッキーを配り歩いた。
やけに小分けにすると思ったら……。
最初からそのつもりだったらしい。
「教皇様、本当にありがとうございます……!」
神殿を闊歩する教皇に、人々が笑顔を向けている。
まるで偉ぶらないジオニスは、誰からも愛されているようだった。
「いやあ、配った。配った」
中庭に到着した頃には、ずいぶんとクッキーが減ってしまった。
残されたのは小袋がひとつ。
更には茶会の会場に用意されていたベンチは、ひとつきりだった。
「ちょっと詰めてくれる?」
「おい。もっと椅子は用意できなかったのか……」
「あるわけないよ。そもそも、だ! 茶会なんて、いまの神殿でボクたちの他に誰がするんだい」
狭いベンチに、私を挟んで三人で並ぶ。
侍女さんがお茶を給仕してくれたものの、優雅な午後のひとときとは言いがたい。
肘が触れ合っている。友達同士で公園に遊びに来たみたいだ。
「ねね、食べてみて。感想をききたいんだ」
無邪気に請われて、こくりとうなずく。
「いただきます!」
さくっ!
ひとくち頬張れば、軽やかな歯触りに笑みが浮かんだ。
「すごい優しい甘さ……!」
「だねえ! アーモンドプードルを煎ったのも利いてる。香ばしくってすごくいいね」
口の中に入れたとたん、生地がほろりと崩れる。
甘さは控えめだが、逆にそれがよかった。
油断すると何枚でも食べてしまいそう。
「ジェイクはどう?」
教皇が悪戯っぽく瞳を輝かせている。
無言で咀嚼していたジェイクさんは、むっつりと答えた。
「……美味いよ。お前の菓子は、いつだって」
「そうか! そうだよね。さすがボクって感じだよね!」
楽しげに目を細めた教皇は、ふと遠い目をして言った。
「甘いお菓子は贅沢品。こんな緊急時に必要ないって言う人もいるけどさ、ボクは違うと思うんだ。無駄こそが人生を豊かにするんだよ。菓子を食べた人はこう思うだろう。『今日まで生きてきてよかった』ってね。ボクが目指しているものにとても近い。信仰の境地と言ってもいいかもしれない」
だから、どうしてもはちみつがほしかったという。
榛色の瞳を私に向ける。
目尻に皺をたっぷりたたえて、教皇ジオニスはしみじみ言った。
「また君に救われたね。感謝しているよ」
「……わ、私はなにも」
「はちみつを再び食べられるようにしてくれたじゃないか! 甘味はおおぜいの笑顔を作る。君がボクたちの世界に来てくれて、本当によかった」
まっすぐに感謝を伝えられて、頬が熱くなった。
くすぐったくて、照れ臭くて。
けれども、心は満たされている。
「そうですか」
異世界に来てよかった。そんな風に思えるできごとだった。
「さすが教皇。勇者を誑し込むのはお手の物だな」
ふいにジェイクさんが言った。
「……誑し込む?」
なにを言い出すのだろう。
首を傾げていると、席を立ったジェイクさんは、私たちに背を向けたまま言った。
「そうやって、異世界から召喚された人間をどれだけ使い潰してきたんだろうな」
歩き出そうとする。足を止めて私に言った。
「穂花。お人好しなのも大概にしろよ。おのれの身を滅ぼすぞ」
そのまま歩き出す。
取り残された私たちは唖然とするしかない。
「……まったく。アイツは……」
教皇ジオニスは苦く笑っている。
「ごめんね。不安にさせてしまっただろう」
「は、はあ……」
曖昧にうなずいた私に、教皇は寂しげに笑った。
「知っているかい。情けないことに、この世界は危機におちいる度に神が喚んでくださった異世界人に救ってもらってきた。だから、君たちがここにいる。それは理解しているね?」
「はい。神様自身もそう言っていましたから」
「なら話が早い。彼は――ジェイクは、君たちの前に召喚された人と縁があってね」
「……前に?」
「魔王と対決した勇者さ。彼とジェイクはとても親しかった。だから――」
そっと視線を上げる。すでに小さくなってしまったジェイクさんの背中を見つめ、教皇は小さく息を漏らした。
「少し敏感になっているんだ。魔物がウロつく山中にいる勇者を見つけ出して、同行を願い出るくらいはね」
ハッとした。
ジェイクさんとの出会いは偶然だと思っていたけれど、冷静に考えてみると不自然だ。
森で出会った時、彼は「この先に人家はない」と言った。ならば、ジェイクさんだってそこにいる理由はないはずだ。
街道を外れて森へ踏み込む必要もない。
あの人は――私たちを心配して来てくれたのだ。
息を呑んだ私に、教皇ジオニスは言った。
「彼は二度と失いたくないんだろうね。自分たちの世界に、献身的に働いてくれる異世界人を。罪滅ぼしだとでも思っているのかも」
教皇は笑みを浮かべている。
「……もちろん、ボクも同じ気持ちだけれどね」
「そう、ですか」
そっと息をもらした。
ジェイクさんが胸に秘めた物語の欠片を垣間見た気がする。
同時に彼の気持ちを嬉しく思った。
ありがたい。
ぶっきらぼうではあったが、私たちを案じての言葉だ。
そもそも、ジェイクさんだって私と似たようなものだろう。
縁もゆかりもない異世界人に肩入れするなんて――お人好しが過ぎる気がする。
……なんとかして、安心させてあげたいなあ。
「あの、ジェイクさんのこと、詳しく教えて頂けませんか」
「もちろんだ」と教皇は笑みをたたえた。
――――――――――――
キラー・ビーのクッキー(15枚分くらい)
小麦粉(全粒粉) 130グラム
アーモンドプードル 15グラム
無塩バター 100グラム
砂糖 45グラム
はちみつ 15グラム
塩 ひとつまみ
*クッキーの抜き型を洗うのがめんど……(ゲフンゴフン)なので、アイスボックスクッキーはよく作ります。
甘い物は苦手な忍丸なのですが、このレシピは優しい風味でお気に入り。娘とのおやつタイムによく登場します。
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