第9話 キラー・ビーのサクサククッキー 前編

シセルたちの遺骸を手厚く葬った後、私たちは急いで深い森を越えた。


森を抜けると高台に出る。遠く、海沿いに町があるのが見えた。


堅牢な岩作りの城壁の向こうに、丸い屋根が特徴的な建物があった。神殿だ。私たちをサポートしてくれ、魔素の噴出で困窮している人々に手を差し伸べている。


ビザンツは神殿を中心に発展した町だった。


城壁の外には難民キャンプが広がっていた。神殿は各地の復興を支援しては、受け入れ体勢を整えた地域に難民を送り出している。


魔素噴出の影響により、ほとんどの国は国家の体を為していない。


神殿こそが人類最後の砦なのだ。


「おおっ! 勇者様がた、お帰りなさい!」


町に近づいて行くと、警備兵が声をかけてくれた。


「勇者様?」


「あっ! 勇者様だーー!!」


私たちに気付いた難民たちも近寄ってくる。


テオたちもいた。今回の旅で避難するように誘導した人たちもおおぜいいる!


「本当にありがとうございます。あなた方のおかげで命拾いしました」


「無事に到着できたようで安心しました。どうか無理はなさらないでくださいね」


「おねえちゃんのご飯、次はいつ食べられる?」


「テオ! また会えたね。準備があるから……次の次くらいの炊き出しの時かな!」


「やったあ!」


笑顔で対応しながら、神殿目指して歩いて行く。


「おねえちゃん、前より難民が増えてるね」


「だねえ。数日は休みたかったけど……炊き出しもしなくちゃだし、ゆっくりはできないかも」


「無理はしないでね?」


「はいはい。気を付けるね」


私のスキルは弱った人たちにこそ効果を発揮する。


シセルを思い出すと、いまだ胸がチクチク痛んでいた。


思うさま泣いたものの、痛ましい兄弟の姿はいまだ私の心に影を落としていた。


今度こそは救ってみせる。手遅れなんかにはしない。


神殿に戻ったら、なるべく早く準備に取りかかった方がいいだろう。忙しくなりそうだ。


「…………」


妹と雑談していると、ジェイクさんが物言いたげに私を見つめていた。


瞳が物語っている。


『どうしてそこまでして、異世界に献身するのか?』


シセルと出会う前、投げかけられた疑問だった。


おそらく、彼の中では疑問が膨れ上がっている。


シセルたち兄弟を前に泣いている私たちを見て、彼はこうつぶやいていた。


『この世界と縁もゆかりもないお前たちが、どうしてこんな想いをせねばならないのか』


ぽつり。ぽつり。


ひと言ひと言を噛みしめるように、どこか苦しげに言った。


『神はいつだって自分勝手だ』


ジェイクさんは、神殿に仕えていた元騎士だ。


だのに、短い旅路の間にも、神に対する不満をこぼしていたように思う。


不思議だった。でも、詳しくは訊けないでいる。


私たちが彼にすべてを明かしていないように。


彼にも、胸に秘めた物語があるかもしれないからだ。


「おねえちゃん、疲れたよう」


「神殿まであとちょっとよ。がんばって」


妹が甘えた声を出している。


私の料理を食べているから、体調面は問題ないはずだった。


けれど、すり減った精神までは癒やせない。


まあ、半日くらいは休んでもいいかもしれないな――。


「見つけたぞッッッッ!!」


「ぴゃあっ!!」


とつぜんの大声に、妹が変な悲鳴を上げた。


「まさか……」


ぎこちなく振り返る。さあっと顔から血の気が引いて行った。


「マモリ・キザキッッ!! やっと帰ってきたな!!」


背後から現れたのは、神殿騎士たちだ。


顔を真っ赤にして叫んでいるのは、先頭に立った男だった。


やや癖のある銀髪に、涼やかな目もと。おおきなほくろが特徴的な色男である。


「レクシアの家名にかけ、今日こそは決着を着けてやる。来いッ! いますぐ再戦だッ!!」


「げええ。フロレンスじゃん。アンタ、しつこすぎない!?」


「当然だ。誇りを取り戻すためならば、何度だって挑み続ける。それが騎士道だろう!?」


「知らないよ。そんな暑苦しい道……」


まもりはげんなりした様子だった。


本当、フロレンスは挫けない人だなあ。


たまらず苦い笑みをこぼす。


フロレンス=シュツヴァルト・フォン・レクシア。神殿騎士のトップに立つ男。いまの騎士団長だ。


もともとは地方貴族の末子だった。実力を買われ、若くして騎士団長にまで上り詰めたという。


彼とまもりには因縁がある。


初めて妹が刀を手にした時、一切の反撃を許さずに圧倒的勝利を収めたのが――フロレンスだったのだ。


以来、彼はまもりを見つけるたびに勝負を挑むようになった。


「勝負をしろと言っているだろう、マモリ・キザキッッ!」


「やだっ! 疲れてるんだもん! 後にしてよ~!」


「クッ! どうしても駄目か?」


「駄目」


「そうか」


しゅん、とフロレンスが肩を落とした。


綺麗に整えられた前髪が、心なしか垂れ下がっている。


まるで散歩を断られた柴犬みたいだ。


「うっ。も、もうっ! ……仕方ないなあ!!」


妹が折れた。


「本当かマモリ・キザキッ!!」


ニコニコ顔になったフロレンスを、妹はどこか複雑そうに見つめている。


フロレンスは基本的に気のいい人だ。


さんざん勝負を仕掛けてくるのには飽き飽きしていたが、騎士団長である彼には、姉妹そろってよくしてもらっていた。


「一戦だけだから! ちょっと行ってくる。あとで合流ね!」


妹がフロレンスと連れ立って歩き出した。


「あっ、お姉さん。ほんと、ほんとうに、うちの団長がすみません……」


副官のギルがペコペコ頭を下げていた。


獣人と人間のハーフのギルだが、どうにも顔色が悪い。今日も今日とて暴走しがちな騎士団長に苦労させられているようだ。


「あとで胃に優しいスープでも届けましょうか」


声をかけると、ギルの表情がふわっと和らいだ。


「ありがとうございます! 遅くならないうちに、妹さんはお返ししますので!」


小走りで去って行くギルの姿を眺めていると、ジェイクさんの姿が見えないのに気がついた。


「あれ……?」


辺りを見回せば、物陰にぽつんと佇む巨躯の獣人を見つけた。


隠れていたのかな。


不思議に思っていると、見知った顔が近づいてきたのに気がついた。


「穂花様、お帰りなさいませ」


神殿のトップ、教皇つきの侍女さんだ。


「お疲れでなければ、一緒に茶でもどうかと主が申しております」


ちらりとジェイクさんを見やると、ぴくりと獣耳が反応した。


「元騎士団長、ジェイクもご一緒にと仰せです」


ぺたん。ジェイクさんは耳を伏せた。居心地悪そうに尻尾をゆらゆら振っている。


――やっぱり偉い人だったんだなあ。


特に断る理由もない。喜んで茶会の誘いに乗った。



   *



教皇は神殿の厨房にいるらしかった。


侍女さんに連れられやってきた私たちは、不思議に思いながら室内をのぞきこむ。


石造りの広い厨房で、誰かが忙しなく動き回っているのがわかった。


「おや!」


その人は、私を見つけるなり目尻に深い皺を寄せた。


「もう来ちゃったのかい? 参ったな。まだなにも手を着けていないのに」


真っ白なひげ。質素なローブの上にエプロンを着けた老人は、まごうことなき神殿のトップ。教皇ジオニスだ。


「今回も活躍だったそうじゃないか」


たっぷりたくわえた眉毛の下で、つぶらな瞳がキラキラ輝いている。ジオニス教皇は、そっと私の手を握った。


冷たい、乾いた手だ。彼の歴史を物語るように多くの皺が刻まれている。


体感温度とは裏腹に、どこまでも温かな手だった。


「お疲れ様。怪我はなかったかい。不便はしなかった? 騎士をつけなくても平気だったかな。やっぱり誰かを一緒に行かせた方がよかったよねえ?」


榛色の瞳には慈愛がにじんでいる。


胸の奥が暖かくなるのを感じながら首を横に振った。


「妹がいましたから、問題はありませんでしたよ。ありがとうございます」


「そう」


ちらりとジェイクさんを見る。ぴん、と耳を立てた巨躯の獣人に、教皇はクツクツ笑った。


「まあ、ボクの友人がそばにいてくれたようだから。心配する必要はなかったようだね」


「……あの、ジェイクさんって――」


「そう! 先代の騎士団長だよ。魔王討伐にも参加した伝説の戦士なんだ。彼は頼りになったろう。あかり君にとっては、いい刺激にもなったんじゃないかな」


「そのとおりです。稽古をつけてもらって、すごく喜んでいました」


「だろう、だろう。ジェイクはね、若者を育てるのが昔からうまいんだ。みんなから団長、団長って慕われていてね……」


「オイ」


居心地悪そうに佇んでいたジェイクさんが、声を張り上げた。


「やめろ。もう引退した身だ」


視線を泳がせた彼に、教皇は呆れ混じりに笑った。


「君の任を解いたつもりはないけれどね。勝手に引退したくせに」


「それは――」


「わかってる。事情は嫌ってほどわかってるよ。だけどさ、親友の退任の儀ができなくなったボクの気持ち、考えたことある?」


「ぐむ……」


「反省するんだね。旧知の仲間とばっかりコソコソ連絡とってさ。情報がほしいならボクを頼りなよね? なんのために、教皇の座に居座ってると思ってるのさ」


一方的にまくし立てられ、ジェイクさんは耳をぺたんと伏せた。


彼の耳は口よりも雄弁だ。あからさまにしょげている。


「……すまん」


ぽつりと謝罪したジェイクさんに、教皇ジオニスは目を細めた。


「わかったならよろしい」


パン、と手を叩く。


「じゃあ、菓子を作っちゃおうかな。穂花君、少し手伝ってくれる?」


「え? あ、はい――」


困惑している私に、教皇ジオニスは茶目っけたっぷりに片目をつぶった。


「実はね、キラービーのはちみつ。あれが実用段階に入ったんだ」


「……! 本当ですか!」


驚きの声をあげた私に、教皇は笑った。


「はちみつクッキーなんてどうだろう。きっと美味しいよ」

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