6-3


「しかしだ、おまえたち。わたしとタルクが、その……関係になったこと、まるでわかっていたみたいだが」


 別れの接吻を終えたカイリアとタルクは、熱く火照る顔をさも涼しげと言わんばかりに職人たちへ問いを投げた。


「何故ってそりゃあ……」

「ここ数日の工房での二人を見てりゃなあ」

「顔つき合わせてはあーだのうーだの……」

「前は言い争ってばかりだったのに」

「こりゃついに、と思ったよ」

「俺たちゃ、二人がいつ引っ付くのかとずっとやきもきしてたんだぜ?」


 タルクとカイリアの関係に進むべき段階ステージがあることは、工房のみんなには筒抜けだったようだ。僕は全然気づかなかったけれど。


「はは、不思議なものだね。僕自身、この気持ちに気づかされたのはついこの間のことだったのに」


 カイリアへの意識を技師としての憧れ、ライバル視だと思っていたタルク。彼はその感情に恋慕も含まれていたことに、カイリアからの衝突的アプローチによって初めて自覚したようだ。


「わたしも……何か理由をつけては逃げていた。自分の気持ちから。それが自分のために正しいことと疑いもしなかった。向き合うことができたのは、母さんのおかげだ。そして、母さんに会わせてくれたエイユーのおかげだ」


 カイリアが僕の方に向き直るものだから、その場の視線が一斉に集まる。そういえば、僕らは遺跡でツォングシャラから逃げ延びたという噂が広まっている身だった。せっかくホーゼナイを離れるのだ、あまり関心を引きたくはないのだが……。


「カイリア、エイユー、シヴィラの御三名。乗船を始めていただけますか」


 折良く船員が促しに来る。時間が迫ってきていた。


「……じゃあ、みんな。元気でな。わたしがいなくとも、工房のことよろしく頼むぞ」


 今度こそ、最期の言葉がけだ。カイリアの語調から伝わってくる。

 職人たちから威勢の良い応えが帰ってくることはなかった。目を伏せて神妙に押し黙っている。やはり皆、カイリアとの別れが惜しくて惜しくて堪らないのだ。


「……ああ。待ってるから。エイユー、キミにこんなこと言いたくはないけど……カイリアに何か間違いを起こしたら、僕が許さないからな」


 代わりにタルクが本気とも冗談ともつかないことを言ってくる。


「またタルクさんは! エイユー様がそんなに……や、やらしい人に見えるのですか?」


「そんな意味で言ったんじゃ無いよ。ただ男として言っておかなきゃならないと思ったんだ」


 シヴィラに噛みつかれタルクはたじろぐ。カイリアと言えば、もじもじと体をくねらせていた。恋人に「手を出すな、彼女は自分のものだ」と宣言されたのが嬉しいのだろうか。


「ともかく、カイリアのことをよろしく頼む」


「わしからも……見ての通り、カイリアの体は小さいもんじゃ。どうか……」


 リグラートも揃って祈ってくる。カイリアの逆鱗は彼には発動しないらしい。


 一人の娘を想う男たちのために、僕ははっきりと答えた。


「もちろんです。僕の命に換えても、カイリアがホーゼナイに戻ってこれるよう努めます」


 ……少し大げさ過ぎたか? どう思われたかわからないが、二人は驚きながらも僕に握手を求めてくる。


「僕も仕事に心血を注がないとな。カイリアがいつ帰ってきても良いように」


「エイユー……本当に英雄のような御方じゃ。おぬしをここに導いてくれた運命に感謝するよ。どうか、ご無事で」


 突然、目頭を突かれるような衝撃を受けて、僕はようやく気づいた。僕もまた皆との別れを惜しんでいたのだ。互いに名前を知る関係なんて、この世界にはまだ両手で数えられるほどしかない僕。旅商人のコーロブと別れた時さえ泣いてしまった。


「また、会いましょう。その時まで、お元気で」


「次にホーゼナイまで来るのがいつとも判りませんが……その時わたしが18歳になってたら、ブレスコを飲ませてくださいね!」


 涙を堪えて言葉を絞り出す。握った手のぬくもりがいつまでも消えなかった。



 エレベータとはまた違う独特の浮遊感が足下から上ってくる。カイリアの父が最後に携わったという船、ヨークアロー号は特に合図もなくおかから解き放たれた。アルパクールへの短い船旅が始まる。


 甲板に上がった僕たちは港を見下ろす。見送る人々が横一列に並んで手を振っていた。

それぞれがカイリアに息災を願ったり、声を張り上げて激励を送っている。


「みんな、行ってくるぞ! わたしが戻るのを楽しみに待っていてくれ! もうわたしを可愛いだなんて言えないほど大きくなって帰ってくるからな! あ、タルクは別だぞ! 次に会うときもわたしを可愛がってくれなきゃ許さないからなー!」


 衆人環視の中でのキスで気持ちが吹っ切れたのか、らしくなく恥ずかしい台詞をのたまうカイリア。タルクは周りの職人らに冷やかされながら、ちぎれんばかりに腕を振った。

 その横ではリグラートが優しい目をしてこちらを見つめている。コードンの女将も涙は隠してそのふくよかな顔に笑顔を広げていた。


 ゆっくりと言えばゆっくり、速いと言えば速い速度で船は港を離れていく。カイリアはシヴィラといっしょに手を振り返していたが……やがて腕を下ろし、視線を港から大きく外れた方向へ動かした。


「……ありがとう、父さん……良い夢を見させてもらった」


 カイリアの呟きで彼女の視線の先に有るものに気づく。

 砂浜に座して乾き、櫓に縛り付けられた船。カイリアの隠れ家が岩陰からこちらを盗み見るように佇んでいる。

 そういえば、カイリアがあの船を所有する由来を聞いてはいなかった。だが今は分かる。あれは船大工だった父の遺産なのだ。


 微睡みの中ではきっと、帆に風を張り自在に漂っていたのだろう。


「……タルクとのこと、認めてくれるよな」


 カイリアは眼を細め、次第に遠ざかっていく父の形見へ問う。


 今や内なる羅針盤に従い海上へと浮かび出た娘を、父が誇らぬはずがない。隠れ船はカイリアの依るところではなくなったが……帰るところではある。ホーゼナイの砂浜で、いつまでも娘を待っていてくれるはずだ。


「――待ってぇー! そこな船、お待ちになってぇー!」


 遠くから聞き慣れない女性の叫び声が飛んできて、僕たちは一斉に首を回す。声を空へ響かせながら誰かが埠頭を走ってくる。ひらひらした白い服が太陽光を弾いて非常に目立っていた。


「カイリアさんのお知り合いですか? 着ているものを見るに、ホーゼナイの人じゃなさそうですけど」


 その女性が海へ近づいてくるにつれ、姿がはっきり見えてくる。少々場違い感のあるドレスの裾を掴み、必死に船に戻ってくるよう訴えながら走る、あの淑女は……。


「あれは……彼女、まだホーゼナイにいたのか」


「確かコードンに居た、遺物省関係の人だ……ってカイリアも知ってるのかい?」


 コードンで紳士と言い合っていた女性で間違いない。あの時シヴィラは彼女の姿を見ていなかったから誰かと思うのはもっともだが、カイリアは淑女と面識があるようだ。


「初めて会ったのは3ヶ月前、フォーエの遺跡の見物に行ったときだ。それ以来会っては居ないが……。エイユーの方こそ、彼女を知っているのか?」


「いや、コードンで働いているときに店に居るのを一度見かけただけ。そのときは、40代くらいの男性と一緒だったけど」


「ああ、その人は多分エペック博士だな。フォーエで会ったとき、彼女はエペック博士に用があってホーゼナイに来たと言っていた」


 エペック博士について軽く紹介を受ける。遺物省が派遣した発掘隊の責任者で、フォーエの遺跡の調査のためホーゼナイに滞在しているらしい。


「先日わたしたちが遺跡に入ったのをお咎め無しにしてくれたのもエペック博士だ。無断立ち入りを許してもらうよりも、遺跡の中がどうだったのか根掘り葉掘り聞こうとするのをあしらう方が大変だったがな……扉は再び閉ざされてしまったし、中は魔域と化していたから当面発掘は諦めた方がいい、とは伝えておいたが」


「それで、あの女の人は結局誰なんですか?」


 シヴィラが話の軸を戻す。淑女は船に戻ってくるよう呼びかけ続けていた。だが運航スケジュールは厳格なようで、船員たちは港の方へは目もくれない。


「ああ、そうだった。でも、わたしも今話したこと以上のことは知らないんだ。格好からして王都の方から来ているとは思うんだが。エペック博士の知り合いのようだし」


「じゃあ、何故彼女は港へ来ているんだ」


「この船に乗るはずのところを、遅れてしまったのでしょうか」


「いや、それはないだろう。この船は旅客船ではない。ヴァルヴァレト港と直接契約がある輸送船だ。わたしたちは特別に積み荷に混ぜてもらっているだけ。乗り遅れている者がいるのなら……そもそも出港できないはずだ」


 謎の淑女の登場に港の群衆たちも静かになった。タルクたちが怪訝に彼女を見やっている。そんな彼らの後ろを通り過ぎ、淑女は桟橋の縁まで躍り出て叫んだ。


「その船にヒュ=ジの女の子と一緒に男の方が乗っているはずですの! 戻って来なさい! これは王国からの命令ですのよー! わたくしは――――」


 喚く淑女を船は一顧だにせず沖へと進んでいく。飛沫と風の音にかき消され、遠ざかっていく彼女の叫びは聞き取れなくなっていった。


「……彼女は、二人に用があるみたいだったな。エペック博士が口を滑らせたか……?」


「うん。あの人に見つかる前に出港できたのは幸運だったかもしれない」


「でも、キレイな人でしたね」


 シヴィラのどこか抜けた感想を最後に、僕らは淑女のことについては忘れることにした。



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