6-2


「見ろよ、この船を……『ヨークアロー号』。わたしの父さんが造った最後の船だ。竣工以来ずっとホーゼナイとアルパクールを行き来している」


 カイリアの指す船を三人で見上げる。船の上では出港に向けて乗員たちが忙しなく動き回っていた。


「これがワタシたちの乗る船なんですね! すっごい! おっきい!」


 乗船予定の船を前に興奮するシヴィラ。カイリアの隠れ船でも感激していたのだ、海に浮く船に乗れるとなると、念願叶ったりといった感じだろう。


 思えば僕に、船の客になった経験なんてあるのだろうか。海を越える手段として真っ先に挙げられるのは飛行機だ。わざわざ時間がかかる船旅を選ぶのは、富裕層の旅客くらいなものだろう。


「ホーゼナイに寄港する船にはもっと大きいのもあるがな。これも輸送が主なだけあって大きい部類ではある。わたしの隠れ家なんて小さいもんだ」


 カイリアの言うように、隠れ船のざっと三倍はあるだろう。マストのそびえる木造船というのは、ロマンを感じるものだ。


「ふん、エイユーの顔を見ればわかるぞ。キミの時代からすれば、こんなもの子供の玩具おもちゃくらいでしかないんだろう。海の上での2日間、前世界の船についてたっぷり聞かせてもらうからな」


 確かに……これが玩具トイに見えるくらい巨大な金属塊が、帆も無しに海を自在に走っていたなんて、この時代では信じがたいことかも知れない。



 船の出航準備が整うまでの間に、港には続々とカイリアを見送る者たちが集まってきた。

 タルクとリグラートはもちろん、コードンの女将、第8工房の職人たちまで。


「女将はともかく、おまえたち。もう仕事が始まってる時間だろう!」


「僕だって止めたさ! でも聞かなかったんだよ! 『俺たちのアイドルが行っちまうっていうのに、見送りもせずとは不敬なことよ!』とか言ってさあ!」


「なっ!? おまえたち、わたしをそんな風に見てたのか!」


 不本意な愛され方をしていたことを知ったカイリアは赤面した顔を海へ逃がす。そんな彼女の気を知ってか知らずか、職人たちは波を押し返さんばかりに笑った。


「まったく、つい先週まで腫れ物みたいだったのに……あれよあれよと言う内に街を出て旅人さんについていく、なんてねえ」


 カイリアを娘同然に心配してきた女将は、涙を拭いながらも気丈な声で言う。


「女将さん……お世話になりました」


「エイユーさん、シヴィラちゃん。また近くまで来るようならいつでもおいで。そん時は、うんとご馳走を作ってあげるから」


「女将さん、そういう事言うとシヴィラは三日後にでもホーゼナイへ戻ろうと言い出しかねませんから……」


「ちょっとエイユー様! それはあんまりじゃないですか」


「くははっ、安心しろよシヴィラ。アルパクールにも面白い美食はたくさんあるぞ。わたしとしては、郷土愛抜きでコードンの料理が一番美味いとは思うがな」


「やだよ、この子ったら」


「この子はやめてくれったら。やれやれ、しばらく女将の子供扱いから離れられると思うと清々する……」


 一度は笑いに包まれた場も、水を掛けられた焚き火のようにしゅんと沈む。皆、ここが別れの会で有ることに目を背けることはできなかった。


「元気でね、カイリア。酒はほどほどにするんだよ」


「わたしが戻るまで、コードンの看板を守っていてくれよ。冷蔵庫のことはちと心配だが」


「なに、あんなの引っ叩けば直るよ」


 その会話を最後に、二人はハグによって想いを伝えた。娘を思う母とそれに甘える娘にしか見えない。しかし事実、女将はカイリアの母代わりの人に等しかったのだ。


 そして、もう一人の親代わりが歩み出る。


「カイリアよ……」


「おじいちゃん。急に独りにしてしまってごめん。ご飯、ちゃんと食べてよ。何でも自分でやろうとしないで、家政婦でも雇って……」


「こ、これ。そう年寄り扱いするでないわ。職人たちの手前、格好がつかんじゃろう」


 リグラートは強く咳払いをして仕切り直す。


「カイリア。こうしておまえを送り出せることを、本当に喜ばしく思っておる。この機会を、老いたわしが奪うことにならなかったことを。今のカイリアなら、わしが「行くな、カイリア」と泣いてすがり付いても意志を変えることはない。それに酷く安心しておるんじゃよ」


「おじいちゃん……わたし、薄情な孫かな」


「とんでもない。わしはもう十分良い思いをさせてもらったよ。仕事ばかりして誰も愛さず結ばれず、失うばかりだったわしを、おまえはおじいちゃんと呼んでくれた。わしが自分の人生を後悔しないで居られるのは、カイリアのおかげなんじゃよ」


 カイリアは港に来て初めて俯いた。リグラートは続ける。


「わしの、孫よ。賢いおまえなら解っていることだと思うが、これだけは覚えておいておくれ。おまえの人生はおまえが行く道を決める。だが決して、おまえだけのものではないぞ。他者の人生とも互いに交わっていくものじゃ。蔦が絡み合って成長していくように。わしやタルク、そしてホーゼナイの皆。さらにエイユーとシヴィラ。皆が皆、おまえの人生を支え、そしておまえも皆の人生を支えていくものなんじゃ。……さあ、長話はこれで仕舞いにしようかの」


 扉が開くように、老人の細い腕が広げられた。カイリアは迷わずその中へ飛び込む。


「必ず無事で帰ってくるから……おじいちゃんも、絶対元気でいてよ」


 表情を隠すように顔を押しつけてくる孫の背中を、リグラートは弦を奏でるかのような手つきで優しく撫でた。


「当然じゃ。わしはまだカイリアの晴れ姿を見とらんからの。品評会も……花嫁姿も、な。のう、タルクや」


 今やカイリアと恋合う仲となった彼に、リグラートからのパスが回る。タルクは何故か職人たちに紛れるように下がっていた。


「い、いや工場長、僕なんかより、あなたが、もっと話したいことがあるでしょうから……」


「何を遠慮しとるんじゃこいつは。ほれ、おまえたち、押し出せ押し出せ」


 背は低くとも腕は太い職人に囲まれていては、しものタルクもなすすべは無かった。集団の中から弾かれ、カイリアの前へまろび出てくる。


「タルク……」


「カイリア。ははっ、やれやれ。交わすべき言葉なら、今日まで散々交わした。今さら言うことは、繰り返しになるだけだ。だよね?」


「……なら、言葉など必要あるまい」


 言うとカイリアは目を閉じ、踵を上げて顎を天へと突き出した。親に餌をねだる雛鳥の真似でもしてるみたいだ。だが、カイリアが求めるのが食餌でないのは明白だ。


「か、カイリア、今ここでかい!? 工房のみんなも居るっていうのに」


「今、だからだ。皆に見せつけてやるんだ。タルクは、わたしの男だってことをホーゼナイに知らしめる」


 カイリアは片目を開いて催促する。つま先が震えて、そう長いことバランスを取っていられないだろう。


「何を躊躇ってんだ、坊主!」


「大事な人が欲しいって言ってんだ、待たせんじゃねえぞ!」


 第8工房の職人たちから野次が飛ぶ。


「ちょ、なんで知って……ええい、ままよ!」


 タルクはやけくそ気味にカイリアの背に腕を回し、その唇を引き寄せる。いつか砂漠で見た光景が、再び僕らの前に現れた。


「ひゅーっ!」

「やったぜおまえら!」

「ああ、ここに写映石があればなあ」


 あの時とは違って、ムーディーとは言えないが。しかしそれでも、祝福される二人は幸せそうに互いを確かめ合っていた。



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