5-7


「タルク、すまなかった。カイリアを危険な場所に連れ出して……」


 青年からの叱責を予見し、先手を打って謝罪する。タルクはまだ知る所ではないが、遺跡内は事実危険な場所だったのだ。


「いや……こっちこそ、カイリアが無理を言って申し訳ない。そうだろう? 一度死にかけた遺跡に、エイユーとシヴィラの二人が好んで行きたがるはずがないもの」


 しかしタルクは至って平静に、そう答えた。互いに謝罪というカードを切り、あいこになる。


 カイリアが正気を取り戻す頃、遺跡の前にさらに到着する人がいた。

 リグラート老人と、遭難救助やモノリの遺留品と散々世話になったあのエリガンの男だ。


 リグラートもまた骨張った指を巻き付けてカイリアを抱く。ここまで来るのは体に堪えただろう、ほとんど倒れかかるようだった。


「カイリア! まったく、心配かけおって……。わしの短い寿命をこれ以上縮めんでくれ」


「……ごめんなさい。でもみんな、よくわたしがここに居るとわかったな」


 昨夜、タルクは隠れ船にいるであろうカイリアを案じてそこに向かうも、彼女の姿はなかった。彼女の養家であるリグラート邸を訪ねるが、カイリアは帰ってきていない。どころか、いつの間にかリグラートの馬車が無くなっている。

 そこで二人は、カイリアにモノリのことを聞かれてしまったのではと気づいたらしい。


「工場長の馬車を使ってフォーエの遺跡に向かったに違いないと思った。大急ぎでエリガンの本部へ行って、そこで寝ていたこの男を叩き起こしたんだ」


「し、仕方がないだろう、ちょっと調べ物で疲れていたんだ……」


 宿直当番にもかかわらず居眠りをしていたというエリガンはバツが悪そうに頭を掻いた。


 エリガンの馬を借りてフォーエに向かうも、着いた時には夜明け近くなっていたということだ。


「リグラートさんは街で待っていた方が良いって言ったんだが、どうしてもって聞かないからよ。おかげで時間がかかっちまった」


「カイリアが危ないというのにわしだけ指をくわえて待っていろと言うのか! ありゃおまえさんらの調教が悪いぞ! 生意気な馬じゃったわ!」


「おじいちゃん、最後に馬の背に乗ったのなんて何十年も前だって話してたじゃないか。無茶しないでよ」


「これ、カイリア……先に無茶をしおったのはおまえじゃろうに」


「黙って砂漠に出たのは謝るけど、わたしは無茶をしたつもりはないよ。できる限りの準備と計画で行動した。だからエイユーとシヴィラもここにいる」


 リグラート老にはっとした表情で目を合わせられ、僕らは軽く頭を下げる。


「お二人さん、すまなかったの……旅の途中なのに、カイリアに時間を割いてもらって。見ればエイユー、スカーフが破けておるではないか。何か危ないことをさせられたんじゃあ……」


「いえ、これは……少しじゃれつかれただけですから」


 老人は何の比喩かわからないという感じでキョトンと目を見開く。が、すぐに頭を振って口を動かした。


「そ、そうじゃカイリア。その計画とやらが上手く運んだというなら、モノリは……?」


「……うん。馬車の荷台に」


 魔域やデュシカとの遭遇といった予想外こそあったものの、モノリの遺体に関しては予定どおり回収して来ていた。

 車に積まれたカイリアの母を娘に示され、リグラートはごりゅと音を立てて唾を呑んだ。

 しかし取り乱すこと無く、カイリアを再び近くに寄せるとその頬を撫でた。


「そうか、ひとつ成し遂げたの。どうするんじゃ?」


「砂漠に墓標を立てるよ。母さんは砂漠を愛していた。そうだよね、おじいちゃん」


「うむ……それがいい」


 故人に思いを馳せ、手を取り合う老人と少女技師。

 じんと胸を火照らせているところに、空気の読めないエリガンが欠伸あくびをしながら声をかけてきた。


「それにしても、またおまえらが居るとはな。遺跡に忘れ物でもしたのか?」


「いえ……ワタシたちは一度遺跡の中を通っていますから、カイリアさんに案内役として同行させてもらったんです」


 シヴィラがていよく答えてくれた。


「なるほどな。しかしエリガンには声がけしてもらわんと困るぜ。開かずの扉が開いたことすら、まだ発掘隊に報告出来てないんだ。部外者を中に入れたなんてこと、怖ろしくて伝えられん」


 その辺りの説明を求められると、弱ってしまう。僕の持つ端末が扉を開く鍵になっていることなんて知られたら、遺物省は是が非でも僕の身柄を押さえておこうとするだろうから。


 幸いにして、男は遭難していた僕らを助けた時と同じように、深く尋ねてくることはなかった。面倒事が増えないように取り計らっているように感じる。エリガンは遺物省に対してあまり協力的でないのかもしれない。


「それよりちょうど良かった。二人に報せたいことがあるんだ。聞いて驚け。モノリには、娘がいたんだよ!」


「……はい?」


 エリガンの口から水のように流れ出る言葉を、僕らは受け止めきれなかった。


「おいおい、もう忘れたのか? あの飾りの持ち主だよ! 手帖に書き残されてた中に娘に宛てた遺書を見つけたんだ。遺族の手がかりだぞ! さっき俺が言ってた調べ物ってのはそれさ」


「手帖って、モノリさんのですよね。で、そこに娘さん宛のメッセージ……あれ、でもカイリアさんが……あれあれ?」


「なあタルク、彼にカイリアが遺跡に入った理由を話してないんじゃ……」


「……そう言われてみれば、言ってなかったかも。ただ、遺跡にうちの技師が入ってしまったから救助に来てくれとしか」


「わたしと母さんの話をしたか?」


 聞きつけたカイリアがリグラートを伴って歩いてくる。

 本人を交えた方が話が絡まらなくて済むだろう。



「まったく、驚かせてくれるぜ! もうモノリの遺族を見つけていたなんてな! しかもそれが、ここにいるカイリア、ホーゼナイきっての天才技師だったとは! ……俺はてっきり、工場長の実の孫なんだと思っていたよ」


 エリガンは場をはぐらかそうとするように大仰に笑った。が、天才と呼ばれたところでちっともむずがらないカイリアに冷めた視線を投げられ、頭を掻く。


「ま、仕方が無いか。エリガンが人探しするのは街じゃなくて砂漠で、だ。わたしも殊更母さんのことを言って回ってたわけでもないし」


「そういうことだ。断言するが、遭難者を捜すより難しい仕事だったぜ。何はともあれ、これで全部解決したってこったな。ほら」


 エリガンの大きな手がカイリアに差し出される。そこにはあの手帖が握られていた。


「行方不明だったモノリも、その遺族も見つかった。もうこれをエリガンが預かっておく理由はない。ま、そんなやついないと思うが、身分を偽るために使えないよう管理はしておいてくれよ」


「い、いいのか……?」


「そこには、モノリが娘に宛てた言葉が綴られている。ならその手帖は、おまえさんの物だ」


「あ……ありがとう」


 手帖を両手で受け取ると、カイリアは首を回して僕たちの顔を見ていく。そんな仕草が子供っぽくて、いじらしい。


「じゃ、じゃあ……ちょっと読んでくるから。待っててくれるか」


 待てぬ、などと言う者はいない。

 頷く僕らを見て顔をほころばせたカイリアは朝日に向かって歩いていく。

 今朝は快晴、砂の海に独り立つ娘の姿。そのまま地平に乗る青空の上へと昇っていってしまいそうだった。


 僕とシヴィラは黙り。タルクとリグラートは、聞こえない声で何事か話しながら。エリガンは背を向けて空を仰ぎ、カイリアを待った。

 皆思い思いに、カイリアがどんな顔をして戻ってくるのかを案じていた。


 逆光に立つカイリアの様子はよくわからない。モノリはどんな言葉を娘に遺したのだろう。

カイリアはそれをどう受け止めるだろう。

 シヴィラの涙腺はフライング気味に緩みだしたようで、静かに目を拭っていた。


 やがてカイリアの影が、手帖を持つ手を下ろして宙を見上げた。冴え渡る空に何かを見つけたように。胸を張りしたたかに大地を踏む立ち姿。小さいはずのその体が、今は大きく見えた。


「……よし!」


 声と共にカイリアは振り返り、ずんと砂を踏んでこちらへ戻ってくる。その双眸に涙は無かった。逆に、晴れ渡った顔をしている。ちょうど今の空を写し取ったように。


「母さんのくれた言葉のおかげで、わたしはすっかり吹っ切れたぞ。わたしは母さんに従い……自分のしたいと思うことは全部やることにした。手始めに、だ……タルク!」


「え、な、何?」


 カイリアはタルクを自分の前に呼びつけ、続けた。


「少しかがめ」


 タルクは顔に疑問符を浮かべながらも、言われるがまま身を屈めた。


「動くなよ」


 言うやいなや、カイリアは青年の顔を両手のひらで押さえ、それでも足りない高さをかかとをあげて稼ぎ――その唇に、熱い口づけを。


「わっ、わあ……」


 堪えきれずシヴィラが声を上げる。あまりに情熱的なキスを見せられて、さすがの僕も顔が熱くなってきた。


 たっぷりと、瓶の水を吸い尽くすように続けられた接吻を終え、二人はぷはと息を継いだ。


「か、カイリア、これは……」


「タルク、愛している。わたしはおまえが欲しい。だから、やりたいと思うことをやったぞ」


 目を白黒させているタルクに発言を許さず、カイリアは勝ち誇ったように言った。しかしその頬の赤さは、昇る太陽の日射しが原因ではないだろう。


 突如砂漠にほとばしった愛に当てられたか、シヴィラは落ち着き無く体を揺すっていた。




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