あの人の言う通り【5-6】
“もしもあなたが街の外で突然の吐き気や頭痛、眩暈に襲われたら? 手持ちの魔導機が不調に陥ったら? 理を無視した異常な現象が周囲で発生したら?
あなたはいつの間にか魔域に踏み込んでいたのかも知れません。
魔域内では、その中心に近づくにつれて放射される魔力が強まる傾向にあります。その強度は魔域により様々ですが、過去に発見された魔域では5分と経たず意識を保てないレベルの汚染が確認されています。魔域酔いかな、と感じたらすぐに引き返すことを考えてください。
また、汚染以上に怖ろしいのが魔域固有の異常現象です。普段我々が魔法石を用いて起こしている魔導が制御できない状態で暴走していると思ってください。
魔域は自然界で発達した魔法石が核となって作る空間です。その力は人間の理解の範疇を超えています。何が起きるかわからない、という言葉が全く比喩でないのです。
魔域に入り込んでしまった場合はすぐに影響域から抜け出してください。間違っても、核となっている魔法石を採集しようとしないでください。
魔域発見の際には王国魔導省ないしは現地当局への通報をお願いします。”
――魔導省パンフレット「もしも魔域に遭遇したら」
「すっかり夜が明けてしまってるじゃないか」
朝のまだ冷たい空気が喉奥を撫でていく。日が昇る前には遺跡を出る予定だったのだが、既に空は白み始めていた。
「ふーう……魔域から離れたおかげで体はだいぶ楽になったぞ。地上には影響がないあたり、核になっている魔法石はかなり地下深くに存在しているようだな」
カイリアが小さな体を伸ばしてたっぷりと空気を取り込む。
僕も外に出てからは頭が軽くなった気がする。気づかない程度に、魔域による汚染の影響を受けていたということだろう。
「馬さんも起きてますね。ワタシたちが遺跡にいる間に眠れていると良いんですけど」
「気にすることはない。人間と違って長くは眠ったりしないものだからな。私たちを待ってた時間で十分休めただろうよ」
持ち物を馬車に積み込み、文字通り肩の荷が下りた僕らは喉を鳴らして水を飲んだ。フォーエのオアシスだってすぐの所にある、水を温存する理由もない。
「ああ~~。今になってやっと、危ないところを切り抜けた実感がやってきました」
「全くだ。あのロボットとやら……あんなのが戦いに投入されていたのか? 自動小銃なんかよりはるかに戦場への影響が大きそうだが。本当に前世界では小銃が主力の武器だったのか、疑問に感じられるぞ」
「どうだろう。結局戦争ってのは人と人がやるものだから。それに、あれを作るのにかかるコストは……ライフルが百挺や千挺じゃきかないだろうね」
人類の戦いに自律ロボットが参戦していた歴史は僕の記憶にはない。だがデュシカと対峙したとき湧き上がった恐怖は、体が覚えていたものだ。かつて僕はあれと同型のロボットに襲われたことがあったのだろうか。
だが結局、デュシカは敵ではなかった。僕の顔を認識して攻撃を止めた。そして思い出した記憶。僕は前世界でデュシカ、そして彼に名前をつけた人物と一緒にいたことがあったのだ。
「……なるほど、やはりエイユーはサヴィーと近しい関係にあったと推測できるな。そして、その自動小銃だ。刻んであったメッセージからその銃はサヴィーに贈られたもの。それを、エイユーが譲り受けたか預かったかしたんだな」
ロボットの正体と蘇った記憶の映像について話すと、カイリアが顎に手を当てて推理を組み立てる。声の調子が戻っており、魔域酔いからはすっかり解放されたようだ。
「その自動小銃は、前世界でのエイユーの足取りを追うのに極めて重要な代物と言えるな。記憶を取り戻すためにも、弾薬を確保して気兼ねなく撃てるようにしてやるべきだ。前世界での行動を再現すれば、また思い出すものがあるかもしれない。デュシカに名を刻んだ時の場面が蘇ったように」
カイリアの言う通り、このライフルは前世界と繋がる扉の鍵であるのは間違いない。単なる量産品でなく、サヴィーやホーゼル、そして僕にとっても思い入れのある大切な品であることがわかってきた。
しかしカイリアの得心した顔を見て思い出す。彼女へ頼んだ弾薬製造、取り下げるべきか否か結論を出せずにいたことを。
やはり当人に意見を聞かずして決められる話ではない。ちょうど話題に出たところだ、ここできちっとカイリアに伺いを立てておくべきだろう。
「カイリア、その……」
「ん、なんだ?」
言葉が引っ込んでしまう。カイリアが何と言うにしろ、僕の口から依頼の中断についての話が出た時点でがっかりさせてしまうだろう。
この少女の姿をした天才技師から楽しみを奪うには、僕はまだ非情になりきれずいた。その瞳に灯る光を、朝日に追いやられる星空のように消してしまおうと言うのか。
「みゅ! エイユー様、誰かこっちに向かって来ています」
シヴィラが不意に告げる。その手が指さすはフォーエのオアシスの方角。砂丘の稜線を降りてくる人影がある。
しまった。そもそも夜明けまでに帰る予定だったのは、遺跡に勝手に立ち入ったのを人に見られないようにするためだった。
「ゆっくりしすぎたか。こんな早朝から見回りに来るとは思ってなかったぞ。どうする? サボテンのふりでもしてやり過ごすか?」
カイリアは慌てる様子もなく、こちらに笑みを投げかけてくる。
「冗談を言ってる場合じゃないよ」
このままでは盗掘者としてお縄になってしまう。科されるのが罰金刑にしろ禁固刑にしろ、非常に困る話だ。
「まあ見つかってしまっては仕方が無い。逃げれば罪を犯したと認めるようなものだし、砂漠に隠れ場なんてないからな。エペック博士に話を通して、何とかしてもらうか……」
「にゅ? でもあれは……」
「カイリア! カイリアぁーー!」
少女技師の名を叫びながら走ってくるのは他でもない、タルク青年だった。
一先ずは知り合いの姿に安堵する。
「カイリアがここに来ていることは、タルクにはお見通しだったみたいだね。さすがの仲と言ったところ……カイリア、どうしたんだい? そんなポーズで固まって」
「話しかけるな。わたしは今、サボテンなんだ」
砂丘を滑るように降りてきたタルクは僕らの立つ遺跡入り口前にあっという間に辿り着く。足を絡め取る砂をものともせず歩み、カイリアの前に膝をついた。
「カイリア……心配したんだぞ!」
そのカイリアと言えばタルクとは目を合わせず、未だにサボテンに擬態できているつもりで地平線を眺めていた。そんな彼女を、タルクはお構いなしに胸の中へ抱き寄せた。
「むぎゅうっ!」
「良かった無事で! フォーエの遺跡にいるとわかったから肝が冷えたよ! あの時みたいに事故が起きたらどうしようかと思っていたんだ」
この地方の人間にしては高い上背が、カイリアの体をすっぽりと包み込んでしまう。すねる子供を愛の力でねじ伏せる父親のようだった。
「こんな無茶をしなくとも、エペック博士ならわかってくれただろうに。開かずの扉の先へ行けるんだとなれば、彼だって協力を惜しむ理由はないじゃないか。それを、日のない内に砂漠に出るなんて……」
「た、タルク。カイリアが苦しそうだ。その辺で……」
抱擁にわずかながら抵抗を見せていた両腕がだらりとさがるのを見て、僕はタルクを止めた。
「わっ、ごめんよ。ああ、カイリア。少し強くしすぎたね。顔が真っ赤じゃないか」
「わ、わたしはサボテン、だからな……と、トゲが刺さるんだからな、そんなに強く触ったら……」
血が滞ってしまったのか、カイリアは朦朧とした表情でうわごとを呟いていた。そのまま砂の上に倒れてしまいそうになるのを、シヴィラが後ろから支えてくれた。
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