5-5


 はなから記憶のない僕だ。走馬灯の代わりに浮かぶのは、この世界で出会った二人の、これからのことだった。


 僕が死んだら、シヴィラはどうなるのだろうか。一族で守り続けた英雄を死なせたとして非難の的になってしまうのか。あの首長のことだ、そんなことにはさせないと思うけれど。あるいは、守護者の使命から解放されて普通の女の子として生きていけるのかも知れない。


 カイリアは……僕がいなくなったことで自動小銃の製作に取りかかるのではないか。それも良いだろう。彼女ならきっとやり遂げる。歴史を変えた発明者として脚光を浴びるに違いない。それがこの世界にどんな未来を呼ぶことになるかは……僕が死んだ後のことだ、この時代の人々に預けるとしよう。


「…………?」


 死の直前は時間の流れがスローに感じるとは知っていたが、それでもだいぶ経った気がする。

 まさか、それを悟ることすらできずに僕は死んだのか。死後に霊魂の意思が残るなんて信じていなかったが。


 恐る恐る開いた目に、僕の死に姿が第三者目線で映ることはなかった。

 固く閉じすぎてぼやけた眼が焦点を探している。とりあえず、僕の体がまだ世の理に結ばれていることに安堵した。


 何度か瞬きをすると、視野を占めているデュシカの姿がはっきりとしてくる。しかし、振り上げられていた前脚部は今、地に着いていた。


 先ほどまでの猛獣と見紛う雰囲気は既に無い。デュシカは身じろぎもせず、ただじっと僕のことを見ていた。


 二人が何かしたのか? エレベータの方に視線を動かす。少女らも呆気にとられた表情で固まっていることから、そうではないらしい。


 デュシカは相変わらず僕の顔をカメラで見つめている。何故、デュシカは急に攻撃を止めて大人しくなったのだろう。僕も視線を合わせるが、ロボットとのアイコンタクトはうまくいかない。


 やがて、デュシカは何か言いたげに身じろぎをした。その直後、ふっと体を支える脚から力が抜ける。まるで事切れてしまったように。フロア中に響く轟音とともにロボットのボディは地へ落ちた。


 錆臭い風がふわと舞い、僕は咳き込む。その鼻腔に染みつく感触を、何故か懐かしいと感じた。



「エイユー様」


「立てるか?」


 シヴィラとカイリアがエレベータから出てきて、僕に手を貸してくれた。二人が寄ってきても、デュシカは静止画のように動かない。完全に機能を停止してしまっているように思えた。


 二人の手を取って立ち上がる。その温かさが僕に生気を注いでくれる気がした。


「エイユーがコイツを止めたのか?」


 カイリアがデュシカに手を向けて尋ねる。さすがに、部屋の時のように触ろうとは思わなかったらしい。


「いや、何もしてないんだ。急にデュシカ……このロボットは攻撃を止めたんだ。直前までは明らかに……僕を殺そうとしていたのに」


「うう、エイユー様、死んじゃうかと……」


 そう呟くシヴィラは、唇を巻き込んでいた。


「今度ばかりは、ダメかと思ったよ」


 完全に死を覚悟していたが、こうして生きながらえると今更になって死んでたまるものかという気持ちが湧いてくるのだから現金なものだ。


「このロボットが、サヴィーと友達だったデュシカだったようだ。コイツがどう処理を誤ったのか知らないけど、僕のことを敵ではないと認識してくれたのかもね」


 僕は床に落ちたプレートを拾い上げる。デュシカの体から剥がれ落ちた、その名の記された鉄板。ふるきものとなった文字で書かれた名札を、元の場所に戻してやりたくなった。


 地に伏すデュシカの左側面に、ぴったりの窪みを見つける。ただ乗せるだけだから、動いたらまた落ちてしまうだろうけれど……彼は二度と自分で動くことはない気がするのだ。


 腕を伸ばして鉄板を収めようとしたとき、既視感が走った。


 そのまま網膜を上書きするように、光景が頭に蘇ってくる。


 ロボットの体へ塗料を付けた棒を伸ばす手。大雑把な手つきで文字の形に塗っていく。デュシカと。


「はっ……!」


 今のは間違いない。僕の記憶だ。ほんの少しだけ、溶け出してきた。


 手放すまいと、見えた光景を何度も繰り返し頭の中で反芻はんすうする。


 記憶の中のデュシカは、今ほどボロボロではなかった。まだ彼が遺物でなかったときの姿で間違いない。

 となると名前を書いたのは……僕の手なのか。いや、違う。今も眼前で確かめているから解る。あれは僕の手じゃない。と、すれば。


「サヴィー……僕はサヴィーがコイツに名前を付けたその時、直ぐ側にいたんだ」


「エイユー様……?」


「思い出したのか!?」


「……本当に、少しだけだけど」


 僕はサヴィーとは明確に接点があったようだ。もしかすると、その点を繋いだのはこのデュシカだったのかも知れない。


 亡骸のように横たわるデュシカ。今の僕の目は、どんな色を湛えて彼を見ているのだろう。


「……帰ろうか。カイリアの体調もある。この遺跡が危険な場所であることに変わりない」


 二人から返事はなかったが、僕に続いてエレベータに乗り込んだ。聞きたいことがあるだろうに、問いを急ぐことなく黙っていてくれている。あとで整理がついたら、二人にも説明しようと思う。



 ドアを閉ざしたエレベータの中。誰からともなく吐いた溜め息が満たした。ついさっきまで命を賭けて走っていたのに、ギャップの強さでまるで夢の中にでもいるみたいな心地だ。

 実際、ひどい眠気が襲ってきている。寝ずの遺跡探索、体が限界を訴えてきていた。


「エイユー、助かったから良かったが……どうして自動小銃を使わなかった。何か故障があったか? 最後に機関を触ったのは私だ、もし問題があれば……」


「いや、違うよカイリア。どうしてか、撃とうと思えなかったんだ」


 申し訳なさそうに言うカイリアに、僕は濁した言葉で答える。


 最初は恐怖に体が硬直してしまったのだと思った。だが、あの時僕を押しとどめていたのは……僕の内側から発される「撃つな」という命令だった。

 今ならその理由わけは、デュシカを知る記憶がささやきかけてきていたのだと解釈できる。


「……きっとデュシカは、エイユー様のことを憶えていたんですよ」


 やっと言葉を見つけたという風に、シヴィラが口を動かした。


「だから、エイユー様を襲うのをやめたんです。ほら、エイユー様はスカーフで顔を隠してたから……」


「ああ、そういえば」


 デュシカの刺突でぼろきれになったスカーフに手をやった。

 一理ある。デュシカが個人を顔で識別できるのなら。今はもう確かめられないが。


「デュシカは寂しかったんじゃないでしょうか。エイユー様と違ってデュシカは……目を覚ましたまま、この遺跡に千年を過ごしたのですから」


「…………」


 プログラムの集合で動くロボットに感情を認めることは、僕としてはできない。しかしながら、シヴィラの言葉を等閑に付すこともできなかった。



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