2-3
リオのところをあとにした僕たちは宿屋のテーブルで昼食が来るのを待っていた。ファンタジーRPGよろしく、宿屋の一階は居酒屋のような場所になっている。
「いやー、お金のことはなんとかなりましたね。よかったです! 何もしないで山に戻ることになるかと思いましたよ……」
シヴィラは椅子に深く腰掛けて安堵していた。脱力した体が溶けるように沈んでいく。
すでにチェックインを済ませた宿と食事の代金は、シヴィラの目論見どおり無償での提供となった。こちらでは守護者の権能が活きたようだ。宿屋の女主人と従業員は僕への詮索もなく、食事はすぐにできるからとテーブルへ案内してくれた。
「安心したらお腹が空きました。ここはご主人が食事を作ってるんですけど、これが昔から絶品なんです」
「そうなんだ」
シヴィラの笑顔を見て、少し嫌な予感がしていた。昨日と今朝にも首長の家で受けたような歓待がまたやってくるのではないかと。酷使される胃腸がもの言わんばかりだ。
「リオ姉さんも言っていましたけど……ここで一度しっかり旅の行く先を決めておきましょうか」
シヴィラはすぐそこの壁に向かって手を差し伸べた。僕は顔を上げてその壁に掲げられているものを見る。
「地図……」
「はい。この大地の形も、エイユー様の時代とはすっかり変わってしまったと伝えられてますからね。地理も頭に入れておきましょう!」
確かに、描かれた地形になんら思い当たる場所はなかった。というか、前世界と比較しようにも曖昧でぼんやりした世界地図しか思い出せない。記憶喪失のせいなのかもしれないが、そもそも地図というものを見る機会がそんなになかったからだろう。移動のときに頼るのはだいたい音声案内で、聞いた道順をなぞるだけだった。
地図はクラフト紙のように茶色な紙に描かれており、地形や町はかなりデフォルメされた絵で表現されていた。
この地球全体の図ということでは当然なく、周辺をトリミングしたものだ。陸は端で途切れており、こと西には海ないし巨大な湖が広がっている。
地図の南側にひときわ誇張された高い山が描かれていた。
「僕たちが今いるのは……下の、大きな山が描いてあるところかな?」
「正解です!」
パパパとシヴィラが拍手を打つ。まあ、山頂から見た景色を思い出せば予想立てるのは難しくない。僕の眠っていた山は、周辺の山岳からも抜きんでて高かったから。
「大陸南方のこの辺りはメロヴ地方と呼ばれています。山と森ばかりですのであまり王都の人たちによる開拓が進んでおらず、遺跡の発見も多くありません。……たぶん、ワタシたちヒュ=ジが生活しているので遠慮しているんでしょうけど」
「王都っていうのは……あれかい?」
僕は地図の中央を指さす。壁に囲まれた街と立派な城がいやに緻密に描画されている。
「ええ。王都デルーサです。元は要塞でしたが、大戦の後に遷都しました」
「……? その大戦ってのは……」
「あっ、エイユー様が戦われたものとは別ですよ。ちょうど百年ほど前に、王国と北の帝国とで起きた戦争のことで、その時ワタシたちを含む南の諸民族は王国に助力したそうです。そういう歴史もあって、世界は大きく分けて南は王国側、北は帝国側と呼ばれるようになりました」
僕はもう一度地図を見やる。なるほど、王都の少し北には特別太い線が東西に走っている。あれが国境線なんだ。
王国に、帝国。世界を二分して争う国家か……。戦記物のコミックみたいで、男心をくすぐる話ではある。
「戦いは既に終わり国交もありますが、依然ふたつの国は睨み合う関係です。帝国領にはあまり近づきたくないところです……エイユー様が行くというのであれば、もちろんお供しますけれど」
シヴィラたちヒュジ族は王国側ということで、帝国ではいい顔をされないだろう。僕が眠っていた場所からも遠いし、行く理由はない。
「エイユー様に提案したいのは西のホーゼル地方、ホーゼナイという街に向かうことです」
地図に向けた目を左へスライドさせる。陸地が大きく海側へせり出した一帯に、砂丘を表現していると思われる小山が描かれた土地がある。その北端に置かれた街。この時代の文字で【ホーゼナイ】と記されていた。
「見つけたよ。でもいきなり砂漠か。最初の行き先には少し酷じゃない?」
この緑豊かな高地から砂漠という土地に移動するっていうのは。環境の変化が甚だしい。
「理由はちゃんとありますよ。ホーゼナイは職人の街と呼ばれています。砂漠の人々は遠い昔からものづくりの才があり、今でも大陸における鍛冶や大工の中心です。そこの職人たちならば、らいふるのダンヤクを作ることができるかもしれません!」
驚いた。シヴィラがこの世界で弾薬を作ることを考えてくれているとは。
「……いや、でも……」
期待できない。背に負ったライフルもポーチの中の弾も、工業化、大型機械、そして軍備の必要性の賜だ。余った糸で編みぐるみを作ってもらうのとは訳が違う。原料の入手ができるかも不明。あげく、僕はライフルの撃ち方は知っていても、弾がどうやって作られているのかは知らない。ホーゼナイの職人たちがいかに優秀であろうと、僕は彼らの質問に答えられない。弾薬製造の知識を提供できないのだ。
と、頭では思っていても……シヴィラの考えを無碍にできない気持ちが舌を引っ込ませる。歯切れの悪い僕に、もう一押しとばかりシヴィラは付け加えた。
「理由は他にもありまして。ホーゼル砂漠は前世界の遺跡発掘が盛んな地域なんです。砂の下から多くの遺跡が見つかっています。エイユー様の手がかりも見つけやすいかと」
「……わかったよ。シヴィラの言うとおりにしよう」
承諾する僕の口角は不思議とあがってしまう。
「はい! ワタシ、ガッカリさせませんとも!」
もとより、何かをあてにできる旅路ではない。砂の中から指輪を探すような、記憶の旅。僕が頼れるのはこの少女だけなのだから。
「お待たせー! 守護者様のために、腕によりをかけて作ったわよ!」
料理が運ばれてくる……従業員の少女と、主人の両手にまで乗せた盆にいっぱいの皿が。
「わあ、ワタシこれ大好き! いただきます!」
底なしに思えるシヴィラの胃袋に料理が吸い込まれていくのを眺めていると、彼女は小声で言った。
「町を出たらおいしいご飯は当分食べられないかもわかりませんからね」
「そういうことか」
僕は満腹中枢を欺瞞して皿に手をつけた。
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