1-6


 カプセルの中でずっと寝ていたくせに、よく眠れたものだ。


 窓から差し込む朝日に揺り起こされる……なんて、かつての時代でどれだけ経験できただろう。アラームにたたき起こされるのが関の山だ。


 首長はもう起きているだろうか。昨日の何気ない質問は彼女をずいぶん困らせてしまったらしい。回答の保留を申し入れられてしまった。実年齢より高く言えば老いて見えるということに。かといって若く言えば未熟さを指摘しているともとれる。若さと老いの問題は、この時代でもやっぱりデリケートみたいだ。


 自分では20代くらいの感覚でいる。……実際には30、40代なのかもしれない。生まれてから何年経ったか、という話なら1000歳を越えることになるのだけど。


「おはようございます、英雄様」


 居間へ出ると、やはり僕より先に起きていた首長から挨拶された。


「千年ぶりのベッドはよく眠れましたか?」


「え? あ、はい。ありがとうございます」


 少し動揺した。こういう、冗談めいたことを言う人に思えなかったから。


「シ=ヴィラもすぐ来ると思います。朝食を支度してきますから、少しお待ちくださいね」


「僕も手伝いましょうか?」


「いいえ、お気遣いなく。今日からたくさん歩くことになるでしょう、体力は温存しておいてくださいな」


 なんだか、昨日と比べて緊張がない、柔らかな態度だ。首長と少しは親しくなれたと思っていいのかな。


「おはようございまーす、英雄様! 首長様!」


 玄関から、それはそれは溢れんばかりの笑顔とともにシヴィラが入ってきた。今日の旅立ちが楽しみで仕方がないらしい。が、あまり大きな声で英雄様と呼ぶのはいかがなものかとは思う。朝の山は静かで、声はよく響く。


「シ=ヴィラ、声が大きいですよ。特に英雄様を大声で呼ぶのはやめなさい」


 案の定、首長からもたしなめが入った。


「みゅ、すみませんでした」


 シヴィラは慇懃に頭を下げて見せる。


「それはそうとシ=ヴィラ、朝食の支度をしますので手伝ってもらえますか」


「はいはい! それは是非お手伝いさせてください。英雄様の朝ごはんですものね!」


 二人は勝手場に入り、僕は取り残されてしまった。

 文字の復習でもしていようかな。



「その様子では聞くまでもなさそうですが……お母さんは山を出て旅することを許してくれたのですか?」


「はい! 二つ返事で」


「あの人は……夫も里を離れているのに、寂しくないのでしょうかね」


 朝食の席。長く待たされただけあって、昨晩に続いて過剰に豪勢な食卓になった。正直、今朝は食べきれる気がしない。シヴィラの食欲は変わらずの様なので、彼女に任せるとしよう。


「英雄様は、文字の勉強、首尾はいかがです?」


「ん……まあ、ぼちぼちかな」


 元々知っている文字との対応はなんとなくわかってきたけど、やはり実際の文を読むとなるとまだ難しい。


「大丈夫です。時間はたくさんありますから。旅の中で暇を見つけて勉強していきましょう」


 濁した答えの裏側を、シヴィラには簡単に見抜かれてしまう。


「……やっぱり急ぎすぎていないかな。僕はつい昨日この世界に足を踏み入れたばかりで、右も左もわからないんだ。それで旅をするっていうのは……」


「射貫いたシカは日が落ちる前に捕らえよという言葉もあります。目的というのは見つけたらすぐに行動しないと、手の届かない場所へ消えてしまうものです。……ワタシが付いていても不安ですか?」


「いや……そんなことは」


 口では否定するも、むしろ……シヴィラが一緒だから不安だ。僕に彼女を守れるか。旅の中、僕は知らず知らずのうちに危険に近づいていって、この小さな守護者を巻き込んでしまうのではないかと思う。昨日化け物に遭遇した時のように、僕のためにこの子が身を挺することになるのを恐れている。


 そんな僕の心境を読み取ったかのように、シヴィラが引き合いにだしたのはまさにその時のことだった。


「また黒き獣のような魔獣に遭うことを恐れているのですか? 英雄様には神器らいふるがあるじゃないですか」


「あまりこいつに期待をしないほうがいいよ」


 自動小銃はもともと、化け物退治ではなく人を撃つためにつくられたのだから。


「それに今の世界では弾薬が手に入らない。銃を頼るのにも限りがあるのさ」


「ダンヤク?」


「えーと、そうだな……。ライフルを弓としたなら、弾薬は矢」


「ああ、わかりました! 弓があってもつがえる矢がなくては、ですね」


「そういうこと」


 今の工業水準がどの程度なのかはわからないが、自動小銃に使われるような薬莢が作られるには工場による大量生産の時代が到来していなければならないだろう。シヴィラたちの生活を垣間見たが、そのような兆候は見られなかった。この里が世界の進歩から特別隔たれているというなら別だが……。


「そうなればこそ、わたしの腕の見せ所ですね! 守護者に選ばれるのは伊達じゃありません。弓には自信があるんですから!」


「それは……」


 チラと首長へ目配せすると、無言で頷かれた。その点は彼女も認める事実らしい。


「……じゃあ、もしもの時は頼りにさせてもらおうかな」


「お任せください!」


 シヴィラに危険なことはさせたくない。だが守護者としての彼女を立ててあげたい。屈託ない笑顔が僕を優柔不断にさせるのだった。



 里では不十分な旅の準備を整えるため、まずは麓の町へ下りることになった。そのためには、もちろん山道を下って行くことになるのだが……。

 僕たちはよく手入れされた道をはずれ、森の中を進んでいた。


「ちょっと、寄りたいところがあるのです」


 里を出てすぐ、シヴィラはそう言った。僕としては急ぐ理由もないので承諾したわけだが、何故かそれ以降シヴィラは静かだ。

 少女が思い詰めたように黙っていると何かいたたまれなくて、僕は口を開いた。


「お母さんには……会わなくて良かったのかい」


 出発にあたって、ヒュジ族の住人に会わないよう注意を払った。僕らを見送ったのは首長だけだ。せめてシヴィラの母親には僕も挨拶をしておきたかったものだ。


「ふふ、お別れの言葉なら昨日尽きるほど言い合いましたよ」


 引き出された言葉の調子は今までのシヴィラと同じだった。


「それに、今生の別れというわけではないんです。お母さんにしても、里のみんなにしても。英雄様の記憶が戻ったとき、それこそ大手を振って凱旋するのです!」


「もし……いつまでも僕の記憶が戻らなかったら?」


「……それでも時々帰ってきましょう。その頃には、首長様も皆に上手く説明できているでしょうから」


 話しながらでも、シヴィラの足取りに迷いはなかった。何の目印もない森の中なのに。シヴィラはここを幾度となく通ったことがあるようだ。


「お疲れ様でした、英雄様。ここは、ワタシたちの秘密の場所です」


 前方の傾斜を埋め尽くすように赤い花が咲き揃っていた。真紅の絨毯を敷いたようなこの一帯は、この植物の聖域といった具合だ。


 シヴィラは花畑を進んでいく。できるだけ花を踏まないようにして、少ない空白地帯を飛び石踏むように渡っていった。僕もそれに習ってゆっくり彼女の後を追う。


 その聖域の中央辺りに、何かがあった。人が作った何かだ。僕の知っているそれとは違う形式ではあるが、そこに誰かが葬られていることを示す、墓標であることに思い当たるのは容易だった。


「旅立つ前に、ここには来ておきたかったんです」


 シヴィラが墓の前に膝をつく。木と石を組んで作られた簡素な墓標だが、無数の生きた花に飾られている。


「ヒュ=ジにお墓をつくる風習はありません。これはワタシが……他所のを真似て作ったものです」


「ひょっとして、首長の娘さんの……」


 後ろに立つ僕の言葉に、驚いたような顔をして振り返る。


「首長から聞きましたか。そうです、これはあの子の墓。幼名は、エイジオ。生きていれば名前を授かって、英雄の守護者になっていた人……エイジオはこの赤い花たちが好きでした。だから、ここに……」


 ぽつぽつと話しながら、シヴィラは墓に向き直った。


「英雄様。今のワタシは、エイジオの代わりでしかないのです。ですから……ワタシに守護者の務めを、しっかり果たさせてください。エイジオの魂に安らかな風が吹けるように。ワタシがあなたの守護者としての務めを全うできるなら、そこに躊躇いも後悔もありません」


 シヴィラは宣言した。自分の覚悟を。だがそれに応えられる覚悟が、僕にあるのか。値するだけの意味があるのか。それを知るためにも、僕は自分自身のことを思い出さなければならない。


「行こう、シヴィラ。記憶のため、そしてきみ自身のために。僕の行く先を導いてほしい」


 彼女は立ち上がり、こちらに振り返って微笑んだ。


「……はい、英雄様!」


 強い風が巻き上がった。シヴィラを見送るように、導くように。赤い花びらが風に乗って、この新世界のどこかへ向かって行った。



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