1-5
「あとは英雄様が今後どうしていくか……」
「うーん、それですよねえ……」
ため息とともに二人は頭を抱える。僕のことで悩ませてしまって本当に申し訳ない。
「書架で手がかりを探すのはいいのですが……そのあいだ英雄様をどう匿っていくか」
「里に知らない人が居たら、すぐわかりますもんね……そういえば、英雄様、本が読めなかったって言ってましたけど」
二人が何かしら妙案を出してくれることを待っていた僕は、急に話を振られて言葉を詰まらせてしまった。
「ん、ああ、文字自体がね。シヴィラたちとは普通に話ができていたから気づかなかったけど……僕の時代とは言語は同じでも、文字は変わってしまっているみたいだ」
だがその変化が文字だけに留まってくれたのは幸いだ。シヴィラと話が通じなかったら、今僕はここにいられるだろうか。シヴィラの導きなく山を歩き、あの黒き獣とかいう化け物に出会いでもしたら……。
「へえ、公用語は千年前も同じだったんですね。……じゃあ逆に、古代文字と呼ばれるような文字を英雄様はすらすら読めるってことですよね?」
「古代文字……ああ、そういうことになるね」
自分の慣れ親しんだ文字が、識字者がいなくなり古代文字と扱われてしまうとは。
「もし記憶があったときの僕が日記なんかを書いていて、それが発掘できたら一番楽なんだけどね」
「そ、それです!」
突如、首長が掌を打った。
「世界では、英雄様の活躍された時代の物とされる遺跡がいくつも見つかっています。前世界の文字の読める英雄様でしたら、ご自身の記憶の手がかりを見つけられるやもしれません!」
「えっと……つまり?」
「あ……、すみません。興奮して少々早口になってしまいました」
首長は咳払いをひとつして、仕切りなおす。
「つまりですね、英雄様。各地にある遺跡を探し訪ねるのです。もしかしたら、英雄様にゆかりある場所が残っているやも……それに、前世界の痕跡をご自身の目で見られれば、何か思い出すきっかけになるでしょう」
なるほど。言ってみればあの聖棺の間だって、千年前の遺跡だ。同じように風化を耐えた建築物があったって不思議じゃない。当時の面影を残す場所に行けば、それが呼び水となって記憶が戻るかもしれない。
「さすが首長様、名案です! そうと決まれば英雄様、さっそく準備です!」
「え。なんの?」
「旅立ちです! 英雄様の御出立です!」
両手を広げてシヴィラはくるくる踊った。
「待ってよ。僕が出歩いたら目立ってしまわないかな。ここよりずっと人が多い場所にも行くだろうし……」
「里にいる時間が長引く方が英雄様の存在を隠し通すことが難しくなります。里から出てしまった方がいいんです!」
「ま、待って待って。首長さん、どう思います」
助けを求めて聡明な老女に問うた。
「決めるのは英雄様、あなた自身です。私にもシ=ヴィラにも、あなたの生き方を強いることはできません」
「そんな」
僕はこの世界に大人の体で生まれた赤ん坊だ。この時代の常識を持たないままに旅に出るなんて、自殺行為だろう。各地の行政がサポートしてくれるわけじゃないだろうし、パスポートだって……いや、そんな制度はないか。
「ご安心ください。ワタシ、シ=ヴィラが英雄様の旅路に随行します!」
少女の高らかな宣言に、動揺したのは首長だった。
「何を言うのです。あなたは……」
「英雄様の目覚めた今、空になった聖棺を守る必要はありません。聖棺の守護者は、今日をもって『英雄の守護者』となったのです! 英雄様が山を離れるというのならば当然! ワタシもそれに同行するのが役目です」
首長の言いたいことをわかっていて遮るように、シヴィラはつらつらと述べた。
「……それなら、僕としては助かる話です」
主張はやや強引に思えたが、同行者の存在は僕の背中を押してくれるのも確かだ。彼女が先導してくれれば、ずっと安全で安心な旅ができる。海外旅行に一人で行くのと、ガイドがついてくれるのとでは全く違うだろう。
「儀を行った以上、ワタシだってもう大人です! リオ姉さんやイ=クロソフおばさんだってこの歳で山を降りたんですから。ワタシ、やれます!」
僕が味方についたことで、シヴィラには拍車がかかったようだ。
「英雄様が長い眠りについていたのは、きっと戦いに疲れたからです。世界中を荒地に変えたという大戦から蘇った英雄様に、今の世界の素晴らしいところを見せてあげたいのです!」
『――に――世界を見せて――』
なにか、今……脳裏に走ったような……。
「……そこまで言うのなら。私は止めません。ただし、お母さんとはきちんと話すのですよ」
「やった! よろしくおねがいします、英雄様!」
シヴィラが僕の腕をとって喜ぶ。そのせいとは言わないけど、何か思い出しかけていたのが吹き飛んでしまった。まあ、思い出しかけるような記憶があるらしい、というだけでも良しとするか。
「ではさっそく、旅支度をして参りますね!」
「僕は、どうしたら?」
「本当なら、ワタシが里をご案内したいところですけれど……英雄様を誰かに見られるわけにはいきませんし……」
シヴィラは首長に目配せする。彼女は白髪を掻きあげて、ふうとため息を吐いた。
「ええ、わかりましたよ。英雄様は私がお預かりします」
「ありがとうございます!」
僕の代わりに礼を言ってしまう。まあ記憶のない男を引きつれていくなら、これくらい強引なほうがうまくいくだろう。
「英雄様が望むのでしたら里を歩くのもよいのですが……私としてはこの屋敷の中で休んでいてくださると助かります。なにぶん里の者に会ってしまったらどう舌を回せばよいか、考えあぐねておりますので」
首長は嘘が苦手そうだからな。
「じゃあ、文字を教わってもいいですか?」
過去の記憶よりも、これからのために覚えなければならないことがいくらでもある。
「それはいいですね。この先、文字が読めるに越したことはありません。とりあえず、今夜はこちらでお泊りください。……部屋がひとつ、空いていますので」
「そうですね、空いて……。英雄様がお休みになるなら……」
しん、と沈黙が降りた。二人とも目を伏せて、何か口に出したいがそうしまいとしているようだ。
「あっ、じゃあワタシは行きますね! 英雄様、また来ますから!」
シヴィラは耐えかねたように早口に告げると、逃げるようにドアを開けて出て行った。
二人きりになってもいまだ沈黙を身にまとう首長に声もかけられずにいると、彼女の方から話を切り出した。
「私には、娘がおりました」
過去形だった。顔の強張りから、感情を押し殺して話しているのがわかってしまう。
「シ=ヴィラとは同じ年の生まれで、仲良くしていました。人の減ったこの山では歳の近い子供は珍しいですから。まるで実の姉妹のようでしたよ」
「……その娘さんは?」
「生まれつき多病なこともあり、つい先日……。生きていれば、あの娘が聖棺の守護者になるはずでした」
冷凍睡眠から覚めた僕の前に現れたのは、シヴィラではなくその娘だったかもしれないのか。
「シ=ヴィラが山を降りるとなると、娘をもう一人失うようで……つい引き留めようとしてしまいました。ですがお聞きの通り。シ=ヴィラは大人になりました」
「シヴィラは、何歳なんですか」
「15です」
15歳で大人か……僕は20歳が区切りだと覚えているが。この里の風習なのか、今の世界では15で成人と定められているのか。
「あの子の母のことですから、娘を喜んで送り出すでしょう。英雄の守り手たるヒュ=ジの長がこんなことを言うのもなんですが……英雄様、シ=ヴィラをよろしくお願いします」
そうか。首長にも娘がいた。シヴィラも誰かの娘。僕が目覚める前から、彼らの時間は動いている。動き続けている。そんなわかりきっているはずのことが、強く実感された。
「僕を守ってきてくれた恩を返すつもりで、頑張ります」
「ありがとうございます」
首長は胸に手を置いて、すっと抜けるようにお辞儀した。
「ところでひとつ、教えてほしいんですけど」
「なんなりと、英雄様」
「僕って何歳くらいに見えますか?」
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