カプセルを開けますか?【1-3】
「すごい! すごいです、英雄様!」
シヴィラが飛びついてくる衝撃で、僕は我に返った。
「うっ……今僕、何を……」
しばらく放心していた気がする。それに、頭がクラクラする。まるで勢い込んで転んだときみたいだ。おまけに耳が痛い。何があったんだ。
「そうだ、アイツは?」
化け物がいつの間にか居なくなっている。
「逃げていきました。英雄様のおかげです! あの「黒き獣」を、簡単に追い払ってしまうなんて。やはり『らいふる』とは英雄様が持ちし神器だったのですね!」
ああ、そうだ。僕がこのライフルで、化け物を撃ったんだった。
銃弾を放つまでの短い間、まるで自分が自分じゃないみたいだった。夢の中みたいに体が勝手に動いた。
まったく覚えのなかった自動小銃の扱いを、突然に。これは、僕のかつての記憶なのか。
考えに耽っていたところに痛みが走った。
「し、シヴィラ。強く締め付けすぎだ」
「あ、ご、ごめんなさい!」
腰に抱きついていたシヴィラが跳ねるように飛びのく。
「ワタシ、英雄様のお身体に……なんてことを」
思ったより力のある娘だな……まあ、それはさておき。
僕は腕の中にある小銃を眺めた。各パーツの操作、役割。それらが理解できている。この武器の重さが、今や体にひどく馴染んで頼もしく思える。かつての僕は軍人だったのか? 銃に慣れるような経験、それくらいしか思いつかないが。
「さあ、英雄様。奴めの気が変わらないうちに、早く里へ行きましょう!」
「ああ。傷をつけたから、恨みを買ったかもしれない。急ごうか」
「こ、怖いこと言わないでください!」
とりあえず考えは後回しだ。今にも背後に奴が迫ってくる気がして、僕たちは歩きづらいはずの山道をさっさと下りていった。
黒き獣。あの化け物をシヴィラたちはそう呼んでいるらしい。
「昔からここ周辺の山を住処にしている獣です。獰猛で、なんでも食べますから、人が襲われることも……あんなに近くで出遭ったのは初めてです」
ここらで一番標高が高いこの山にシヴィラたちは集落を置いているが、奴が来ることは今までなかったという。
「もしや、英雄様を狙って現れたなんてことは……」
「やめてくれよ。僕のせいみたいじゃないか」
「ごめんなさい、そんなつもりは……。なんにせよ、これも首長様に報告ですね。ああ、行き道で襲われなくてよかった……英雄様がいなかったら、ワタシ、奴のお腹の中です」
「君たちにとっての英雄らしいことが、少しはできたならよかった。もう御免だけど」
「ワタシも、聖棺の守護者らしいことができました。もう御免ですけど」
どちらからともなく、笑いが零れた。
シヴィラの住む集落に近づくにつれ、だんだんと道がきれいになってきた。土は
「それでは……ようこそ、英雄様。ここがワタシたちの里でございます!」
「うんうん。里って感じだね」
まあ予想通りというか。山中に作られた村落が見渡せる。家々はまばらで、人口はかなり少なそうだ。僕の生きていた頃なら、『魅惑のスローライフ』なんて見出しで紹介されているだろう。
最先端とかハイテクなんて言葉からは縁遠い場所だ。だが、不思議と胸が落ち着く。この世界で人の住む場所を初めて見たというのもあるだろう。
おや。シヴィラが何かを期待する眼差しでこちらを見ている。
「……いいね。平和で、のどかな、良い村だ」
「そうですか……」
何か違ったらしい。どう褒めるのが正解だったんだ。
村内を流れる小川をたどるように進み、一族の首長の居る家屋へとやってきた。集会所の役割も兼ねているらしく、他の家よりずっと大きい。
道中、人に会うことはなかった。そもそも出歩いている人が全然いない。
「みんな、ごはんの支度をしてるんですよ。そういえば、英雄様もお腹が空きませんか?」
所々の家から上がっていた煙は炊事のためだったか。
言われると、急に空腹感が襲ってくる。千年飲まず食わずだからな。
「ふふふ。ワタシもペコペコです。首長様に何か食べさせてもらいましょうか」
シヴィラは躊躇いもなく戸を開けて中へ入った。オープンな関係なんだな。呼び鈴くらい鳴らすべきだと思うけど。
シヴィラに手招きで促され、僕もドアをくぐった。
「首長様ー。シ=ヴィラです、ただいま戻りましたー」
物の多くない、質素な内装だ。机の上の小物に至るまで不気味なまでに整頓されていて、モデルルームを見てるみたいだ。首長はよほど几帳面な人なのだろう。
しばらくして、シヴィラが呼びかけた奥の扉からその人物が現れた。
「おお、戻りましたか。遅いので心配していたのですよ。どこか寄り道でもしていたのですか?」
女性だった。老齢なのだろう、髪は白く、顔に刻まれた皺は深い。だが背筋は伸び、切れ長の目は曇りない眼光をたたえている。服装はやはり白の民族衣装風で、シヴィラのものと似ているが刺繍はいくらか控えめであった。
取り次ぎはシヴィラに任せ、僕は口を閉じていることにした。余計なことを言うと、話がこじれてしまいそうだ。
「まあ色々あって……というか、ありすぎて」
「おや、そちらの方は? 観光の方ですか? あいにくですが、聖棺のある頂上へは立ち入れない決まりです。シ=ヴィラ、あなたも守護者になったのですから物怖じせずにはっきり言えるようにならなければいけませんよ」
だいぶ思い違いをさせてしまっている。仕方のないことだけれど。
「ええと、なんと説明したらいいか……」
ちらりとシヴィラがこちらに目配せしてくるのを、努めて無視した。少女は観念したように息を吸いこんだ。
「首長様。こちら、つい今朝目覚められました、英雄様です」
そしてこれ以上なくシンプルに僕を紹介してくれた。
「……どうしたのです、シ=ヴィラ。冗談はやめなさい」
まあ、そういう反応になってしまうよな。シヴィラの話では、聖棺の間には守護者以外の人間は目の前の首長であっても立ち入りを禁じられている。僕の顔など知る由もない。
かといって、僕から話したところで、自分を神的存在と自称するに等しい行為だ。怒りすら買いかねない。
「それが、本当なんです。儀式のために聖棺の間に行ったら、ワタシの目の前で聖棺から出てこられました」
「……あなた、この子に何を吹き込んだんです?」
首長に刺すような目で睨まれてしまった。
「やめてください、首長様。ワタシ、命を救われているんです。帰り道で黒き獣に襲われましたが、英雄様が追い払ってくれたんです」
「黒き獣が? この山には来ないはず……それに、武器も持たずにどうやってあれを追い払うというのですか?」
「武器ならあります! ね? 英雄様」
言うとシヴィラは目配せをしてきた。意図を察した僕は肩に吊っていた小銃を下ろす。
「それは……?」
「首長様なら見覚えありませんか? これこそが響音とともに不可視の矢を放ち、黒き獣を一撃のうちに葬り去った神器なのです!」
追い返しただけで葬り去ってはいないのだが。
首長の目にもやはり異色に映るのか、まじまじとライフルを観察している。
「この形、どこかで……まさか……」
首長はしばらく思案した後、弾かれたように家の奥へ戻って行ってしまった。
「どうしたんだろう」
「奥の部屋は、書庫になってます。きっと、英雄様の武器に何か思い当たることがあったんですよ!」
書庫か。情報が文字で記録されているならば、僕の記憶の手がかりも残されているかもしれない。ついでに今の世界を学ぶいい機会だ。
「僕も書庫の本を読んでみたい。行こう」
「ええ? 首長様が戻ってきてからにしましょうよ――」
どさっ。人が倒れたような音が書庫から聞こえた。僕たちは一も二もなく部屋へ飛び込んだ。
「大丈夫ですか、首長様」
「ええ、ええ、もう大丈夫。英雄様に介抱してもらったなんて、皆には口が裂けても言えませんね……」
書庫で卒倒していた首長は恥ずかしそうに声を落とした。
「それで首長様、何かわかったのですか?」
「それはもう、わからされましたよ。あなたの言っていることは嘘ではないと。彼が聖棺の眠りから目覚めた、英雄様であると。見てください」
首長は立ち上がると、閲覧用と思われる机に手招きする。そこには固く、赤茶けた紙がいっぱいに広げられていた。
「これは、前世界の大戦の様を描いたとされる壁画を写したものです」
首長の木枝のような指が差す一角。そこには僕のライフルと同じシルエットの武器を手にする人々が描かれていた。
「その武器は太古に存在し、今や忘れられたもの。英雄様と同じく、時を超えてこなければ、ありえない代物なのです」
その事実に気づいた首長は頭が真っ白になり、倒れてしまったというわけだ。
「理解いただけたところで訊きたいのですが。僕には記憶がありません。自分が、あなたたちの言うところの英雄であることは無論、何故この時代に目覚めたのか……」
「記憶が、ない?」
「ええ。名前さえ憶えていないんです。知りませんか?」
一気にまくしたててしまったが、首長は平静に、こめかみを指でノックしながら続けた。
「すぐにお答えできそうなのは、ひとつだけですが……名前ですね。それは、残念ながら……」
「何故です? どこかに書かれてないんですか?」
「英雄様に名を付けて呼ぶことは古来より禁忌とされているのです。どこにも記録はないでしょう」
ええ……なんでそんなことを。
「ワタシたちも『英雄』としか教わりませんでしたけれど、掟だったんですね」
シヴィラが得心してうなずく。
「他には、何か知りませんか?」
「……私もまさか目の前に生きた英雄様が現れるとは思っていませんでしたから……今はっきりとお伝えできることはありません」
首長は面目なさそうに首を振った。
「ですが、そこは私たちの誇る蔵書があります。調べる価値はあるでしょう。……膨大な時間がかかるとは思いますが」
「そんなにあるんですか?」
「英雄様への信仰や伝承が残るのはこの山だけに限った話ではないのです。あちこちに伝わる様々な言い伝え、説話……一族は余すことなく記録してきました。真偽はともかくとして」
「そんなに知れ渡ってるんですか、僕のこと」
そうなると確かに面倒だ。この時代にとって僕は実在しないようなものだ。架空の人物に対してなら、どんな誇張も後付けもできる。事実は無数の虚構に埋もれてしまった、ということか。
「それでも、僕自身のことですから。何か手がかりになるような記述を見つけられるかも。軽く読んでみてもいいですか?」
「ええ、構いません。たとえば……こちらは大陸中心部で集められた説話集です」
首長は書棚から一冊とって、僕に差し出す。表紙にも背表紙にも装飾が無いそれは、本というよりはバインダーに留めた紙束といった風だ。後から幾度もページを継ぎ足したのだろう、色の違う紙が層になっていた。
緊張とともに表紙をめくる。少し目を通しただけで、気づいた。
「驚いたな。シヴィラ、首長さん、大変なことがわかりました」
「な、なんですか?」
二人の声が重なる。
「僕……この時代の文字が、読めないみたいだ」
「……じゃあ、一旦ごはんにしましょうか。お腹が鳴りそうです」
シヴィラの提案には、僕の腹の虫からも賛成の声があがった。
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