カプセルを開けますか?【1-2】
「もう少しで外に出ますよ、英雄様。傾斜が急になりますから、踏み外さないように」
シヴィラが少し振り返り、松明の灯が揺れる。懐中電灯とかはないのかな。人類は電気を使う技術も残らず千年前に置いてきてしまったのか。
「うん……寝起きには辛い運動だ、これは」
シヴィラに先導してもらい、外へと通じる道を進んでいた。
僕の眠っていた場所……彼女らにならって聖棺の間と呼ぼうか。あそこは屋内だったのに、外へ出る道は土と岩の洞窟だ。もしかすると、建物ごと土に埋まっているのかもしれない。僕が目覚めたとき、地中から出られない状態だったらと思うとゾッとする。そこはシヴィラたちのおかげということだろう。
それにしても重い。この、過去からの贈り物。なんだってライフルなんか入っていたんだろう。幸い、銃を肩にかけるための帯と弾倉を入れるためのポーチはついていたが、これを担ぎながら歩くのは骨が折れる。しかもシヴィラの話だと、出口の先は山頂だとか。次は山を下りなければならないのか。辟易する。
しかしだ。この物騒な長物を、なんとなく置いていく気にはなれなかった。
シヴィラに訊いてみたが、僕の銃にまつわる話は知らなかった。と言うより、ライフルという物がわからないようだった。この時代では火薬は使われていないのかもしれない。
急傾斜を上りきったところで、前方に光が見えた。外、か……。千年後の地球は、どうなっていることやら。
「英雄様、寒くないですか?」
「うん。シヴィラこそ」
「わ、ワタシは……慣れっこですから」
ビュウ、と風が吹いて、シヴィラの編んだ髪がなびいた。遮るもののない朝日が洞窟に慣れた目に眩しい。自分の服装も明らかになった。厚手の布地でつくられた、飾り気のないカーキ一色の服だ。作業着だろうか、上下一式でポケットがやたらついている。防寒着という感じでもないが必要十分にあたたかい。
「……英雄様に記憶があったら、この景色を見てどう思ったことでしょう」
シヴィラが崖際に立って言った。僕も隣に来て彼女と同じ世界を見る。
息を呑んだ。視界が一枚のキャンバスとなって描かれたこの、絶景、大パノラマ。その他雑多で安い語彙が頭を巡る。千年前でもこんな風景をこの眼で見たことはなかっただろう。
連なる山々の巨大な岩壁。それを浮かべるように広がる森林の青さ。成るべくしてそう成った、自然の大地だ。
「記憶はなくとも……すばらしい、と思うよ」
荒廃して世界の終わりみたいになっていたらどうしようと、ドキドキしていたところだ。空気も澄んでいて、地平の果てまで見渡せる。
「本当ですか!」
シヴィラは振り向いて、僕に初めて笑顔を見せた。
「ワタシたち一族には、英雄様にこの世界が平和で美しいと思ってもらえるよう努力しなければならないという伝統がありまして……山を守ってきた先祖も喜ぶことでしょう」
この雄大な自然を見せられて胸がいっぱいになったのは事実だけれど、気になることも出てくる。
「シヴィラ、良い言い方が思いつかないんだけど……このあたりは『田舎』なのかな」
「えっ。ど、どうしてそう思うんですか?」
「単純に、ここから見ても建物がほとんどなくて、山と森ばかりだから」
「えっと……そうですね。ここは世界から見れば辺境と呼ばれる場所ではあります」
辺境。確かにその言葉はしっくりくる。なぜ僕はそのような場所で眠っていたのだろう。あるいはこの土地の方が変わったのか。
「で、でもですよ! 麓に町はできたし、あちこちから人が来るようになったんですから! 前と比べたらかなり発展したって、お祖母ちゃんは言ってました!」
「そ、そうなんだ……」
シヴィラは熱弁するけれども、僕の生きていた頃のビル群の街並みを思うと、どうもね……。
「おほん。では、そろそろ参りましょうか。里のみんなも、英雄様を心待ちにしているはずです。たぶん」
「そうだね」
英雄様と呼ばれるのもいい加減くすぐったくなってきた。僕の名前だけでもわかると良いのだけど。
僕らは山を下っていく。最初は岩壁を巻くように進む坂道だったが、途中からは完全に森の中に入った。柔らかな土の上は歩きづらく、加えて繁茂する植物の根や茎に足を取られそうになる。それでも、シヴィラに言わせればこれが山道らしい。
静かで、いい場所だ。さっきのフォローも兼ねてシヴィラに感想を伝えると、彼女は怪訝そうにつぶやいた。
「静か……でもなんだか、静かすぎます。もう日の出からだいぶ経つのに。いつもなら鳥や獣がうるさいくらいなんですけど……」
「そうなんだ」
それだけの数の動物が生息しているなら、生態系もちゃんと残っているのだろう。道中、毒虫のような危険な生物に出くわさなければいいけど。
「ひゅう……!」
前を行くシヴィラがピタと立ち止まり、素っ頓狂な呼気を放つ。
「どうかした?」
こんな道で前が詰まれば、僕も足を止めることになる。蛇でも出たのかな。
「……な、なんで。こっちの山には来ないはずなのに」
「大丈夫だよ、刺激しなければたいていの動物は……」
「しっ! 静かに!」
シヴィラはささやき声で、けれどすごい剣幕で僕の口を制す。そして、前方を小さく指さした。
何かがいる。草葉に紛れて気づかなかったけれど、黒い影が動いている。しかも、でかい。
のしり、と影が踏み出す。草木を踏み倒し、その姿が露わになった。
一見した印象は、熊のようだった。だが僕の知っているそれとは違う。まず目につく剥き出しの歯は恐竜か、あるいは深海魚のような忌避感を覚える異形の牙。焼け焦げたような黒い体毛に覆われた肩や背は異様な形に隆起していて、その
明らかな危険を感じ取った心臓が、ドクドクと血液を巡らせ始めた。心配した矢先にこれだ。しかも、想定していた危険生物の枠を、思いっ切り突き破ってきた。
「走ってはだめです。ヤツは追ってきます。そうなれば逃げ切れません」
忠告するシヴィラの声も震えている。顔は色を失い、この生物がいかに恐ろしい存在であるかを無言で語っていた。
人間が、自分たちでは絶対に勝てない動物に遭遇したらどうするべきか。そいつの興味がこちらに向かないようにして、やり過ごすしかないだろう。だがあの化け物の黒目は、既に僕たちを捉えているように思える。
ヴォォォォォ……。
「そうだ」と言わんばかりに化け物が吠える。船の汽笛のような轟音がぞわぞわと体中を走った。
一歩また一歩と、化け物が踏み出す。柱のような足にどしりと土がえぐられ、深く足跡を付けた。
「英雄様、なんとかしてください! ワタシ、こんなところで死にたくありません!」
努めて冷静であろうとしていたシヴィラが、限界を迎えた。シヴィラの努力が、僕の防波堤でもあったのに。
「僕だって死にたくない! けれど、どうしたらいい。僕に何ができる。君たちの先祖が何を期待して英雄と呼んだかわからないけれど……僕はただの人間なんだ!」
ヴォォォォォ……。
騒ぎ立てたからか、また化け物が吠えた。一歩がだんだんと早くなってきている。
「……お逃げください、英雄様」
芯の通った声でシヴィラが告げた。言いざまに化け物に向き直る。
「でも」
「ご自身が知らずとも、あなたは何かを為すために今日、お目覚めになったはずです。そのためにワタシたちの一族は、あなたを守ってきた。でしたらワタシは、最後の聖棺の守護者として、この身に代えても英雄様をお守りします」
自分を囮にしようというのか。
僕は逡巡する。シヴィラの震える細い足を見て、自分だけ助かろうなんて考えるのは人間のすることじゃない。そんなことくらい記憶がなくたってわかってる。かといって、奴を追い払う方法も、どこにもない。
いや、ある。僕の背に、武器はある。僕とともに千年の時を超えてきた、人類の武器が。自動小銃がある。
僕は背負っていたそれを、体の前に回した。腰のポーチに手を伸ばし、弾倉を取り出す。弾丸の詰まったそれは握るだけで充足感ある重みを伝えた。マガジントップからのぞく薬莢がキラリと輝く。この弾丸が奴にどれくらい有効なのかはわからないが、やるしかない。
「シヴィラ、頭をさげて」
祈りを込めてマガジンを差し込む。安全装置を解除し、側面についたレバーを引いて撃鉄を起こす。バネの力がレバーを押し戻し、連動して弾薬が薬室に送り込まれる。ガシャッと心地よさすらある音が発砲準備が整ったことを知らせた。
目標を確認。黒い化け物。だがあの体躯に厚い皮膚、小銃弾は通らないだろう。ならせめて、致命傷と言えなくとも衝撃力が必要だ。狙うは頭部。それも頭蓋骨の守りがない眼球だ。
銃を構える。片膝は地に固定して、膝射の姿勢で。締めた脇にストックを当てる。右手はグリップを握り、左手をハンドガードに添えるように握りこませる。頬付けすると、鼻孔に鉄の匂いが流れてきた。
銃口側の照星と手前の照門を合わせ、目標へ真っすぐに向ける。
化け物の動きは遅い。こちらの出方を窺うようにゆっくりと詰め寄ってくる。まだ攻撃される距離だとは思っていないのだろう。
人差し指を引き金に置く。深く息を吸いながら照準を追従させて、止める。指に軽く力を込め、トリガーを引く。
当てたという確信めいた手ごたえが、撃発の衝撃と同時に訪れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます