カプセルを開けますか?【1-1】


 目覚めると、まず、声が聞こえた。


『おはようございます。ロングストンハイバネーションシステムをご利用いただき、ありがとうございました。

 現在の日時は――ERROR。同期に失敗しました――。睡眠開始から――ERROR。情報を取得できませんでした――経過しています。 外部環境は、気温17度。湿度52%。空気中の汚染物質、放射線量は、基準値以下です』


 無機質な声がつらつらと並べる文言。そのほとんどが理解できなかったが、すっきりとした目覚めだ。


 どこだろう、ここは。狭い、カプセルのような空間に僕は寝かされていた。

 おかしいな。僕は何故こんな所で眠っていたのだろう。やらなければならないことがある気がするのに。でも、なんだったかな。まだ寝ぼけているのか思い出せない。


 いや、違う。何も憶えていない。僕は誰で、今まで何をしてきたのか。自分に関することが、まるっきり記憶から消えてしまっている。


 なにか思い出せないかと頭を働かせる。僕はなんらかの装置の中で眠っていて、いま目を覚ました。さっきの音声では『ハイバネーション』とか言っていた。冷凍睡眠というような意味だった気がする。僕は長い長い時間眠り続けて、その影響で記憶が消し飛んだというのか。


 僕の名前……ダメだ、憶えていない。

 僕の歳はいくつだ。思い出せない。少し腕を上げて、視界に入れてみる。そんなに年をとっている感じはしない。あと、ちゃんと服を着ている。こういうのって、裸で眠らされるものと思っていたけど。


 僕は何年眠っていたのか。なぜ眠っていたのか。起きたところで、何をすればいいのか。


『解凍直後の無理な運動はお控えください。物品保管ボックスの荷物をお忘れなく。それでは、ようこそ明日へ。この時代が、お客様にとって素晴らしいものであることを願っています』


 無情な機械音声が、僕を未知しかない世界へ放り出そうとしている。


 まあ、しかたがない。せめてこの状況を説明できる誰かが外で待っていることを祈ろう。ゆっくりと開いていく天蓋を見つめながら、そう期待した。



 装置の外で待っていたのは、腰を抜かしてこちらを見上げている少女であった。齢のほど十五といったところのその娘は、白地に赤の刺繍が映える民族衣装のような服を着ていた。


 なんとも状況にそぐわない。「ようやく目覚めおったか、待っておったぞ」と白髪に白衣のおじいさんが出迎えてくれるのを期待していたのだが。


 他に誰か話ができそうな人がいないかと周囲に目をやる。人の居る居ない以前に、薄暗いし廃墟みたいな場所だ。なんて場所で眠っていたのだ、僕は。

 この場にはこの少女しかいないことがわかったところで、彼女に声をかけることした。こんなところに居る以上、何かしら僕の事情を知っているとは思うから。


「あの……今、何年かな?」


 聞いてみたけど、そもそも僕は何年生まれなんだ? 冷凍睡眠を始めた年も憶えていないのに、バカな質問をしたものだ。


「……ほ、ほ……」


 しかし少女の小さな口は言葉を紡いだ。


「本当に、目覚めるなんて……英雄、様」


 エイユー……それが僕の名前なのだろうか。自分で言うのもなんだけど、変わった名前だな。


「……君は、その、何かな? どうしてここに?」


 要領を得ない質問であることはわかっているのだが、僕自身が要領を得ていないので許してほしい。


「は、はい!」


 少女は元気よく立ち上がり、かしこまって答えた。


「私は今日から聖棺の守護者になりました、シ=ヴィラです! 英雄様の目覚めを一族一同、お待ちしていました! ……今目覚めるとは思ってなかったけど……」


「……何が?」


 小声で付け加えられたことにではなく、発言すべてに対する疑問だ。まったく意味がわからない。守護者だの英雄だの、どういう設定だ。


「あ、今何年か、でしたね! デルサ暦172年になったばかりです」


「その暦は……僕の知らない暦だ」


 僕の感覚では172年は古代になってしまう。僕のいた時代は、少なくとも四桁は数えたはずだ。


「あ、そうですよね……英雄様はデルサ暦が定められるよりずっと前から眠りについていたから……」


「僕は何年くらい眠っていたのか、わかるかい?」


 少女は困ったように指を顎にあてて、言った。


「えと……千年、くらい? でしょうか?」


「千年」


 空っぽの頭にくらっときた。記憶もなくなるかな、それだけ眠れば。



「そうですか……せっかく目覚めたのに、記憶がないなんて……」


 少女は心から残念そうに言ってくれた。彼女の名はシ=ヴィラ。聖棺の守護者なる、僕の入っていたカプセルを守る役職に就いているそうな。


 自分に記憶がなく、なぜここにいるかもわからないことをシヴィラに告げると、諸々のことを教えてくれた。ただし、僕自身のことについては昔話、そして伝承という形で。


 彼女の一族では代々より僕のことを英雄と呼んで祀り、装置ともども僕を守り続けていたらしい。なんでも、僕は昔々に起きた大きな争いでそれこそ『英雄的』に人々とともに戦ったのだそうな。もちろん、僕自身には記憶にないことなんだけども。


 シヴィラの話が信用に値するかは置いて、気になることが出てくる。シヴィラの口から出てくる言葉はなんというか……前時代的だ。


「シヴィラ、ひとつ訊いて良いかな」


「なんでしょう、英雄様」


「この地球は、丸いってことは知ってる?」


「地球……この世界がってことですか? はい、ワタシたちはそう教わってます。この世界は球体で、ずっとまっすぐ進めば同じ場所に戻ってくるそうです……なんだか、信じがたい話ですよね?」


「……シヴィラ、僕の千年前の脳みそはそれを揺るがない事実だと認識してる」


 僕の恐れていたことはどうやら現実らしい。

 おそらくだが、僕が眠っている間に文明のリセットが起きたのでは。つまり、人類が積み上げてきた知識や技術が失われて、時代が一気に逆行したかのような世界になってしまっているのではないか。シヴィラの一族に伝わる話にあった、かつての大戦がその原因なのか?


「千年前は、本当にこの大地は丸かったってことですか?」


「いや、今だってこの地球は丸い。世界は巨大な球で、僕らはその上に乗っているんだ」


「…………?」


 言いたいことがまったく伝わっていないようで、シヴィラは小首を傾げた。


「いや、いいよ……たぶん、いつか誰かが証明するから」


 しかし……頭が痛いことになった。

 僕のことどころか冷凍睡眠という技術を理解している人間すら、もういない。長い時の中で忘れられ、失われてしまった。言うなれば僕自身がオーパーツになってしまったのだ。


「大丈夫ですか、英雄様」


 黙りこくってしまった僕を案じるシヴィラ。今なら彼女の話もいくらかわかる。

 シヴィラの先祖は、文明崩壊に取り残された僕を見つけた。未知の機械の中でいつまでも腐らずにいる人間がいたら、説話の一つや二つつけて祀りたくもなる。それで英雄だの聖棺だの尾ひれをつけて、子々孫々に僕を守る役目を受け継いできたというわけだ。


「……とんでもないことになった、のかな?」


 記憶がないせいか、自分の境遇はどこか他人事に思えた。そもそも、冷凍睡眠していた理由が思い出せないので、この時代で僕が為さねばならないこともわからないわけで。この状況が僕にとって、何の障害になるのかがわからないのだ。


 ただひとつ言えるのは……僕は誰で、何故ここにいるのか。それを誰かから知ることは絶望的だということ。


「なんとか、自分で記憶が戻せればいいんだけれど。何か、僕のことで他に伝わってることはない?」


「そ、そうですねえ……」


 シヴィラに尋ねてみるが、曖昧な質問は曖昧な答えを生むばかりだ。「こんなことならちゃんと勉強しとくんだった」と小さな呟きが聞こえた。


「あ、でもでも、首長たちなら何か知ってるかもしれませんよ。ワタシは、まだ守護者一日目の未熟者ですから……英雄様が目覚めたらどうするかなんて教わってないので……」


 シヴィラも災難だ。あまり彼女を困らせてもいけないな。


「ここを出て、山を下りましょう。すぐの所にワタシたちの集落があります。まずは首長に相談してみましょう」


 今はこの娘に委ねるしかないようだ。


「でもその前に、ちょっと待って」


 思い出したことがある。千年前のことではなく、数分前のことなのだけれど。

 物品保管ボックスがどうとか言っていたな、あの機械音声は。


 周りを探ってみる。あった。装置に横付けされた黒い箱が。これだな。背は低いけど幅広で、けっこう容量がありそうだ。

 でもどうやって開けるんだろう。指が引っかかるような場所がない。開閉スイッチも見当たらない。

 手探りに箱を撫でまわしていると、左手首に何か巻かれているのに気付いた。ずり上がった袖の下に、リストバンドのようなものが見えている。


「ああ……」


 ひとつ思い出した。加えて、閃いた。

 僕はその手首を箱にかざす。それだけで、ボックスはモーター音を鳴らして口を開けた。


「わっ……箱が勝手に」


 一部始終を見ていたシヴィラが驚嘆する。


 手首のこれは、搭載されたICチップで個人を証明できる端末だ。僕のいた時代ではだれもが身に着けていた。支払いなんかもかざすだけでできるし、施設等の入退室管理、セキュリティにも使われていたはずだ。


 これで箱が開いたということは、中には間違いなく僕の持ち物が入っている。僕個人のことを知れるものがあるといいが。


「何が入っているんでしょう」


 興味を惹かれたか、シヴィラも隣に来て覗き込む。だけど、期待というのは裏切られるもので。


「こ、これは……?」


「……汎称を用いて言うなら、アサルトライフルってやつだね」


「……なんですか、それ?」


 一丁の自動小銃。それが僕とともに時を超えてきたものだった。


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