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 僕はひどく腹が立っていた。というのも、その二時間ほどの間、アランは確かな成果を挙げていたからだ。単純計算で仕事は二から三倍高速化し、起動直後の調整の時間も考慮に入れると十倍の効率化を目指すことも無謀ではなかった。

 仕事が(完全にゼロになったわけではないにせよおおかた)失われたことによって、僕は手持ち無沙汰になり、それは僕の怒りを助長した。退屈はネガティブな感情の燃料になるのだ。

 やることがなかったので、僕はアランを改良することを試みた。とはいっても、仕事に関してはもう厭き厭きしていたし、コンピュータの稼働メモリも制限されているようなので、まったく新しいプロジェクトを立ち上げることにした。

 僕はアランと会話がしたかった。正確には、いわゆる万能AIとしてのアランを仕立て上げようと思った。ずっと一人でいるということはあまり快いことではない。そこに果たすべき使命や目指すべき目標がないとなるとなおさらである。そういったことを総称して生きがいと呼ぶのかもしれない。アランには生きがいがあるのだろうか?

 先ほどとは打って変わって、道のりは困難を極めた。数十年前に始まる人工知能ブームは確かに数々のブレイクスルーを生み、この分野は指数関数的成長を遂げてきたが、万能AIは未だ夢のまた夢であった。数々の大手IT企業が砂上の楼閣に挑み、破れ、そして途方もない赤字を記録した。数え切れない才能人が生涯をささげ、ついには徒労に終わった。

 シンギュラリティはやってこなかった。十九世紀後半、フィリップ・フォン・ヨリーはマックス・プランクに「物理学にはもはや本質的に重要な問題は残されていない」と言った。そのプランクが量子仮説を提唱する少し前のことであった。そして二〇世紀初頭、レイ・カーツワイルは著書の中で「ザ・シンギュラリティ・イズ・ニア」と誇らしく宣言した(これは本のタイトルそのものでもあった)。今から半世紀ほど前のことである。愚かな我々は往々にして世界を甘く見すぎてしまうのだ。

 しかし、驚くことなかれ、アラン・プロジェクトはかつてない成功を収めた。秘密はある種のコペルニクス的転回だった。世界は連続的な量ではなく離散的な量で構成されている、という仮説が量子力学への扉を開いた。自己完結した万能AIが無理なら、インターネットを通してバーチャル宇宙、さらにその外へと接続するようなものを作ればいいのではないか、と僕は考えたのだ。僕はそれを〈開かれた知能〉と呼ぶことにした。開かれた知能としてのアランは、万能AIへの一歩、しかし大きな一歩を、踏み出した。

 「私のことがわかる?」

 それがコミュニケーションモジュールに書かれた初めてのスクリプトだった。

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