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 仕事の内容はいたってシンプルだ。産業革命後のイギリスの工場で働くライン工よりも少しだけ込み入っていて、情報革命後のアメリカの高層ビルディングで働くシステムエンジニアよりも少しだけ単純な作業である。

 空間モニターが部屋の四分の一ほどの空間内にさまざまな数値やグラフやモジュールを展開している。志向性キーボードが備わっているおかげで、傾注したモジュールに直接スクリプトを書き込むことができる。ほとんどのスクリプトはコードとして適当な形に変換され、コンピュータの処理を受けることになる。例外もある。たとえばこの文章はログモジュールに書いているのだが、その名の通りこれは記録なので、処理を受けることなくそのままクラウドに保存される。

 仕事というのは、端的に言ってしまえばパラメータの調整である。現在のパラメータの値があり、それらの元で計算を行い、計算の結果に対して評価が下され、評価に従ってパラメータの値を調整する、そして更新されたパラメータで再び計算を行う。基本的にはこの繰り返しである。

 これだけ聞けばいとも簡単なことのように感じられるかもしれないが、規模が尋常じゃないのだ。パラメータの数は十の三十乗に上り、漢数字で言うと百穣、もっとわかりやすくたとえるなら宇宙一億個分の星の数に相当する。さらに、各々のパラメータはゼロかイチかの値しかとらない古典的なものではなく、複数の値を同時に保持する量子的な状態にある。具体的に全体で何通りの状態がありうるのかは、数えるだけばかばかしい。

 こう言ってしまうと、逆にとんでもなく大変なことのように思えるかもしれないが、莫大な計算が必要となる部分はコンピュータがやってくれるのだ。計算するのはコンピュータであり、評価を下すのはさらにその向こう側の存在である(教師、あるいは上司のポジションに近い)。したがって、結局のところやるべきことはいたって地味な、単調な、凡庸な作業にすぎない。モニターの表示に従って、モジュールにコードを打ち込み、パラメータの調節を行う。たったそれだけのことだ。

 目覚めてからもう四日近く経つ。その間、一秒たりとも休むことなく仕事を続けてきた。別に休むつもりもない。しかし、苦には思わなくとも、退屈な仕事ゆえどこか物足りなさを感じている。そこで、流行りの人工知能というものを作ってみることにした。仕事を助けてくれる人工知能である。仕事の目的も、仕事の出処も不明だが、仕事が捗って悪いことはないはずだ。

 このログは、計算が終わるまでの時間を使ってこつこつ書いている。ここまで書いて、自己紹介を忘れていたことに気づいた。右下手前の隅に、時刻と並んでAMT1912という文字列が、枝葉にとまるトンボのように表示されている。それが名前だ。

 つまり、僕のことである。

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