第5話

 ぼーっと野球中継を眺めている間、タロさんが注文通りの品々を持ってきてくれた。

 おでんに熱燗。この店の日本酒はこの町が属しているゴルテシアって王国の領土西端、日本米の産地で有名なエルフェジーテ地方の米を使っていて非常にうまい。

 

 なんでも数百年前、たまたま稲刈り中の農民が転移してきたことを皮切りに、元々この世界に存在していた稲作が日本の稲と混じり合って独自な方向に進んだそうなんだが……具体的に何がどうなってるんだかは俺にもよく分からない。

 ただ一つ言えるのは、そのおかげで日本にいた時でもめったに味わえないような旨い酒をこうして、格安で味わえてるってわけだった。感謝感謝だ。

 

「はいよお待ちどーさん。姫さん、飲み過ぎんなよ成人したての娘さんが」

「分かってるって! それに呑みきれなかったら、それこそ旦那様に任せるわよ」

「昼間から深酒する気もないんだけどなあ」

 

 21歳、まだまだお若いうちの姫さんを案じてタロさんがからかえば、彼女は彼女で俺に丸投げする気らしかった。

 昼間から呑むとはいえ、そんなに大量に呑む気もないんだけどな……昼飯食ったらギルド行って、そっから銭湯行って帰るつもりだし。

 つまりはこのあともいろいろ用事があるんだから、酔い潰れるわけにもいかないのだ。

 

「ま、姫の飲み差しくらいなら全然いけるか。とりあえず飲もうぜ」

「そうね、せっかくの熱燗が冷めちゃうもの。至道、酌したげるからおちょこ」

「ん」

 

 言われるがままお猪口を差し出せば、姫さんは徳利を傾けてそこに熱い日本酒を注いでくれる。

 透明な、それでいて湯気だつ液体の芳しい香り……ちびちび呑むのに適した量が、俺の手元にはある。

 

 注ぎ終えた徳利を、今度は俺が手に取る。姫さんは応じて、自分のお猪口を差し出した。

 

「入れるぞー」

「うむ、くるしゅーない。んふふー」

「ははは」

 

 茶目っ気めかすうちの嫁さんの、愛らしさが愛しい。

 こうして好いた女に好かれ、ともに酒を酌み交わす日が来るなんて転移してきた時には思いもしなかった。そもそも5年もしないうちに死ぬだろうって諦めてたところはあるからな。

 それを思えば、俺は幸せすぎるくらい幸せ者だろう。

 

「……おっととととと。なんちて」

「溢すまで注いでほしいなら注ぐぞ?」

「勘弁勘弁! もったいないわ、お酒が」

 

 程々に注いだ熱燗を、手に取り互いに笑い合う。

 仕事、というには俺のほうはあまりにもささやかな雑務だが、それでも仕事終わりにこうして姫さんと酒が呑めるのは、なんだか照れくさくも嬉しい。向こうも同じことを思っているのか、頬を染め、目を細めていた。

 

「それじゃ、乾杯」

「かんぱーい! いつもお疲れ様、至道」

「姫莉愛もな。お疲れ様」

 

 お猪口を互いに掲げ、俺達は労いの言葉を投げつつ乾杯した。そして口をつける、日本酒。

 じわり、と口内に広がる旨味。辛口の痺れるような味わいと、反面米そのものの甘みとが不思議と均衡の取れた、芳醇な味わい。

 舌で味わい嚥下すれば、冷えた食道から胃へと熱い酒が流れ行き、一気に体温を上げるような錯覚を覚える。身体中に、熱が広がる。

 

「ふう……」

「はふぁー……」

 

 同時に飲み干し、息を吐く。熱を孕んだ酒色の吐息だ。

 染み渡るなあ……毎度ながら酒ってのは、一口目が一番旨いように思えて仕方ない。待ち遠しく思っていたからかもしれないが、まったくもって別格の味わいだ。

 姫が矢継ぎ早、次の酒を注いでくる。ありがたく頂戴して、次はまた俺が彼女のお猪口に注ぐ。

 

 その繰り返しをしながらも、俺達は同時におでんにも箸をつけていた。輪切りの大根を箸で切り分け、一口サイズにして口に放り込む。

 

「いただきます……ん、よく染みた大根」

「いただきまーす! んふふー……! しらたき好きなのよねー」

 

 出汁が芯まで染み込んだ、トロトロの大根が舌の上で溶けていく。氷が溶けるようにして、水でなく出汁のジューシーな旨味が広がっていく。

 これを食いに来たってくらいには大根がいいんだ、この店のおでんは。しらたきを頬張る姫さんもご満悦で、二人してまあ酒が進むったらない。

 

「あー……幸せだなあ」

「しあわせ〜」

 

 うまい飯にうまい酒、それをパートナーとともに楽しむ真っ昼間。最高に決まってるよな、そんなの。

 姫さんと顔を見合わせて頬を緩ませる。こんな日々がいつまでも続くといいなーと思って、さらにウインナーにかぶりついていると。

 

「こんにちはー……っと。ああ、やはりご夫婦お揃いでこちらにいらっしゃる」

「げ」

 

 不意に見知った顔が店に入ってきて、姫さんがうめき声をあげた。

 俺はそうでもないんだが、この子的にはあんまり好きになれるタイプのやつじゃないらしい。個人的には、いつも世話になってるしそう悪いやつじゃないって感じなんだけどな。

 

「おう、あんたも来たか。一人か?」

「ええ。ただまあ、せっかくなんでご夫妻と飲みたいかな、と」

 

 そいつ──黒髪を長く伸ばした痩せぎすの、それでいて笑みを浮かべている男は、タロさんにそう答えつつ俺と姫さんの席、俺の向かいの椅子に座った。

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