丑三つ時 響く重低音
黒潮旗魚
君を待つ
学校の予鈴が澄んだ冬の澄んだ空気に響き渡る。僕は教室の掃除をさっさと終わらせるとカバンをもち、北風のように教室から飛び出した。そして自転車にまたがると勢いよくペダルに力を込めた。サビかけたチェーンが軽やかなリズムを鳴らす。僕は自然と鼻歌を歌っていた。冷たい向かい風の中に、どこか心地よい春風の混ざりを感じる。春と呼ぶにはまだ早いが冬のやいばは刃を丸めたようだった。
家に着くと自分の部屋へと駆け込んだ。冷えた部屋を温めるためにストーブをつける。この時代には少し珍しい灯油ストーブが、口を赤々と燃やしながら僕を帰りを出迎えた。かじかんだ手を温めながら部屋の隅に目をやる。そこには深い紺色に白い斑点を散らした夜空を写したような美しいボディを持つベースが置いてあるのがみえた。何度見ても美しい。しかし窓から見える快晴の青空を見比べると、どこか違和感を覚えるのだった。
(まだ早いな…。)
僕は先に学校から出された宿題を片付けることにした。カバンから筆箱と宿題の束を取り出すと、急に腕が鉛のように重たくなった。僕はふふっと笑った。そして人間の心理とは本当に素直なものだと改めて感じた。こんな状態では宿題なんてできない、そう思い疲れを取るために少しばかり寝ることにした。そうと決まれば行動は早い。僕は勢いよくベットに飛び込んだ。高校生にとってはベットはやはり天国だ。布団に潜った瞬間にこれまで溜まっていたもの全てどうでも良くなってしまった。言わずもがな、僕はすぐに眠りについた。
次に目が覚めたのは夜の9時頃だった。少し寝すぎたと思ったが、ふとあることを思い出した。
(そういえば今日俺以外誰もこの家にいないんだった。)
明日は休みなので両親と妹は祖母の家へお泊まりに行くとLINEが送られていた。泊まるなら学校終わりに来いと言われたが、今日は大切な用事があるため行かないと伝えた。母親はそんなものないだろうと疑いの目を向けたが、僕には本当に大切な用事があるのだ。
窓の外を見ると記憶にあったはずの青空は消え、深い紺色と白く光る星たちが僕の目に映った。僕は大きく伸びをすると、勢いよく立ち上がり階段を駆け下りた。そしてキッチンに駆け込むと棚を覗き込み、残っていたパスタを茹でレトルトのミートソースをかけて晩御飯を済ませた。そのまま風呂に入り、急ぎ足で自分の部屋へ駆け込んだ。部屋の時計は11時を指している。僕の用事にはまだ早い。しかしその前に少し準備することにした。
僕は部屋の端にあるベースに手を伸ばした。ネックに触れると冬の空気で冷えきった4本の弦がかじかんだ手に針を刺した。夜空のようなボディは夜になったことで昼間感じた違和感はなく、星空はベースをより美しくみせていた。僕はせっせとチューニングを済ませるとピックアップに指を置き、1弦から順番に弾いていった。滑らかな響きが部屋にこもる。低い音が僕の鼓膜を優しく揺らした。ベースの4弦にはそれぞれ特徴がある。第1弦は細く、空気の粒子を震わせるような高い音で、番号が大きくなる事に太くなり、第4弦は1番太く、ゆっくり地を這うような低い音だ。この4弦で曲の土台となるリズムを奏でる。演奏中、ほかの楽器よりも存在感は薄い。しかしベースがいなければ他の楽器たち息を合わせることはできないのだ。いわばベースは他の楽器を影で支える縁の下の力持ちである。
部屋の時計を見るがまだ時間はありそうだ。僕は何曲もメロディのない曲を奏で続けた。ラブソングやロック、スラップからタッピング、激しく動く指が窓の外に見える深い闇とは裏腹に僕の気持ちを明るくしていった。
5曲目を演奏し終わった時、時計を見ると針は1時半を指していた。
(そろそろだな。)
僕はベースを下ろすと、机から1冊のノートを取り出した。
〜作曲ノート〜
青い表紙にはそう書いてあり、ところどころに粒状に濡れた痕がついている。僕はこのノートを見ると、あの時を思い出すのだ。
このノートは、とある人からあのベースを預かった時、いっしょに貰ったものだった。そしてある約束も。
僕が小学3年だった時、僕のクラスには1人いつも学校にいない奴がいた。なぜ来ないかは知らないが、そいつの家が僕の家の近くであることは知っていた。
ある日、先生から頼まれてそいつの家に届け物をしに行った。しかし僕はそいつと話したこともないし、なんなら名前すら知らない。そいつの家の表札には神山と書いてあるので苗字は神山なのだろう。家の前に着くと門の横にあるインターホンを優しく押した。
「は〜い…」
ひ弱い声がやっとの思いで僕の鼓膜に届いた。
「すいません。同じクラスの中山です。先生から届け物を頼まれて伺いました。」
「分かりました…。今開けます…。」
そう聞こえてから1分ほど冬空気に沈黙が続いた。そしてドアから顔をのぞかせたのは、ひょろんとやせ細った黒髪の女の子だった。
「あ…あの、神山さんですか?」
「はい…、神山楓と言います。会うのは初めてでしたね。学校に行っても保健室でしたし…。」
そういうと彼女はゆっくりと弱々しい足取りで近づいてきた。
「そうなんですか。あ、それでこれ、届けものです。」
「あ、ありがとうございます。」
僕はプリントの入った紙袋を渡すと、ぺこりと頭を下げ彼女に背を向け帰ろうとした。その時だった。
「すいません。今時間ありますか?」
「はい、ありますが…。」
「もし良ければ、学校のこと教えてくれませんか?あまりにも行けてないので、どんなこと勉強しているのか、気になってて…。」
僕は一瞬戸惑ったが少しならいいかと了承した。そしてそのまま彼女に連れられ、リビングに入った。周りを見渡すと、無駄なものがあまりないシンプルな部屋の隅に、あの星空のベースが置いてあった。最初は父親が趣味かなんかで引くもんだと思っていた。そんなこと考えていると、彼女キッチンからお茶をついで帰ってきた。そして、勉強やら友達やら色んなことを聞いてきた。はじめ聞こえたあの弱々しい声には変わりないが、明らかに口調は元気になっている。僕はすぐに彼女と打ち解けることが出来た。そして、ひとつ気になってることを聞いた。
「なんで神山さんは学校に来ないの?」
そう聞くと彼女は少し俯きながら答えた。
「私…生まれつき体が弱くて、いつもなにか病気にかかってるんだ。実際、昨日までずっと熱が出ててとても動けるような状態じゃなかったし…。だから、週に1日ぐらい先生がやった所までのプリントを持ってきてくれるからそれをやってるの。」
「そうなんだ…。」
僕は少し気まずくなり、お茶を優しく飲み込んだ。場の雰囲気を変えようと目に付いたものを話題にするために辺りを見渡す。すると、部屋の隅のベースが目に入った。
「ご両親、ベースやってるの?」
「うんん、あれは私のベースだよ。ちょっと引いてあげようか?」
彼女は自信ありげにそういい、よろよろとベースに近づいた。そしてストラップを肩にかけると、ピックアップに指を置き、1弦から弾いていった。あのひょろひょろの体とは似つかない強く深い音でベースは音を響かせた。これまでとのギャップに僕は目を見開いてしまった。そんなことは訳知らず、彼女は優しい曲を奏で始めた。曲と言ってもメロディは無い。普通、メロディのない曲には違和感があるはずだ。しかしそのベースで奏でるリズムには違和感が感じられなかった。僕は呆然と彼女のベースに思考を奪われていた。演奏が終わると彼女は心配そうに見た。
「どうだった…?」
僕は言葉を奪われたかのようにツギハギの言葉で話した。内容は覚えていない。しかし、その時彼女がずっと嬉しそうにしていたのは覚えている。
その日から毎週、彼女にプリントを届けに行くことになった。そして行くたびに学校の話をし、ベースを聞かせてもらった。そして中学になってもそんな関係は続き、そのうち彼女からベースを教えてもらうようになった。そんな日々はいつしか普通になり、初めは女の子の家に行くことを躊躇っていた僕もどこかに消えていた。
そんな楽しい日々が続いていたある日、ある悲劇が彼女を襲った。生まれつき持っている持病が悪化し、救急搬送されたというのだ。そのことを聞きいた放課後、僕は急いで病院へ向かった。病室に入るとそこにはぐったりとした彼女と彼女の母親がいた。
「お母さん、お久しぶりです。ところで楓さんの様態はどうですか?」
息を切らす僕を見て母親は眉をひそめながら口を開いた。
「あら、中山くん。お見舞いありがとう。搬送されてきたよりかはマシになってるかな。今はゆっくり寝てるわ。」
「…そうですか……。」
僕はゆっくりと彼女の寝るベットに近づいた。夕焼けに照らされて彼女の顔は茜色に染まっている。夕焼けのせいか、顔色はいいように見えたのだが、どこか苦しそうだった。
「中山くん、私、楓の服とか取ってくるからちょっと楓の様子見ててくれない?」
「分かりました。」
僕が答えるとお母さんはぺこりと頭を下げ、そそくさと病室を出ていった。その時だった。ふふっとやわらかい笑い声が聞こえた。僕がベットを見ると、優しくほほえむ楓がいた。
「お見舞いありがとう。中山くん。」
「楓!起きたのか!」
僕が声を上げると彼女はまたふふっと笑った。
「実はね、ずっと起きてたんだ。けど、2人きりになれなかったから寝たふりしてたんだ。」
「2人きり?」
想定外の言葉に困る僕を見て彼女は面白そうに笑っていた。そして僕と彼女はいつものような話をして盛り上がった。話している時の彼女はいつもと何ら変わらない。時が過ぎるのを忘れ僕たちは話を続けた。そうしているうちに夕日は沈み、美しい星空が空を埋めつくしていた。病室の時計は20時を指している。彼女の母親は未だに帰ってこない。道が混んでいるらしくまだつかないそうだ。しばらくの沈黙の後、満天の夜空を眺めながら彼女はしんみりとした顔でいった。
「中山くん…ひとつ頼み事があるんだ。」
「…どうしたの?」
「私のベース、次に私が弾く時まで預かっていて欲しいの。」
「それはいいけど…僕でいいの?」
「うん、むしろあなたがいい。預かっているあいだ、好きに弾いてもらってかまわないから。だから次私が弾く時までに、私より上手になっててね。まぁ、次弾く時なんてないかもしれないけど。」
「待って、次弾く時は無いってどういうこと?」
僕は彼女の一言を聞き逃すことは出来なかった。オウム返しをする僕を見て彼女は悲しそうにいった。
「私の持病ね、徐々に筋力が低下していくっていうやつでね、リハビリは続けていくけど、今すでに歩くのもやっとな状態で…。だからベースを持てるような状態じゃないの。」
「…それはいつから……?」
「え?筋力の低下は昔からずっと…。」
「違う、ベースを持つのが辛くなったの。」
彼女はもごもごと口ごもりながら答えた。
「2ヶ月ほど前から…。」
僕には思い当たる節があった。前まで立ちながら弾いていたが、ある時から座りながら弾くようになった。その時はあまりな気にしなかったが、今思えば不思議だった。
「僕が教わっている時も我慢してたの?」
彼女は小さく頷いた。僕は俯き、小さな涙を流してしまった。ふるふるの細かく震える手を彼女は優しく包んだ。
「中山くんのせいじゃないよ。私はあの時間があったら最後までベースが続けられたんだよ。」
「……最後なんて言うな…。」
「…え…?」
彼女は不思議そうに僕を見た。そんな彼女に僕は無意識に声を荒らげていた。
「最後なんて言うな!楓、お前はまたいつかベースを弾けるようになる!それまで俺はいくらでも待つから!俺にできることならなんでもやる!だからまた一緒に演奏してくれ!」
目から流れる涙をこらえることは出来ず、僕は彼女の手の甲に涙を零した。涙とともに流れ出たのは僕の本心だ。あの時間が好きだった。あの重低音が2人の部屋に響く時間が大好きだった。止まらない涙で歪む視界には僕と同じように涙を零す楓が見えた。しかし楓は涙とは裏腹に笑っているようだった。
「中山くん…ありがとう…。私、頑張る…!だから待ってて!」
その言葉を聞いて僕の涙は少し弱まった。目を腫らしながらのその言葉は、ベースのように力強い決意が込められている気がした。
「おう、待ってる。それまでにめちゃめちゃベース練習して、楓より上手くなってやる。」
彼女はふふっと笑うと思い出したかのように1冊のノートを引き出しから出した。
「これ…本当は見せる予定なかったけど、これも預けとくね。」
「…作曲ノート?」
「うん、私のオリジナルの歌が書いてある。今度、私が弾く時までに練習しておいて。で、一緒に演奏しよ!」
僕はノートを受け取るとゆっくりとページを開いた。中には歌詞とベースコードが書かれていた。
「わかった、練習しておくよ。」
彼女はまたふふっと笑って、恥ずかしそうに布団に潜り込んだ。
「あ、そろそろお母さんこっち来るって。」
「じゃあ僕もおいとましようかな。」
僕はそそくさと荷物をまとめ始めた。その2分程後、病室のドアが勢いよく空くと、額に汗を流したお母さんが息を切らして入ってきた。
「楓、何ともなかった?」
「はい、さっきまでずっと一緒に話してましたよ。」
そう言って楓の方を見ると、彼女はすやすやと眠っていた。
「そうなの、なら良かった。遅くまで止めちゃってごめんね。」
僕はぺこりと頭を下げて病室を後にした。病院を出ると北風が僕の首元を走り抜けた。僕の足は自然と早くなっていた。
それから今でもベースを練習し彼女とセッションをする日を待っている。あの日からもう1年ほど経つが、彼女も元気で様態は努力のおかげで良い方向に進んでいる。たまに逢いに行くが、その度無邪気な笑顔を浮かべる彼女を見て安心した。彼女も僕との約束を守っているのだ。なので僕も破る訳には行かない。そしてなんと言っても今日は彼女の誕生日なのだ。そんな大切な日にベースに触らないなんて考えられない。僕はベースを構えると、ノートに書いてあるとおりにコードを弾き始めた。そして木枯らしのように小さな声で歌詞を口ずさんだ。
星がやたらとうるさく光る
1人のベースとひとつの私
彼が座った椅子の上には
温もりなんて感じなかった
こんな日が続いてほしい
そんな気持ちがメロディで
伝えたい気持ちは重低音
なんて醜い曲だろう
美しく奏でるメロディを
邪魔する不快なベースのリズム
何度も何度も響き渡って
私の耳を支配する
はやまるドラムにベースが合わせ
ギターの旋律を壊してしまう
そんな酷い不協和音な音楽を
私は今日も奏で続ける
演奏が終わら部屋の時計を見ると、午前2時を指していた。
何を打ち壊すかのような激しいコード。穏やかな彼女が作った曲とは思えなかった。申し訳ないが、曲の意味もあまり理解出来ていない。何がテーマで何を伝えたいのか、僕には理解が難しかった。しかし彼女からこの曲の2番を作って欲しいと頼まれていた。僕は作詞なんてやったことない。そのため、いつもノートを開いては閉じての繰り返し。弦を弾くと、ベース音は丑三つ時の深い闇へと落ちていくようだった。深い闇の先に彼女の思いがあるように思えた。その瞬間、僕の中で強い鼓動がなり始めた。不可解な鼓動は僕の体を暑くし、かじかんだ指を溶かしていく。その瞬間、天から舞い降りたかのように歌詞のインスピレーションが湧いてきた。僕はノートに殴り書きで歌詞を書いた。
月下の部屋で君を待つ
1人のベースとひとつの僕
闇夜に響く君の歌詞が
君を頭から離さなかった
一生君のそばにいたい
そんな気持ちを心で歌い
口はニコニコ笑ってる
なんて悲しい歌だろう
僕の思いを言葉に直せれば
君はどこかへ消えてしまう
辛い辛い現実が
僕の思考を支配した
けれども僕には君が必要だ
君の響きが必要なんだ
僕の不協和音な音楽を
君のリズムで正して欲しい
殴り書きされた歌詞は全く酷いものだった。しかし僕にはあまりに美しく感じてたまらなかった。それはまるで強調性のない星空のように。僕の本心、そして全くの自分勝手な思いを綴った歌詞だ。こんなものを楓に見せられるはずもない。すぐに消しゴムで消そうと思ったが、何故か消すことが出来なかった…。
……………………………………………………
その後、彼女はリハビリによって持病を乗り越え、普段通りの生活をおれるようになった。僕は彼女にベースとノート返し、代わりにギターを始めた。彼女が奏でる美しいリズムを、僕が殺さぬようにメロディを奏でる。まだ始めたばかりだが、あの曲を弾けるぐらいまでは練習した。今でも2人仲良くやっている。
僕らの関係?それは僕の歌詞の反対になった。2人、丑三つ時にあの曲の重低音は闇に深く落ちていく。けれどひとりじゃない。メロディとリズムは美しい和音を響かせている。
丑三つ時 響く重低音 黒潮旗魚 @kurosiokajiki
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