第89話 子爵夫人と侯爵夫人
激しく動揺する私を楽しむように、至近距離で話すシュテファン様。
クリスとだって、こんなに近くで話したことはないのに。
顎を、人差し指で掬って上向かせ、親指で押さえられているので、目をそらすことも出来ない。眼球だけを横に振って逸らすことは出来るけれど、それは危険な気がするし、目の前に恐怖の対象がいるのに目をそらすなんて怖くて出来ない。
「そんなに怯えなくてもいいと思うけど。傷つくなあ。クリスより上腕も胸囲も肩幅もあって、男っぷりも騎士としての経験も上だと思うけど」
「わ、わたくしは、見た目だけが判断基準ではありませんし、活きた甲冑のような猛々しい方は好みではありません」
「いや、人をゴリアテみたいに⋯⋯ そんなに巨漢ではないけど?」
「きっちり鍛えた筋肉美の男性はそれはそれで素敵だとは思いますけれど、腕が廻りきるか不明なほど胸が厚くて触れても硬そうなほど鍛えられた方は、あまり好きではありませんの」
お嬢さまは、風雅人の美男子という、いかにも
また、私がガッチリ戦士タイプの男性が好みでないのは本当のこと。クリスもあれ以上肉厚な身体になると、ちょっと近寄るのが怖くなるかも。
「クリスも、今はまだ身体が出来上がる過程の十代だからあんなだけど、その内、騎士らしく厚みのある身体になるんじゃない?」
「そうかもしれませんわね。でも、それは仕方のないことですわ。⋯⋯慣れるしかありません」
「本当に嫌なのか。騎士公爵の妻になるのに、困った事だね」
困ったね、と言いつつ微塵もそう思っていない笑顔である。何がそんなに楽しいのか。
「もっとも、君が本当にアンジュリーネ嬢なら、だけど」
どうやって知ったのかわからないけど、私が元子爵令嬢であると確信しているらしい。
父が亡くなった事で頓挫してしまった『計画』というのは、何なのだろう。
気になるけれど、話に乗る訳にはいかない。私がアンジュリーネお嬢さまでないことを認める事になる。
単純に僭称している事もそうだけれど、第二王子殿下の前で侯爵令嬢として振る舞ってしまったし、テレーゼ様、クリスや公爵さまに対しても、アンジュリーネお嬢さまとして行動していることは、彼らを騙し、お嬢さまの軽はずみな行為や病を隠している事。場合によっては侮辱罪、詐欺罪にも問われる行為だろう。
私が身代わりになってもならなくても、お嬢さまの、クリスに──公国の国主子息に嫁ぐ予定の令嬢が、譬え妊娠していないとしても、他の男性と情を交わし不治の病を得ること自体、隣国ハインスベルクに対する背信行為だろう。
その事は、こうなってしまっては、隠し通すしかないけれど⋯⋯
「僕が話しているのに、何を考えているのかな?」
機嫌を損ねてしまったみたい。
私には私の事情がある。シュテファン様に話すことは出来ないけれど。
「明日の朝も早いので、そろそろ休みますので、シュテファン様もどうぞお休みに⋯⋯」
「あくまでしらを切るつもりかな。ねぇ、帝都から離れた田舎の子爵令嬢が、一国の王家の血筋でもある侯爵令嬢のフリをするって、どんな感じだい? そもそも、どうして、アンジュリーネ嬢の代役をしているのかな」
莫迦にしているとか、無視しようとしている訳でもない。
言えないことばかり訊いてくるから、答えようがないのだ。
私から早く興味を無くしてくれないかしら。
「ねえ。そのまま、アンジュリーネ嬢のフリをしてクリスと結婚するつもり?」
つい、目を見開いてシュテファン様の目を見てしまった。反応してはいけないのに。
そんな事、そんなつもりはないと言いたい。でも、そう答えることは、身代わりを認める事。
譬え確信が持てるほどバレているのだとしても、自分で認める訳には⋯⋯
「僕からしたら、反対なんだよね」
反対?
「大した教養もない不出来な侯爵令嬢の代役をしている勉強家の子爵令嬢。ではなくまずそれよりも先に、貴族夫人としては不出来だけど社交家としてはそこそこの子爵夫人に似てる不出来な侯爵令嬢。てね?
この国の会期中に一度訪れた時、驚いたんだ。夜宴会で見かけた目をひく金髪美人。例の子爵夫人が化粧で印象を変えて、夫亡き後、この国の侯爵と再婚したのかと思ってね、ちょっと周りの人に訊いてみたら、別人で驚いたよ。しかも、この国の王女の孫だって言うじゃない? こりゃ、子爵夫人とは別人だよねぇ。他人のそら似と言うにはあまりにも似てるから、子爵夫人は王女の孫の一人かと思って聞き込んでみたけど、そうという証拠はなかった」
母が王女の孫なら、もっと自慢して言いふらして、父よりも爵位も財産も上の男性を狙うと思うけれど。
祖母である伯爵夫人は、王家の血筋ではなく、一般的な、領地を持たない官僚伯爵家の次女だと聞いているし、祖父も小さな領地を持つ侯爵家の二男で、王宮での働きぶりに伯爵位を授爵された領地を持たない官僚宮中伯。
どちらも先祖に王家の血が入った事があるとは聞いていない。
そう考えると、偶々似ているだけなのだろう。
貴族なんてものは、近世に王家から功績を称えられて授爵された官僚貴族はともかく、何百年も前から続く血系貴族はみなどこかで繋がっていたりして、顔立ちも似たりするものだから。
「君達、本当に他人なの? まあ、他人でも血縁者でもどっちでもいいけど。
来年、クリスがランドスケイプ侯爵令嬢アンジュリーネ嬢と結婚するのなら、僕が子爵令嬢の方をもらってもいいよね?」
──は?
コノヒト、ナニイッテルノ?
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