第87話 召喚状  


 ──召喚状


 呼び出し状や招待状とは違って、強制力の強い書状だ。

 しかも、王族からの。


 封蠟に王家の紋章の印璽が押されている封筒に、丁寧な文章と飾り文字で書かれた、招待状。

 第二王子シーグフリート殿下のサインだ。


 これを無視する、或いは参加拒否すると、王族の呼び出しを無視した不忠者になる。


「アンジュ、そなた、第二王子殿下と面識、或いは交流があるのか?」

「⋯⋯はい、お祖父さま。交流というか、いつでも顔を見せろと、青の森のブラウバルト 紋章入りのカメオのペンダントを預かりました。それが、通行証代わりになると、王族の居住区に立ち入れるようにな⋯⋯」

「なんと? 王族の方から、紋章を預かっただと?」

「⋯⋯はい。王女の語学学習の相手にと誘っていただきましたが、来年嫁ぐからとお断りを⋯⋯」

「王家の誘いを断った⁉」


 やはり、まずかったかしら⋯⋯ でも、お嬢さまと入れ替わり戻った時に齟齬があり過ぎるし、王族の前で身分僭称を貫き通すのは危険すぎます、お祖父さま、ごめんなさい。


「そのカメオは今も持っているのか?」

「いえ。お母さまが王族の方々にご機嫌伺いに行かれる折にわたくしも同行するという形をとることにしましたので、お母さまにお預けしてあります。このお話やカメオの事は、お父さまもご存知ですわ。三人で王城に参りました折にご縁があっていただいたものなので」

「そ、そうか。そうだな。その方がいい。お前が与えられたと表に立てば、色々と面倒になるだろうからな。ヴィルヘルムも知っているのなら心配はないだろう」


 我が国の王家は、側室や寵妃を持たない事になっているけれど、過去に全くいなかった訳ではない。

 王女の教育係だとか王妃の話し相手や相談役などと名目を与えた女官としてお側に仕えて、夜のお相手をなさる女性も過去にはいたのだ。

 ただし、既婚者で、婚家で跡継ぎを産んで済んでいることが条件だけれど。


 お祖父さまの心配はそちらなのか、殿下の誘いを断ったことなのか、或いはその両方なのか。

 殿下から直接、紋章のカメオを頂いた事が問題なのだろうけど、何を心配されているのかは、訊くのが怖くて、敢えて訊ねなかった。


 見初められたとか利用したいとか、そういうのではなくて、秘密の書庫を知る、秘密を共有する本好き仲間として、いつでも読みに来ていいという意味なのだけれど、それは言えないので、説明ができない。


 お兄さまとクリスの表情かおが険しい気がするのは、同じような心配をしているからだろう。

 お祖母さまが不機嫌そうなのは、いつもの通りだ。


 テレーゼ様は、その話についてはなんの感情も表に出さず、いつもの通りににこやかに食事を続けていた。

 シュテファン様だけは、何を考えているのか知り得ないけれど、楽しそうだった。


「とにかく、お茶会のお誘いの体をしてはいますが、召喚状とあっては、登城しない訳にはいきませんでしょうから、せっかくの領地をよく知る機会でしたけど、明日は王都へ帰ります」

「そうだな。そうしなさい。うちの騎士を何人か護衛につけるから、道中は安心しなさい」

「旦那様」

「わかっている、ジェイムス。アンジュをよろしく頼むよ」

「旦那様⁉ この子を王都に返すのに、騎士ばかりかジェイムスをやるのですか? ジェイムスは、数いる他の執事たちとは違って、我が家の家令なのですよ?」


 それまで一言も話さなかったお祖母さまが、難色を示す。


「騎士をつけるのは当然だろう? 我が家の孫娘が数日馬車に揺られて王都へ向かうのだ。護衛をつけない道理はない。ジェイムスがついていれば、王城への際にも粗相はないだろう。任せられる。いいな? これは決定だ」

「⋯⋯わかりました」


 不服そうではあったけれど、家長の決定には逆らえない。お祖母さまは黙ってしまい、お祖父さまが食事を終えて席立つとすぐ、自室へと帰ってしまった。




「おい、アンジュ、どういう筋書きなんだ?」


 お祖父さまお祖母さまを見送ったあと、私達5人は、食堂の隣のティールームへ移った。

 ジェイムスさんの淹れるカフィは、渋くも苦くもなく、芳醇で味わい深く、なれない私でも飲みやすい。それでも、砂糖とミルクは入れたけれど。


「筋書き? 別に、何でもありませんわ。これは、口外なさらないでくださいませね? 王家の秘匿のお宝や蔵書を見せていただくだけですの。お母さまとお父さまと。約束はしていたのですがいつ、とは聞いていなかったので、ちょっと急で驚きましたけれど、殿下の都合がついたのでしょう」


 本当ではないけど、全くの嘘でもない。秘密の書庫の事を言わないだけ。

 でも、入れ替わったばかりの頃と比べたら⋯⋯

 最初こそ焦ったり口ごもったり、取り繕うのが大変だったけれど、いつの間にか真実と嘘の半々を、もっともらしく話すのが上手になって来てるのは、いいことなのか良くないことなのか⋯⋯

 嘘を吐くのが巧くなるほど、胸は苦しく心が傷ついていく。


「ああ、本ね。なるほど。お前たち三人は、本の虫だからな。わかった」


 お兄さまは納得して、手を払うように振って、この話は終わりとばかりに食後のお茶を一口啜る。

 でも、クリスはまだ言い足りない事があるようで、私の隣に座って、手を握る。


「アンジュ。令嬢たちのおしゃべり茶話会ティータイムと違って、王家主催のお茶会なら、パートナーが要るんじゃないのか?」

「そうなの? 出たことがないから、よく判りませんわ」

「俺もついていくよ。帰路の護衛もお茶会のパートナーもやるから」

「あら、だめよ。公爵さまは、戻って来いと仰られてましたでしょう? 国民が繁忙期なのですから、私のことはお気になさらず、お国に戻ってくださいませね」

「アンジュ、お前、冷たいな?」

「お兄さま、これは冷たいとか突き放すのとは違いますわ。クリストファー様の為に言ってますのに、酷い言いようですわ」

「王家の招待状に応えるのにパートナーは夫や婚約者がいいかと思ったんだが⋯⋯」

「ご心配ありがとうございます。ですが、両親と出る事になるでしょうから、パートナーはいなくても角は立たないでしょうし、そう! お兄さまと行きますわ」

「え? 俺?」

「はい。お兄さまもいずれは後を継がれて当主になるお方。王家と親しくしていても得はあっても損はないでしょう? 殿下は知識人で思慮深い、とても良い方ですの。それに、もしかしたら、王女や王子達とも仲良くなれるかもしれませんわ。お父さまには殿下も砕けた話し方をなさってたの。そんなふうになれるかも知れませんわ。ね?」

「う、うん。そうだな。わかった。一緒に行くよ。クリス、心配するな。悪い虫は近寄せないし、雲行きが怪しくならないようちゃんとガードしてくるから」


 納得してないふうではあったけれど、お兄さまに言われて、クリスは引き下がった。


「アンジュ様が王都に帰られるのでしたら、わたくしもご一緒しますわ。ご兄妹のいないこちらに留まってもご迷惑でしょうし、図書室をもっと利用したい気はありますけれど、またの機会にしますわ」

「え? また来るの?」


 即答でまた来るのかと訊き返すお兄さま。その失礼な反応に開いた口が塞がらない。

 それでは「もう来るな」と聴こえてしまう。


「あら、ご迷惑でしたかしら。個人であの規模の蔵書はそうはなくて、アンジュ様でなくても、しばらくあそこで暮らしたいくらいですわ」


 ホホホと笑うテレーゼ様。気を悪くされなくて良かった。

 お兄さまにあんな態度を取られても笑って流せるなんて、器の大きな方なんだわ。 


「そうだなぁ。僕も、王都へついていこうかな?」

「え?」

「まあ、シュテファン様もご一緒に? 道中が華やかになりますわね」


 それはテレーゼ様にとってでしょう。私はご遠慮願いたい。


「この国に入って、王族に挨拶もなく出ていくのもなんだし。その、知識人で思慮深いという、第二王子に興味が湧いたな。面白い人物なら、ぜひお近づきになりたいし」


 お父上が辺境伯(帝国西辺境監 (国境線地区) 理軍事長官)で、その補佐をなさっているシュテファン様は、帝国内でも地位のあるお方。帝国内であれば、小国の国境は彼らにはないものと同じ。彼らにとっては都市や街の境界線程度の移動で、いちいち許可証は要らない。

 彼らの入国を拒否する事は、帝国に対して一物を抱えていると取られかねないので、例え関所を通行しても、止める人はいないからだ。


 お兄さまも一瞬驚いた顔をなさったけれど、「音に聞こえる騎士様が同伴されるとなれば、王都まで道中は安心ですね」と笑って、明日の出立の準備に、ティールームを後にした。


 残された私とテレーゼ様も、明日に備えて早めに寝る準備をするため、席を立つ。


 私の隣に座っていたクリスは、複雑な表情かおをしていた。

 気にはなったけれど、クリスの心のケアをする余裕は私にはなかったし、恐らくこれで彼とも最後だろうと思うと、下手に手を差し伸べないほうがいいと判断して、テレーゼ様と部屋に戻った。



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