第85話 かくしごと──アンジュの罪  


 いくら、親の前ではいい子を装って遊蕩ぶりを隠していたとしても、私が話し方や化粧法を真似ても、自分の子供と他人を見間違うだろうか?


 本当は気がついていて、知らん顔をしながら、私が何の目的で入れ替わったのか、観察していたのだとしたら⋯⋯?

 お兄さまも、淑女ごっこに納得したフリをして、本当は、私が悪事を企んでいると疑っていたら?


 入れ替わった本物のお嬢さまの居場所は把握しているのだろうか。

 あの別荘に居ることは、容易に想像できるはずだ。

 機嫌を損ねても、淑女教育をサボるためにも、あそこに隠ることは少なくないらしいから、捜すなら一番に思い当たる場所だろう。


 何もかも知っていて、私を観察しているのだとしたら?

 だから、愚かな平民を見張るために、ご自身が領地に戻るのに私を連れて来たのだとしたら?



 

「お母さまは、本当は、すべてお見通しなのかしら⋯⋯」


「当然でしょう? いくら容姿が似ていても、自分の娘が他人と入れ替わって判らない母親がいるかしら?」

「お母さま⁉ どうしてここに?」


 王都の侯爵邸で、お父さまのお世話と家政を守っているのでは。


「わたくしが呼びました」

「お祖母さま⁉」

「お前には祖母と呼ばれたくはないと言ったはずです。どこの馬の骨ともしれない賤しい平民が、孫を名乗って公爵家に乗り込んできたのですから、それを防げなかった愚かな嫁共々処分するために喚んだのですよ」

「そんな、お母さままで⁉ お母さまは何もご存じなかったのです、お母さまには罪はありません」

「そうかしら? お前が偽者だと知っていて放置していたのなら同罪でしょう? わたくしの孫は、どこに居るのです?」

「それは⋯⋯」


 お嬢さまの病状はどこまで回復しているのか、イルゼさんもフリッツも教えてくれないから、知らないのだ。

 あの別荘に居ると答えていいのだろうか?


「まさか、すでに亡き者にして入れ替わるつもりではないでしょうね? ああ、なんて事でしょう、憲兵を呼ばなくては。誰か、この罪人と、同罪の女狐を、塔牢に閉じ込めておしまい‼」

「そんな、おばあ⋯⋯テレージア様、お許しください! わたくしだって、やりたくて身代わりをしたんじゃないんです‼ 祖父母や女将さん夫婦を質にとられて仕方なく⋯⋯」


「本当に? 貴女は、わたくしの娘のフリをして、それを楽しんでいなかった? 貴女が一年働いてもとても買えないようなドレスを着て、ドレスの何倍もの値の宝飾品を飾り、美味しいものを食べて、このままわたくしの娘に成り代わりたいと思ったことはない? クリストファー様と再会して、このまま彼に嫁ぎたいと、思ったことは、本当にないのかしら?」


「⋯⋯ありません」


「おや、即答出来ないところをみると、本当は、このまま成り代わりたかったようだね? 偽者な上に、大嘘つきのようだ。こんな怖ろしい子は、早く憲兵に突き出して、舌を抜いて縛り首にしなくてはね」

「そんな! お許しください、テレージア様」


 私が馬鹿だったの。

 たとえ、祖父母や女将さん夫婦を質にとられても、お嬢さまの方こそ、病をバラされたら困るのだもの。

 秘密を盾に、断れば良かったのだわ。


 祖父母やお世話になった人々を苦しめる策略を練る余裕は、お嬢さまにもなかったのだから。


 ああ、どうすればいいの? もう、お兄さまも、クリスも、私を助けてはくれない。


 クリスは、よくも騙したなと、騎士団公国師団長としての帯剣斬殺資格でもって、怒りもあらわに私を斬り捨てるかもしれない。


 クリスとハイジにとっても、幼い頃の大切な思い出だったのだろうに。穢された気持ちになるかもしれない。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。許して⋯⋯」



「アンジュ。アンジュ? 大丈夫?」


 皆が責める中、優しい声が降ってくる。


「テレーゼ様?」

「ああ、よかった。なんだか、うなされていたみたいだったから、一度起こした方がいいかと思ったの」

「魘され⋯⋯? 夢?」

「ええ。何かツラいことを夢見ていたのかしら? ずっと、誰かに謝ってらしたわ」

「夢⋯⋯」


 すべすべのシルクの夜着が、汗で身に張り付いていつになく着心地が悪い。


「お嬢さま、お召し替えを」


 イルゼさんがお水を汲んだ杯を手渡してくれる。

 公爵家のメイドもふたり居て、搾った手拭いと替えの夜着を用意して控えていた。


 今のは、みんな夢だった?


「そうよ。ゆっくり深呼吸して、一度落ち着いて? 湿った夜着を着替えて、寝直しましょう? わたくしのベッドに入って。朝までお側にいますわ。ね?」


 お水を飲み干した私を、メイド達はテキパキと、汗を拭い夜着を着替えさせていく。


 優しく微笑むテレーゼ様に手をひかれながら、彼女に与えられたベッドに横たわる。

 優しいテレーゼ様に甘えて、手を繋いで毛布をかぶる。


「夢で良かったですわね? 悪夢は、夢で良かったって思うために、起きたとき心の平穏を保つためにみるのですって」



 夢でよかった?


 ううん、あれは、数日後の私だ。


 私は、今更ながらに、己の罪を認めた。



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