第84話 かくしごと──詐称
夜、ベッドに入ってから、急に不安になる。
テレーゼ様は、本当にカスティーリャの言葉や文字を知らないのだろうか?
ギムナジウムを中退した私ですら、独学でラテン語の各国派生語やフランク語を学んだのだ。
パン屋の住み込み部屋にも、こちらにも持って来た数少ない手荷物の中にある、数カ国語の辞書は、亡き父の形見である。
辺境伯の監理する穀倉地で、貴重な小麦の管理をする伯爵に雇われて、財政管理をしていた父は、営業や流通を担当する他の子爵に頼まれて、公文書の翻訳もしていた。
それを、私も一部手伝っていた。
勿論、具体的な数値や契約内容には関わっていない。譬え関わっていても、11~12歳の子供に詳しいことは解らない。
ただ、言葉を覚え、自国語とラテン語、異国の言葉とを置き換えて、文章にするのが楽しかったのだ。
学校にも通わず、貴族階級の婦人会にも参加していなかった深窓の令嬢であるテレーゼ様には、私よりも時間がある。
教養もあるし、手芸などの手先の器用さもある。
本当は、複数の言葉をちゃんと理解していらっしゃるのではないのか。
語学を学びたいと侯爵家に滞在しても、さほど言葉に苦労している風はなかった。
語学をと言うのは侯爵家に滞在する為の口実で、本当は、私がお嬢さまでないと確信を持って探りに来たのではないのか。
曾祖母の出生の秘密から、色々と調べていくうちに侯爵家に辿り着き、噂のお嬢さまを切り捨てるか過去を隠蔽して利用出来るか観察に来て、私が別人だと気づいてしまったのかもしれない。
隣のベッドで寝息を立てるテレーゼ様は、起きている時よりもずっと、あどけなくて可愛らしい顔をしている。
ねぇ、貴女は、私を告発しに来たの?
お嬢さまを見捨てる手筈を整えに来たの?
ミレーニアお母さまと親戚として親しくしたいと言ったのは本当なの?
貴女は、私の味方では有り得ないのかしら⋯⋯
訊きたいけれど、訊く訳にもいかないし、訊いたところで、本当のことを話してくれるとも思えない。
シュテファン様の前で借りてきた猫のようになってしまうのは、本当にシュテファン様をお慕いしているのだろうと思うけれど、あれすらも演技だったら、何を信じればいいの。
考えれば考えるほど恐ろしくなる。
だいたい、誰とも会わずに、事実を知られることなく入れ替わることなど不可能と思われるのに、病を得たことを隠すために、強引に入れ替わりを敢行したお嬢さま。
こんなにも、侯爵家の人々や、本家の公爵家、お母さまのご実家、テレーゼ様やクリスと日々過ごし会話を交わし、この後再び入れ替わって、お嬢さまは上手くいくと思っているのだろうか?
上手くいかなくても病を隠すには仕方なかったのかもしれないけれど。
そもそもが、どうして、入れ替わって侯爵家に戻った私を、疑うことなくお嬢さまだと、みんなは受け容れたのだろうか。
共にテーブルに着くようになったのが最近で、それも繁忙期でない期間のたまの機会にだったから、顔を合わせることも少なかったお父さまは、その人の善さからも疑わないのは、まだあるかもしれないとは思う。
お兄さまも、普段はここ領地にいらして遭うことが少ないから、最初こそ訝しんだものの、最近は納得されたようだ。
でも、使用人達は?
事実を知るジェイムスさんとメイド長、侍女エルマさんとイルゼさん、従僕見習いのフリッツはともかく、その他大勢の使用人達は、成長したとか性格が変わったと噂はしていたけど、おかしいとは思わないのだろうか。ドッペルゲンガーでもあるまいに、そっくりな人が入れ替わっているとは普通は思わないのかもしれない。
でも、お母さまは、気がつくのではないだろうか?
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