第17話 アンジュリーネお嬢さまのクローゼット


 別荘のお部屋も素晴らしかったけど、この侯爵家の自室も、お姫さまの気分が味わえる。


 天蓋付きのベッド。クリーム地に花柄の壁紙に、艶のある磨き込まれた寄せ木の床。

 猫足の磁器の大きな浴槽と、花瓶と間違うような花模様の、蓋のついたアンティークの大壺(便器)は、大理石の床に置かれている。


 大壺は、緻密な花柄が洒落た椅子の座席の大きな穴の真下に置かれ、ドレスをたくし上げて掛けておくフックも幾つか壁にあり、メイドを呼ばなくてもひとりでなんとか出来そうなのはほっとした。



「お嬢さまが過ごされていた頃のカーテンやリネン、カーペットやムートンなどの敷物もすべて、総入れ替えしてあります。万が一にも、感染を広げることはありません」


 メイド長のマクダレーネさんが、屋敷内やお部屋を案内してくれながら、状況も説明してくれる。

 部屋の内装やリネン類を総替えしたところで、お嬢さまのいつもの気紛れだと思われるので、あまり気にする人はいなかったと言う。


「アンジュリーネお嬢さまのクローゼットは、お気に召しませんでしたか?」

「お気に召すとかそう言うんじゃなくて、豪奢過ぎたり、大人び過ぎたり、わたくしには合わないというか⋯⋯」


 肌の露出が多いドレスは着たことがないし、宝石や輝石の欠片、ガラスビーズが煌めく高価なドレスは袖を通すのも躊躇ためらいが出る。


 レースがふんだんに使われた重いものも、レース一巻きが幾らになるのか、一着なら尚更、ちょっと引っかけただけでも千切れたり裂けたり、縮まさず綻びず手洗いするのも手間がかかりそうなものも、やはり気後れする。


「わたくしは、上質かどうかや、高価な飾りなどは特には必要では無いの」

「お嬢さまや奥様に似た面差しですから、きちんと手入れなされば、装飾品などなくても、美しさを」

「そうではなくて。わたくしには勿体ないし、特には興味はないの。だから、侯爵家の面子を損ねない程度の質で、着衣中に傷つける心配のないシンプルなものでいいのよ」


「⋯⋯わかりました。滞在中は、好きにドレスや飾り物を新調してもよいと聞いておりますので、代役代金として遠慮なく、お好みのドレスを用意いたしましょう」

「え? す、好きなだけって、そんなには要らないわ」


 マクダレーネメイド長さんが、キリリとした目でこちらを見る。


「お嬢さまのドレスは季節ものをしまうドレスルームへ収めておきます。『アンジュ様』のお好みのドレスを、最低十数着は作りましょう。

 部屋着、晩餐用、バスローブ、外出用、それに、お茶会や夜会用のドレスも数着は必要ですよ」


 お金がどれだけかかるのか、ざっと概算だけでも、私のパン屋での年収を何倍も使ってしまう事に、震えが来る。


 でも、お嬢さまのドレスは、好みの点からも、破損や劣化への気をつかう事からも、やまい黴菌バイキンに汚染された皮膚片や体液などが付着してないかの恐怖からも、着たくない。


「わかりました。では、なるべくシンプルに、肌の露出はできる限り抑えて、コサージュや宝飾品で印象を変えやすいデザインを取り入れてもらって、素材は侯爵令嬢に相応しいものを。色は萌葱かトルマリングリーンを基調でバリエーションを。首飾りやイヤリングなども、エメラルドやグリーントルマリン、猫目石キャッツアイ、縞瑪瑙、翡翠⋯⋯アクセントに、アレクサンドライトやペリドットもいいかしら。デザインは細く小さなあまり主張しないものでいいわ」

「グリーンで統一されるので?」

「クリスの瞳の色よ。婚約者の瞳に合わせた装いは当然でしょう? お嬢さまのドレスは、赤や紫、青やオレンジなど、派手な色ばかりだったわ」

「エルラップネス公爵令息に会ったことがおありで?」


 ギクッ


 気をつけなきゃ⋯⋯


「(アンジュリーネとしては)まだ直接お会いしたことはないけれど、以前、お茶会や夜会などで何度かお見かけしたことは。騎士の方は姿勢がよくて、上背のある方が多いので、目につくのですわ」

「そうでしたか。ですが、お嬢さまとエルラップネス公爵令息は、残念ながらまだ仲が浅い間柄でして」

「だからこそ、親しくなるために気をつかっているところを見せて、関係を築き上げなくては。

 お嬢さまが戻られたら、そう遠くない日にクリストファー様とは結婚する間柄。誠実に向き合う気になったとかなんとか言い訳をするわ。

 ご心配なく。わたくしが必要以上に婚約者様と親しく • • • するなんて事はありませんから。それは、お嬢さまご自身で成し遂げなければならないことでしょう?」

「もちろんでございます。では、萌葱色のドレスと緑系の宝飾品を用意いたしましょう」


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