ランドスケイプ侯爵家の人々と私

第13話 貴族屋敷街の中心地のお屋敷


 かつてこんなに緊張したことがあっただろうか。


 まるで頭の中に心臓があるんじゃないかってくらい、動悸がうるさい。


「アンジュお嬢さま、大丈夫ですよ! その濃ゆ⋯⋯しっかりと施されたメイクで、アンジュリーネ様そのものに見えてますから。胸を張って、我が家に帰って来たって表情かおをなさってください」


 従者のフリッツは、興奮気味に励ましてくれる。

 まだ14歳の少年で、従僕見習い。将来は執事になりたいらしいけれど、もう少し落ち着きを持たないと、難しいかもしれないと思う。

 辛うじて金髪と言えないこともない小麦色の巻き毛と、透けるような白磁の肌に薔薇色の頰と唇、柳のような細くて薄い眉は、宗教画に出て来る天使クピードのような美少年で、お嬢さまが可愛がっていたらしい。


「いないと毎日が物足りないけれど、エルマやフリッツが傍にいないのは不自然に思われるわ」


 というお嬢さまの計らいで、事情を知る専属侍女と従者が着いて来てくれている。


 フリッツが手を差し出し、絹の手袋に通した手を乗せる。

 ゆっくりと踏み台を使って、馬車を降りた。


 王都の、王宮に近い貴族屋敷街の中央部。

 遠方に領地を持つ貴族の多くがタウンハウスで過ごすのに、ランドスケイプ侯爵家は、ここが本宅かと思われるほど立派で、周囲を風致林に囲まれた、前庭もあるお城のようなお屋敷だった。


 帰宅する旨を、先触れを出して家人には伝えてある。


 お嬢さまのやまいの事を知っているのは、家令のジェイムズと、ここまで付き随って来てくれた侍女エルマと従者のフリッツ。

 メイド長のマクダレーネ。

 ランドリーメイドが感染した関係で、家令とメイド長には、知られずに済ますことは不可能だったのだとか。


 家族に迷惑をかけないために、病状が悪化してどうにもならなくなるか、まわりに感染を広げてしまうような事態にならない限り、秘密にしてもらっているという。

 それでは遅いのでは? と思ったけれど、口には出来なかった。

 感染症専門家の医師を、お嬢さまのために別荘へ招聘したのも家令のジェイムズさんで、例のランドリーメイドを別荘に送ったり、代わりのメイドや、お嬢さまの世話をするメイドを手配したのはメイド長だという。


「多くの使用人達が何か変だとは感じているかもしれませんが、お嬢さまが気紛れにあの別荘で数日間過ごされたり、ご友人のお宅や別荘へ泊まりに行ったりする事はよくあることなので、その辺はそう怪しまれる事はないでしょう」


 エルマさんの話が本当なら、お嬢さまの気紛れや勝手はよくある事らしい。

 私、そんな人のフリを、ちゃんと出来るかしら⋯⋯



 屋敷の正面玄関の扉が開き、白髪混じりの栗色の髪の男性が出て来る。

 深海のような深い暗い青の燕尾服。

 夏の爽快さを表しているのかな。


 彼──家令のジェイムズさんは、お嬢さまの病だけでなく、私が身代わりの別人であることも知っている。



「お帰りなさいませ、お嬢さま。別荘でのお勉強は捗りましたか?」


 別荘にこもっていたのは、お勉強をしていた事になってるのね。


「ええ。口うるさい執事や、お行儀!が口癖の家政婦長マクダレーネもいなくて、快適に過ごせましたわ。街のスイーツが恋しくなって戻って来たの。すぐに、パティシエ・トムソンを呼んでちょうだい」

「かしこましました。ですが、まずはお召し替えを。エルマ、すぐに支度してください」

「かしこましました」


 お嬢さまはトムソンって菓子職人のプチタルトがお気に入りらしく、態々わざわざ街から呼びつけてタルトを作らせるらしい。

 表向きは、トムソン氏がお嬢さまに懇意にしてもらっている事に感謝して、定期的に腕を振るいに来ている事になっているらしいけど。



 とにかく、お嬢さまに言われた通りに、挨拶もそこそこ(どちらかと言えば憎まれ口?)にパティシエを呼びつけたりして、お嬢さまらしさを演出するのには、成功したと思う。


 事情を知る家令ジェイムズさんの目が、痛々しいものを見る同情の目だったのが、正直なところ居心地が悪かった。




❈❈❈❈❈❈❈

【補足】

天使👼(私の中での扱いです😅)

エンゲル(angel)は宗教絵画にあるような、二~六葉の翼を持つ大天使とかし熾天使セラフィムとか智天使ケルヴィムとかのことが代表

クピド(Cupid)はスプランゲルやルーベンスの絵画に出て来るような、壁画や天井画とかに出て来る、小さい翼と天使の環、小さな狩猟弓と番えた矢以外は身につけてない金の巻き毛が可愛らしい素っ裸の赤ちゃん像の、いわゆるキューピーちゃんとして

同じ『天使』を使い分けてます


家政婦長ハウスキーパー

和訳では家政婦ですけど日本の家政婦さんとは違い、自身はメイドではなく、侍女やメイド(掃除婦・キッチンメイド・ランドリーメイド・ハウスメイドや給仕・子守りなど)女性使用人と屋敷内の仕事に必要な鍵を管理し女使用人の人事などを総括していた、家令の スチュアート 次に権限を持つ上級使用人

相部屋ではなく個室を与えられ、高給取りで、菓子や高級茶葉、女主人のドレスの下げ渡しなどの特権もあった

身分の高い女性を雇う予算の足りない貴族や上流~中流階級では、女家庭教師ガヴァネスが兼任することもあったらしい(もしかしてロッテンマイヤーさん?)


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