第10話 芽生えなかった初恋


 私の動揺に気づかず、お嬢さまは、婚約者に対する不満を語り続ける。


 クリストファー・エルラップネス侯爵令息。


 私の淡い初恋になりかけて萎んだ、幼い頃の思い出。



 まだ父も元気で仕事をしていて、母も気持ちに余裕があり、子爵夫人として社交に励んでいた頃。

 よく、子供達がたくさんいるお茶会に連れていかれた。


 いつもは着ないような、高価な愛らしいドレスを着せられた事からも、たぶん、伯爵や侯爵などの良家の子息と仲良くさせようとしたのだろう。




「クライナーエンゲル(小さなkleiner天使engel)?」

「私は人間よ」

「違う。そのドレス。今、流行ってるよね『クライナーエンゲル』。うちの妹も母さまに着させられてる」


 小さなレース片を重ねて縫い合わせ、翼の形を作って、背に縫い付けられた、総レースの、重くてあっちこっちに引っかけそうな繊細なドレス。


「これ、クライナーエンゲルって言うの?」

「そう。帝都で物凄く流行ってる子供服のブランドだよ。上位貴族達のお茶会に行ったら、どの子もそうやってレースの翼のついたワンピースを着てるよ」


 サラリとしたクセの弱い輝く金髪。萌葱色の深い吸い込まれるような瞳。白磁の白い肌に透ける薔薇色の頰と唇。


 女の子なら、かなりの美少女に育つだろうけど、残念ながら男の子。声は、私よりも高いかも。


 私が着ているのは、限りなく白に近い白緑びゃくりょくのレースワンピースで、レースが重なり合った影が淡い若葉色に見える。


「みんな着てるんじゃ、大して面白くもないわね」

「まあ、多少の違いはあるけど、殆どどれも同じだよね」

「それで? どうして、どれも同じに見えるのに、わざわざ声をかけてきたの?」

「その色」

「これ? 真っ白じゃなくて、少し緑が入ってて綺麗よね。霧の朝、露を弾く新芽みたいで、とても気に入ったの。お母さまがこんなドレス買ってくれたの初めてだし⋯⋯」

「うん、似合ってる。君の眼の色も、綺麗なトルマリンのようなグリーンなんだね」

「ありがとう」


 私の眼を褒めてくれた人なんていないわ。初めてで、恥ずかしいというか、頰が熱くなって、照れる。


「いつもみんな黄色やピンク、空色で、大半は白いけど、君だけ、緑色だった」


 それが、私に興味を持った理由。


 私は、誰とも話をせずに、木陰で立ちんぼしてたので、レースの影の緑色が濃いめに見えたらしい。


「近寄ってみたら、思ったより白っぽかったけどな。でも、お前の目の色、母上の眼と同じで綺麗だ」



 今日は、父親と妹と来たらしく、お母さまは紹介してもらえなかった。


「クリスが女の子に声をかけるのは初めてじゃないか?」


 お父さまはとても身体の大きな方で、子供の目には山のようにのっぽで馬のように筋肉質に見えた。

 今会えばきっと騎士としては標準的な体型なのだろうけど、子供にはとても大きな身体に感じた。 

 妹さんは、彼の言ったようにクライナーエンゲルのドレスを着ていた。色は花のような明るいオレンジ色。艶のある金髪と合わせてみるとグラデーションのようでとても綺麗だった。


「別に。ただ、母上の色の、緑のドレスはコイツだけだったから。ちょっと眼の色を見てみたかったから、声をかけてみただけだよ」


 その月末か翌月頭に、弟か妹が出来るらしく、お母さまは領地の本宅マナーハウスでゆったり過ごされていて、何日も会ってないそう。

 それで、緑色のドレスに目をひかれて、私の瞳の色を確かめたかったのだとか。


 寂しいのね。


「な、なんだよ、別に、母上が恋しいとか子供みたいな事じゃないからな」


 六~七歳は充分子供だと思うけど。

 妹の前で格好がつかないだろうから、敢えて指摘はしなかった。




 その後も、何度かお茶会で顔を合わせると、妹さんと一緒に挨拶に来て、お菓子を食べながらお話をする事があった。


 でも、その内、生まれた弟さんに会いに行くと言って、領地へ帰ってしまい、そのまま二度と会えなかった。


 彼らも家名は名乗らなかったけど、私も名乗らなかった。


 彼がクリストファーで、妹さんがアーデルハイトとお父さまに呼ばれていたのは憶えている。

 私の事は、クリストファーが天使アンジュと呼んでからかったのが定着した。


 なぜ、クリスのお父さまがエルラップネス公爵閣下だと判ったかと言うと、母である。


「あなた、エルラップネス公爵家フュルスト の子供達と仲いいみたいだけど。どうせなら領邦侯じテッレトリウム ゃなくて、もっと王都や帝都で権威があってお金を持ってる公爵家ヘルツォークの子にしなさいな」


 なんて言ってきたから。


 今思い出したら、なんか嫌になる。しかも、お嬢さまの上から目線と重なる。


 そんな訳で、当時、もっと何日か会い続けていたら幼いながらも恋心が芽生えていたかもしれないけれど、彼に対する親しみと傍にいて温かい心地よさは、恋心に育つ前に会えなくなって、更に母にアレはダメだと言われ、萎んで枯れてしまったのだ。


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