お嬢さまと私
第3話 町で働く元令嬢
私は、当主を失い、領地を持たず俸禄がないが故に生活苦から爵位継承を断念した、元子爵令嬢だった。
母はタウンハウスに住む伯爵家の血筋で、祖父母の資産はさほど多くはない。
父は辺境地と言われる穀倉地帯の領主の元で、財政管理をしていた俸禄を持たぬ子爵だった。
その父が過労で倒れ、やがて亡くなると、領地も俸禄もない貴族に食い扶持を稼ぐことは出来なくなる。
働いた事のない母に生活を維持することは出来ず、辺境を出て、王都の伯爵家へ私を連れて戻った。
祖父母は歓迎してくれたが、彼らも同じく領地を持たぬ貴族で、あるのは狭い土地を有効活用したせせこましいタウンハウスと称号だけ。
王宮で貴族院の議員と文官をしていたが退職、年金暮らしの祖父母に、私達はお荷物だったに違いない。
母は別の下位貴族の後妻に入り、私は祖父母の元に残った。
どうせ
でも、私はそうはしなかった。父の子爵位も国王に返上し、金回りはいいが王宮での地位は高くない男爵家に後妻に入った母とは籍も抜き、未成年ゆえに祖父が後見人として書類上の保護者ではあるものの、家名を持たぬ市民になった。
自由だった。
厳しいマナーレッスンも、複数の国の語学も、緻密で肩の凝る刺繍も小っ恥ずかしい詩作も、総て必要がなくなり、笑顔と言葉遊びで腹の探り合いのお茶会や夜会、知らない男性と踊らされ話題に困る舞踏会にも出なくていいのだ。
最初は、祖父のタウンハウスから街に出て、色々と働き口を探した。
食堂の給仕、花屋の売り子、宿屋の掃除婦。
一番長く働いたのは、パン屋の若夫婦のところだ。
パンを焼くのは仕込みから朝が早く、暗い内からの通勤が大変だったので、店舗の二階の空き部屋に住み込みで働く事にした。
お給金から少しづつ祖父にそれまでの感謝と経費として、毎月半分ほどを返す。最初は拒否されたが、突然母と二人嫁ぎ先から戻って、生活リズムが乱れ食費が嵩み、祖父母も大変だったに違いないと強引に置いて帰ると、諦めて何かの時に使うように保管しておくと言っていた。
使ってくれていいのに。
なにせ、パン屋の二階に住み込みで家賃は要らないし、裏庭にポンプ式水場もあるし、食事は賄いだから無料である。
そんな生活が二年ほど続いた頃、パン屋に入って来たお客様が異国の人だったので、奥さんが接客に困っていた。
運よく私の知る言葉だったので通訳するとその噂が瞬く間に拡がり、ちょっと変わった手作りパン屋に、語学に明るい店員がいると観光客が土産を買いに来るようになった。
変わった手作りパン屋と言うのは、普通の毎日の食卓用の堅焼きや具材を挟んで手軽に食べられるバンズだけではなく、蜂蜜やシナモンを練り込んだりまぶったり、アイシングを掛けたバンズを売り出したところ、若い女性に大変好まれた事に由来する。
パイ生地を重ねて間にクリームや果物を挟んだケーキのようなラォブと名付けたデニッシュは、日保ちがしないにも拘わらず飛ぶように売れ、特に果物をたくさん挟んだ物は予約制に変えるほどだ。
これが、実は私が賄いの惣菜パイを焼くのに、焼き過ぎて硬くなったデニッシュ生地を、クリームや果物などの湿気のあるものと重ねて挟めば軟らかくなるかもと試したのが始まり。元が失敗作だとは、誰も思ってないだろう。
パン屋の若夫婦は、私のアイデアで色んなパンを焼くのは、楽しいし売り上げが上がって、とても貢献してくれると喜んでくれていた。
だから、私は、その生活に不満はなかった。
──なのに
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