51
「これ、沖縄のお土産」
「ありがとう」
僕が目を覚ましたのは、里香たちが修学旅行で沖縄に向かう当日だった。僕はやっぱり沖縄にはいかなかった。けれど、いつか行こうとは思う。彼女と、約束したから。
「ちんすこうって……何者?」
「よくわかんないけど、クッキーみたいだよね」
里香は穏やかに笑った。
「あのさ、里香。結構大事な話があるんだけど」
白いベッドの上で、僕は背筋を伸ばし彼女にそう言った。
「ん?」
「まず、これだけ言っておきたい。殴りたくなったら、そん時は思いっきり殴ってくれ」
「……え?なぐ……え?」
里香は首をかしげ、何言ってんの?みたいな感じで僕を見た。けど僕は、それにかまわず続ける。
「僕は、前に君の告白をそれとなく断った……よね?」
「う、うん」
「よく考えたら、あれってかなりうやむやな状態のまま終わってるんじゃないかって」
あの時、僕は里香に「菜乃葉が好きなのか」と聞かれて口ごもったまま、里香が「振られた」と解釈してさざ波が砂浜を湿らすようにその話はおしまいになっていた。
「あ、ああ。そういえば、そうだったような」
里香は苦笑いの表情で斜め上の方向を見た。
「僕はやっぱり、今でも彼女を忘れられていない」
「うん。それも最近聞いたよ」
「……これから僕、すごく最低なことを言うから、覚悟してて」
「え?は、はい」
里香はベッドわきの椅子に腰かけたまま、ごくりと喉を鳴らす。
「高校卒業したら、僕と結婚してください」
僕は、いたって真剣な顔で言った。
「え?」
彼女は最初、何を言われたのか分からない、というような顔をしていた。それがだんだん理解に変わり、僕が気付いたころには多分、怒りに変わっていた。
「は、はぁ⁉」
里香は素っ頓狂な声を上げて、思いっきり椅子から立ちあがった。
「な、な、なな何言ってるかわかってるの⁉」
「これでも、真剣なんだ。はっきり言って、僕は君に恋愛感情は一切持っていない。君が告白してくれたことはもちろんすごくうれしかった。でも、僕が君に対して持っている親しみと君が僕に対して持っている親しみは、種類が違うと思ってる。今はまだ、僕のほうからその種類を君に合わせることはできない。けど、勘違いしないでほしいのは、絶対値は同じだってこと。親しみの度合いは、同じくらい。方向が違うだけで。僕は、結婚って信頼だけで結構十分だと思うんだ。その、うまく言えないけど、とにかく、僕が言いたいのは」
「――分かった」
僕は思わず口をつぐんだ。
「それでいいよ。菜乃葉のこと、忘れられないままでもいいよ。私だって菜乃葉のこと、そう簡単に忘れてもらっちゃいやだもん」
「お、怒らないのか?これは、君の気持ちを踏みにじって……」
「私がいいって言うんだから、いいんだよ。私は、颯くんの隣にいられるならいいの。好きな人が私をお嫁にもらってくれるって、結構素敵なことじゃない?」
「けど、僕が君に恋愛感情を持つっていう保証は」
「保証なんて、いらないよ。――最近、気づいたんだけどね」
里香はそういうと、少し頬を赤らめて恥ずかしがるような素振りを見せてからこんなことを言った。
「私、幼いままの恋心を颯くんにぶつけてたの。小学生の時のままの、優しくしてくれたからっていう、それだけの理由。頭がいいから、足が速いから、小学生の女の子って、どうしてもそんな理由でクラスの男の子を好きになりがちなんだよね。そういう感じ。私、君に好きって伝える前に、もっとちゃんと君のことを知るべきだったなって」
微笑んで、里香は続ける。
「だから、いいよ。結婚でも何でもするよ。高校卒業まであと1年と少しある。その間に、互いのことを深く知っていこう。ホントに合わなかったら、また考えよう」
「ごめん、僕の勝手な言動で振り回しちゃって」
「よろしく、未来の旦那さん」
里香は右手を出して、はにかんだ。
「よろしく、未来の……お嫁、さん?」
***
「最近飲んでる薬が、だいぶ効いてるらしくて」
一真は嬉々とした表情で言った。
「そうなんだ。退院できるといいな」
「どうだろ。前もこういうこと、何回もあったから」
確かに僕は、彼と似たような話を3回ほどはした覚えがある。治療薬が劇的に効いた、このまま治療を続ければ白血病細胞が完全寛解するかもしれない。その話を聞いてから1週間もたてば、また体中が痛いとうめく日々が始まる。
「菜乃葉が亡くなってから、どれくらいたったんだろう」
「……3カ月、だな」
窓の外で散る桜を眺めながら、僕は彼女のいない冬を思い出した。寒かったな、という印象しかなかった。
一真はきっと、そんなことを聞きたかったわけではないと思う。僕が思うに、彼が本当に問いたかったのは、「俺はいつ菜乃葉のいるところに逝くんだろうな」だったんじゃないだろうか。彼も、5年にわたる闘病生活に慣れと疲れを感じているのだろう。
「お前はまだ、菜乃葉のところには逝けないよ」
「……――そっか」
一真は眉尻を下げて、微かに口角を上げた。安堵とも、絶望とも取れた。
「この世界って、案外美しいんだぜ」
僕は一真に向かって、ポエムみたいな言葉を投げかけた。
「お前、そんなこと言うやつだったか?」
「僕だって、成長くらいするよ。誰かの受け売りだけどね」
君は今、天国でくしゃみでもしてるんだろうか。
***
「随分と郊外なんですね」
「ああ見えてあの子は、静かな森が好きなんだ。小さい頃は家族3人で、よく出かけた」
ハンドルを握る菜乃葉のお父さんの手に、きゅっと力が入った。
「あの、本当に、僕が付いてきてよかったんでしょうか」
「君が手も合わせなかったら、あの子が文句を言うだろうから」
お父さんはハハ、と朗らかに笑った。前に会って話した時よりも、角が取れたような感じがする。
お父さんとの待ち合わせ場所から車が走ること30分、僕たちは郊外の大きな森にたどり着いた。
「ここから、少し歩くんだけどね」
「いえ、全然大丈夫です」
”大丈夫”その言葉の使い方を、僕はもう間違えない。
すぐそこに森があり、桜の花びらが春の風に運ばれてくる地に、彼女の墓は建てられていた。静かだった。そこには風の音だけがあった。
「これが……菜乃葉のお墓、ですか」
「きれいだろ。つい3日前にできたばかりなんだ。藤崎くん、手を、合わせてやってくれ」
僕は彼女の墓の目の前に立った。僕はここに立って、何を祈ろう。彼女の輪廻転生が、うまく事運ぶように。とか、まじめなお祈りは難しい。
お父さんが線香に火をつけて、墓の中央に置いてある名前の分からないお皿みたいなところにそっと置いてくれた。僕は目を閉じて、手を合わせる。しばらく何も考えず、じっとしていた。いや、どちらかというと、いろいろ考えすぎて思考がうまくまとまらなかった。
僕は彼女の声を思い出していた。”颯くん”
僕は彼女の顔を思い出していた。菜の花のような明るい笑顔。
僕は彼女の涙を思い出していた。僕たちは互いを傷つけあってしまった。
僕は彼女の匂いを思い出していた。風の中にあるような、太陽みたいに柔らかい匂い。
僕は彼女を追憶した。君が勿忘草に込めた思いは、僕が受け取るよ。
”私を忘れないで”
……どうか、またどこかで君に逢えますように。
「……ありがとうございます」
目を開けて、お父さんのほうに向きなおる。
「いいや、こちらこそ、ありがとう藤崎くん」
お父さんの目じりには、涙が浮かんでいた。
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