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アルツハイマーになった。アルツハイマーの正式名称を、今日初めて知った。記憶が曖昧になるだけの病気だと思ってたのに、どうやら進行すると脳が衰えてそのまま死んでしまうらしい。私、まだ中学1年生なのに。青春真っただ中を、私はみんなの成長とは真逆に幼児退化して挙句は死ぬんだって。
……ふざけてる。
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今日、友達に「もうこの公式忘れたの?」って言われてヒヤッとした。思ったより、病気の進行早いのかな。昨日習った公式、きれいさっぱり忘れてたみたい。これからどうしよう。どうしよう。
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テストの結果最悪だった。私、もう勉強は無理なんじゃないかと思う。お母さんが、しばらく学校を休んでもいいって言ってくれた。涙目だった。辛いだろうな。お母さん、ごめんなさい。
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お父さんの誕生日を忘れてプレゼントを用意していなかったことを、お父さんは何も触れないでくれた。けど、正直、アルツハイマーだから仕方ないって思われるの、悔しくて悲しい。当日になってプレゼント用意したのなんて生まれて初めて。お父さんは笑って喜んでくれた。本当は、複雑なんだと思う。
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学校は、結局休学することになってしまった。ダメな娘でごめんなさい。中学で友達いっぱい作るぞって息巻いてたのに、このざま。笑っちゃう。隣の席のこの名前も顔も、明日には忘れてるかも。”由紀ちゃん”隣の席の子は由紀ちゃんっていう。ここに記しておく。そうすれば、見返したときちょっとは思い出せるかもしれない。これから、忘れたくないことはここに記しておこう。
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入院して、1週間たった。薬を飲んでるけど、これ効くのかな?結局死ぬなら、飲んでも意味なくない?主治医の先生に、パズルゲームとか頭を使う何かをすると脳が活性化されて病気の進行を抑えられるって言われた。とりあえず、手あたり次第で10個くらいのアプリをスマホにインストールした。でも、そのうちパズルゲームを入れたことすら忘れちゃうんじゃない?って思った。
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あっという間に、中学1年が終わった。今日、クラスメイトだっていう子がお見舞いに来てくれた。10カ月ぶりにこの日記を開いて気付いたけど、その子はどうやら由紀ちゃんだった。隣の席の由紀ちゃん。ホントに忘れてるじゃん。私、最低だ。
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久しぶりに日記を開いてみた。実は、昨日までこの日記のことずっーーと忘れてた。最後に書いた日から2年も経ってる。昨日お母さんに、そういえばずっと、日記書いてないのねって言われて思い出した。
私はこの春高校生になる。高校は通ってもいいよって、先生が言ってくれた。もしかして、最期が近いから未練をなくさせようとしてるのかな?だったら嬉しい。死ぬ直前まで学校通えるの、嬉しくない?まさかずっと病室に閉じ込められたまま死ぬなんて、そんな最高につまんないバッドエンドはいやだもんね?
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退院した。薬をわんさかもらった。毎日飲み続けろって先生が。この薬、苦いからヤダ。なんで、薬って苦いんだろう。もっと甘い薬作ってくれたっていいのに。
そういえば、中学の卒業式は出られなかったけど、卒業アルバムはもらえた。中学校で、私ってどんな噂されてたんだろう?中学校始まってすぐ不登校になったやつとか、言われてたりして。残念。私は不運にもアルツハイマーを患ってしまった、可哀そうで健気な普通の女の子です。もうクラスメイトの顔、覚えてない。
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高校の入学式、正直だらだら長くて退屈だった。そういえば、制服割とかわいい。お母さん、制服がかわいい学校を選んでくれたのかな?さすが、分かってる。お父さんに選ばせたら、たぶんすっごくダサい制服の高校だったんじゃないかな(笑)。お父さんまじめだから、そういうセンス全然ない。スカートひざ下5センチ、みたいな。
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日記のこと忘れてたわけじゃないけど、この1年間特筆するようなことが何もなかった。普通に友達ができて、翌日には忘れてるからスマホのメモを見返して会話して。正直すごく疲れた。スマホで思い出したけど、パズルゲームは10個全部消した。どれもあんまりおもしろくないし。結局効果ないじゃん(笑)。三日坊主じゃないよ?時々忘れたけど、累計したら1か月分くらいやってると思う。たった1カ月(笑)。
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2年になって新しいクラスになったんだけど、1週間めにしてすごく気になる人がいる。なんて言うか、全然人に興味ないみたい。実は少し憧れてる。私は人が好きだから、人がいなきゃ生きていけないけど、そんな私はアルツハイマーだから、周りの人に迷惑かけちゃう。けど、あの人みたいに人に興味を持たずに生きていけたら、初めから周りに人を置かなくて済む。それって、人を傷つけないで済むってことだよね?いいなあ。私も見習いたい。って、思ったりして。
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今日、屋上であの人と初めて話した。思った通り、彼は人に執着しない人みたい。友達を作る必要性を感じないんだって。びっくりしてあっけにとられちゃったけど、やっぱりすごいなって思った。私、そういう面で彼に惹かれてるのかも。もう少し、一緒に過ごしてみよう。彼のこと、もっといろいろ知りたい。
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彼はよく、「必要性がない」って言う。その点について、少し説教をしてあげた。すると彼は、「そうか」としか言ってくれなかった。けど、私は今日、思った。彼となら、一緒に過ごしてみてもいいかもしれないって。人に執着しない彼なら、私のこと、何とも思わないでくれるかもって。
今まで、友達に自分のこといろいろ打ち明けてきた。アルツハイマーのこと、いろいろ。けど、そしたら友達はみんな、私のことを可哀そうって病人扱いした。いや、病人なんだし当然だけど。でも、やっぱり複雑だった。私のこと、可哀そうって勝手に決めないでって思った。私はアルツハイマーだけど、でもそれなりに幸せ。私のことを思ってくれる家族も、親友もいる。証梨とか一真とか。里香は私の病気のこと知らないけど、他の人と違って本気で私のこと思ってくれてるって分かる。少なくとも、ちゃんと”私”を見てくれる。それだけで、結構救われる。
彼は、人に興味なさそうだから、私にも大して興味を持たないんじゃないかな。よく突っかかってくるうるさいクラスメイトぐらいにしか思ってないと思う。実際どうなんだろう?私のこと、異性としてみてくれてたりするのかな?さすがにないか。それでいいっていうか、それがいい。そういう人の隣になら、遠慮なくいられると思った。やっぱり私は、人がいないと生きていけないから。利用って言ったら失礼だけど、私に執着しない彼となら、とにかく気兼ねなく過ごせると思うんだよね。
なんか今日はたくさん書いたな。これから、日記たくさん書くようになるかも。なんとなく、彼と出会って、転機が訪れてるような気がする。このまま軌道に乗るといいな。
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今日、彼と焼肉に行った。待ち合わせのとき、どうして僕より遅いのって言われてかなりドキッとした。実は行く直前まで、彼の情報を忘れてた。名前も忘れかけてた。彼と過ごした今までのこととか、この日記で復習してた。そしたらいつの間にか、約束の時間ギリギリになってて。間に合ってホント良かった(⁻。⁻)
焼肉は結構おいしかった!彼もおいしいって言ってくれてた。いろんな話をした。なんだっけな……食べ合わせが奇怪とか、そういえば、彼が急に粉みかんって言いだしたりしてたな。粉みかんも、十分奇怪な食べ物じゃない?みかんは果汁がおいしいのに。あとは……どうして私を異性として見ないの?みたいなこと聞いちゃった。やっぱり気になって。聞いてしまった。彼は答えてくれなかった。だから私はごまかした。でも、異性として見られないのがよかったっていうのは割と事実。意地悪しちゃったな、彼に。なんて?って聞き返されたけど、もしかしたら聞こえてたかな。
本を買いに行った。彼、藤の花言葉を知っていた。意外と詳しそう。今度いろいろ聞いてみようかな。
彼が花屋に行きたいって言うから寄ったのに、結局彼は店内をキョロキョロするだけだった。シオンの花を見て、少しじっとしてたような気がする。店を出るとき、彼に黄色のゼラニウムをプレゼントした。花言葉は、「予期せぬ出会い」だって。私と彼の関係にぴったりだと思った。彼は受け取ってくれた。
そういえば、今日は彼と素敵な約束をした。ずっと仲良くする。彼は頷いてくれた。本当かな。信じてもいいかな。今日はなんだか、眠れそうにない。
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テストが近くなって、彼と地獄の勉強週間が始まった。勉強は嫌だけど、頑張るしかない。彼にアルツハイマーだって、知られたくないし。だから、記憶喪失?って思われるくらい過度には勉強したこと忘れないようにしなきゃ。バカの体で行く。記憶力は弱い設定。理解力はあっても、どうしても忘却が勝るんだよね。こればっかりは仕方ない。なんとかして、彼に悟られないようにテスト乗り越えてみせる!
あと、彼と一緒にクレープを食べた。最近、私、彼と話してると余計なこと言ってしまいがち。気を付けないと……。今日も変な空気になってしまった。何とかごまかしたけど、彼も不審に思っちゃったかも。
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今日、泣いた。学校から家に帰って、思い切り泣いた。もちろん、お父さんとお母さんがいないことを確認してから。心配させたくないもんね。
理由はやっぱり、彼だった。中学のとき何してたの?って聞かれて、でもとっさにごまかせなくて口ごもっちゃった。そしたら急に泣けてきた。私、これからずっとこうしてごまかしながら生きていくんだって思ったら、涙が出てきた。でもやっぱり、彼にすべて打ち明ける勇気はなくて。ただ泣くことしかできなかった。けど、そしたら彼は、「いいよ」って言ってくれた。私から話せるようになるまで、待つって言ってくれた。そのことがうれしくて。それと同時に情けなくて、後ろめたくて、家に帰ってから泣いてしまった。そのあと気づいたんだけど、私、病気って分かってから今日まで、泣いてなかった。泣けてなかった。なんて言うか、ショックのほうが大きかったのかな。それが今日、初めて泣けた。彼は泣けない私に、涙を教えてくれた。やっぱり彼はすごい。いつかお礼を言いたい。泣かせてくれてありがとう。ちょっと……いや、だいぶ心が軽くなった気がする。
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数学のテストめっちゃいい点とれた!なんと彼より4点上!まさか勝てるなんて思ってなかったから、すごくびっくりした!たしか私が勝ったら一緒に好きなところに出かけてあげるっていう約束をした気がする、そう思って彼にその話をしたら、彼がきょとんとした顔をするから、私はとっさに記憶違いって思ってしまった。結局私の記憶のほうがあってたみたいなんだけど、なんか気まずい空気になった。気をつけなくちゃ。じゃないと、なんか変って悟られてしまう。
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彼はきちんと約束を守ってくれるみたい。彼と証梨と一緒に沖縄に行けることになった。修学旅行まで、持つかどうかわかんないし。今日は家で3人でゲームした。レースめちゃめちゃ面白かった。たまにやるテレビゲームっていいよね。彼は意外にもへたくそだった。
証梨が帰ってから、彼が僕なんかと一緒にいて楽しいか、みたいなことを言った。私はすごい怒った。なんか、彼は私と過ごすことをつまんないって思ってるみたいに感じて。よく考えたらこんなに付き合ってくれてるんだから、そんなことないじゃないって分かるのに。それで私が泣いてたら、彼、急に「好きだ」って言った。
私はかなりびっくりした。だって、急すぎるんだもん。でも、嬉しかった。いままで、何人かの男の子に告白されることはあったけど、嬉しいなって思うことあんまりなかった。ありがたいな、ぐらいしか。
嬉しいってことは、たぶんそうなんだよね。私、彼のこと、好きになっちゃったんだ。どうしよう。私が彼の隣にいようって思ったのは、彼が人に執着しない人で、そしたら私は周りの人を傷つけないで済むって思ったからなのに。私が好きになっちゃったら、意味ないじゃん。私が執着してどうすんの。私は、なんて言えばいいかわからなくて、「冗談でしょ?」なんて言っちゃった。最低。告白してくれた彼の気持ちを、踏みにじった。最低だ。彼を好きになる資格なんか、ないな。
実は、一昨日の診察で「余命が縮まった」って言われていた。彼になんかあったの?って言われた時、それを思い出して。なんで、分かっちゃうの。私、彼にどんな顔して合えばいいんだろう。その前に彼は、ふった私の目の前にもう二度と現れてくれないかもしれない。そう考えたらまた、涙が出てきた。
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倒れて入院した。彼が会いに来てくれた。私は泣きそうになった。会いに来てくれるなんて、思ってなかったから。
彼にすべて打ち明けた。アルツハイマーのこと。やっぱり彼は、私のことを病人としてとらえてしまったみたい。やっぱり、隠し通したかったけど……。
彼は「また会いに来る」って言ってくれた。それだけで、救われる。
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彼は、私への告白は冗談だった、って言った。君のこと好きになるわけないって言った。苦しそうだった。私たち、きっと思いあってるのに。それなのに、その気持ちが交わることないなんて。これも全部、私がアルツハイマーだから。私のせいで、彼にあんな辛そうな顔させてるんだって思うと、胸が痛くてたまらない。
彼が持ってきてくれた桃、すごくおいしかった。彼のおじいさん、山形で桃を栽培してるらしい。私は桃が好きだから、うらやましいな。
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”生まれてこなければよかった”
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最近彼が、バイトを始めたらしい。幻のパンケーキが売りのカフェで。いいなあ、とか、パンケーキ食べたいな、とか、なんて言おうって思ったけど。少し立ち止まって考えて、やっぱりやめにした。頑張ってねって言うことにした。だって、彼がそのカフェをバイト先に選んだのってきっと、数日前に私がパンケーキを食べたいって言ったからなんだよね。なんか、私、彼を振り回してるみたい。だから、私は自分の願望を言うのをやめにした。そのほうが、いい気がする。
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花火大会のこと、彼が花火を見せてくれるまで忘れてた。やっぱり、病気は進行してるんだってこういうところで実感してしまう。
彼は、わざわざ屋上で花火を見せてくれた。ほんと、すっごく律儀な人だなあと思う。彼に「ホントは祭りの会場に行きたかったんだろ?」って言われて、図星だなと思った。私はつい、言っちゃった。「……もっと言うとね、――私は、君と並んで屋台が並ぶ通りを歩きたかったんだ」って。それってもう、好きって言ってるようなものじゃない?けど、言ったこと、後悔はしてない。ウソじゃないから。
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私の寿命、結構余裕ないらしい。そう知ってから、自殺しようと思った。それで今日は、首つり自殺用のロープのわっかを結った。まさか彼に見られるとは。想定外。もっと想定外なのは、彼が自殺を肯定したこと。死ぬな、とか言われると思ってた。やっぱり彼はすごい。きっと、私のことをしっかり考えたうえでその結論を出してくれたんだと思う。私の苦しみを、分かってくれてるんだと思う。それだけで私は、死ぬことに対する恐怖が少しだけ和らいだ。ありがとう。
***
数日前と、言ってることが正反対。彼もきっと、いろいろ悩んだんだ。そういえばずっと、名前を記すのを忘れていた。今日聞いた名前。藤崎颯くん。かっこいい名前だなって、初めて聞いたときに思った。
今日自殺しなくても、結局いつかは死ぬ。多分、もう死ぬ。怖い。これから私は、どんどん忘れていくんだろう。すごく怖い。でも、彼はそばにいるって言ってくれた。私が忘れても、覚えてるって言ってくれた。生きててほしいって言ってくれた。彼がいるって言うだけで、すごく救われる。怖いけど、頑張って生きてみようって思えた。私だって本当は、できれば死にたくないもん。ずっと、生きていたい。せっかく授かった命、自殺なんて方法で壊してしまうのは、罪な気がして。実は、彼に死ぬって言った時もまだ、迷ってた。迷ってなかったら、たぶん彼が夜に病院に着いた時には私はもうこの世界にいなかったと思う。
私を止めたのは、彼のことを好きな私だったのかもしれない。彼のことを好きな私を殺すのが、一番気が引けたから。そして気づいた。記憶をなくす前に死ぬこと。それって、自分で記憶を捨ててるのと同じじゃんって。そんなの、いやだってやっと気づいた。
彼の言葉はすごくうれしかった。その存在が近くにあるだけで、涙が出そうなくらいほっとする。やっと、彼に好きだって言えた。彼のことだけは、ずっと、死ぬまで覚えていたい。最後の瞬間まで、覚えていたい。
どうか、明日の朝目覚めても、彼の記憶がありますように。できればそれ以上、彼の記憶を忘れずに過ごせますように。
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