37
「話があるって言ったくせに、何で黙ってるの、颯くん」
僕をなじるような調子で彼女は言った。カフェで証梨たちと話した日の、2日後のことだった。
「……話がある」
僕はバカみたいに5分前にも口にした言葉を彼女に告げる。彼女はもう聞き飽きたよ、とでも言いたげな目で僕を見た。けれど、僕の中で話したいことを整理するうち、だんだん思考が複雑に絡み合って、何から話せばいいのか分からなくなっていた。そんな状況を続けること、5分。
「ちょっと、歩かない?」
彼女が僕の顔を覗き込んで言った。僕は少し間を置いて、小さく頷いた。
***
菜乃葉の入院している総合病院は施設が充実していて、それこそカフェもあれば売店もあり、中庭には立派な木が植えられている。
夏が、もうすぐ終わろうとしていた。これから2学期に入る。僕は夏休み前と変わらず学校に行く。彼女は、病院から出ることはない。
「夏、終わっちゃうね」
名残惜しそうに彼女は呟いた。僕も陰鬱だ。学校に行くのは面倒くさい。それに……彼女のいない教室に僕がいる必要性なんてあるのだろうか。
「もうすぐ2学期が始まるね」
「他人事みたいに言うんだな」
「……他人事だもん」
僕らは2人して、目の前に佇む虚空を見つめながら歩いた。
「しっかしあっついねぇ〜」
彼女がわざとらしく言うのを聞いて、僕は返事に困った。僕たちは2人、こうして外に出てきたものの互いに何を話したらいいのか分からないのだ。それを誤魔化すように、無益な世間話で気を紛らわす。
「アイス、買ってこようか?」
「ううん、いいよ」
また、沈黙が流れた。2人でいるのに、自分1人だけでいるみたいだった。
「歩いてたら、疲れちゃった。あそこのベンチ座ろうよ」
菜乃葉の指さす先に木製のいたってシンプルなベンチがあった。僕らはそこに座って少し休憩することにした。8月下旬なんて、夏で1番暑いんじゃないかっていうぐらいの時期だ。僕らは少し歩いただけで、軽く汗ばんでいた。
「ねぇ、いつになったら話してくれるの?」
彼女が急かした。僕も、これ以上先延ばしにできないことを覚悟して口を開く。
「死ぬってさ……本気、なのか?」
僕は今さら、何を聞いているんだろう。
「うん、本気だよ。菜乃葉として生きられなくなる前に、自分で菜乃葉を終わらせるの」
……そうか。彼女がアルツハイマーを患い、それが進行し、やがて全てを忘れると言うことは、それは肉体こそ蒼城菜乃葉であっても中身は一概に蒼城菜乃葉だと言えないのかもしれない。少なくとも彼女はそう感じているのだろう。
「最期の瞬間、菜乃葉でもなんでもない存在でいるのは嫌なんだ。だから、そっといなくなる。ホントは、君にも言わないつもりだったんだけどさ。まさか首吊り用のロープ、結ってるところ見られるなんて思ってなくて」
恥いるように彼女は小さく笑う。死ぬなんて、別に恥ずかしいことじゃないのに。自殺を望む人に、死んではいけないと諭す人がいる。ドラマとか、アニメとか、だいたいそんなシーンが世に出回っている。
けど……その人の覚悟を貶すことこそ、僕はおかしいと思ったりするのだ。自殺したいと思うのには何かしらの理由があって、好きでそんなことするわけじゃない。自殺に対する抵抗を上回るほどの激情があって、それを経てそういった選択をしたわけで、別に責めることではないと思っている。もちろん自殺しないにこしたことはないけれど、その選択に口を挟めるのは、他人という薄っぺらい関係ではないと思った。
こんなことを他の人に言ったところで、頭がおかしいと思われるか、変な顔をされるか、はたまた罵倒されるか叱咤されるか、といったところだろうが、ともかくそんな考えを僕は胸の内に秘めていた。
「君みたいな人間が死ななきゃいけない世界なんて……」
けど。それは僕の理性が出した結論であって、感情は1ミリも含まれていない。含むとするなら。
「そんな世界なんて、僕は嫌だな」
僕の考えはこうなる。
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